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 『これはまた…。お前は…しい気を…とっている。その気に…、い…の気が…るだ…。』


 『それも…つ見え…。ククッ、なかなかに…な者よ。己の心に…であるがよい。』


 ガタンという衝撃が肩を揺らし、ヘルヴァインはハッと目を開けた。焦点が定まらないまま辺りを見回せば、まだ夢の中かと錯覚するような暗闇が落ちている。最近眠れない日が続いているせいか、書類に目を通しているうちに意識を手放してしまったのだと思い至り、深呼吸をしながら目頭をさすった。


 夢か、とすぐに意識は戻ったものの、夢ではない若い頃の出来事を思い出して気怠(けだる)げに椅子にもたれた。今まで忘れていた古い記憶であるだけに所々が欠けているが、ナルキスに連れられて貧民地区に住む怪しげな占い師のもとへ行ったことだけは鮮明に覚えている。


 ----あれは確か、俺たちが十八の時だったか…。


 手元の灯りに火をつけて、机上を照らす。ぼんやりとした光が周りの暗闇をさらに深くさせているのか、弱々しい火の揺らめきがやたらと眩しく見えた。


 ----あの時、何かを言われたんだ。ナルキスは…奴も何か…。


*


 フィークス伯爵領アルンにある狩猟地で、ナルキスは弓を構えるヘルヴァインの背中に向かって声をかけた。


 「おいヴァイン、知ってるか?よく当たるって噂の占い師がいるって。」


 ヘルヴァインの放った矢が地に刺さり、ジロリと後ろを睨んだ。ナルキスの声に反応して駆け出した獲物の気配はすでにない。友人の舌打ちなど気にもとめず、ナルキスはどこから仕入れてきたのか、胡散臭い占い師の噂を聞くなりヘルヴァインにその話を持ちこんできた。


 「さぁ、知らんな。」

 「だよな、分かってた!じゃ、さっそく行ってみようぜ!」

 「俺はいい。」

 「よし、しゅっぱーつ!」


 好奇心旺盛なナルキスとは正反対に、ヘルヴァインはあまり物事に興味を示さない。そんな友人の腕を取り、あちこちへと連れ出すのは親友ナルキスの役目である。まるですべての返事が『行く』にしか聞こえないかのようにヘルヴァインの肩に腕を回し、馬に跨って街へと出かけた。


 街の厩舎場にいる馬番に馬を預ける頃には、すでに陽が高く上がっていた。ナルキスは馬番に料金を払うと、親指を立ててクイっと動かした。


 「ここからは歩くぞ。」


 往来する人々の間を縫うように先を行くナルキスの後ろを歩いていると、人気のない場所まで来ていることに気が付いた。ナルキスが振り返り、外套のフードを深く被れと身振りで伝える。さらに進むと辺りに漂う腐臭と湿り気を帯びた空気から、スラム地区まで来たのだとすぐに分かった。


 「どこまで行くんだ?」

 「キトレ地区だ。」

 「キトレ地区だと!?」


 サラリと言うナルキスに、ヘルヴァインは声を上げた。街のスラム地区よりさらに奥にあるキトレ地区は、浮浪者や凶悪犯罪者ですら決して立ち入ろうとはしない閉ざされた場所である。一度足を踏み入れたが最後、運が良ければすんなり息の根を止められるだけで済むが、ほとんどが暴行の限りを尽くされ骨も残らないと言われた場所だった。

 そのような場所に昼間とはいえたった二人で踏みこむと言う。ヘルヴァインが険しい顔で睨みつけるのは当然の反応だった。


 「お前、何を考えているんだ。」

 「別に何も?面白そうだからどんな奴か見てみたいだけさ。ついでに俺の運命の相手を見つけてもらおうかなって思ってさ。」

 「馬鹿かお前は!!」


 目の前に迫る鬼瓦顔から発せられた怒声に、ナルキスはサッと耳を塞いだ。こうなることは想定内だっただけに、反応も素早い。ヘルヴァインは怒りを込めた溜息をつき、スラム地区の外へと足を向けた。


 「え?おいおい、ヴァイン!どこ行くんだよ!」

 「帰るぞ。」

 「えぇ~!せっかくここまで来たんだから行こうぜ~!」

 「黙れ。お前が好奇心の塊みたいな奴なのは知っていたが、ここまで愚かなことをするとは思わなかった。」


 ズンズンと歩いていくヘルヴァインの後ろで足音がピタリと止まった。


 「分かった。じゃ、俺だけ行ってくるわ。」

 「は!?お前いい加減にしろよ!」

 「だって今行かなくたって、どうせあとで気になって結局行くことになるんだ。だったら今から行っても同じじゃないか。」

 「あのな…そういうことじゃないだろう。」

 「だからヴァインは帰っていいぞ。俺だけ行ってくる。無事に帰れたらどんな奴だったか教えてやるよ。じゃあな。」


 手を軽く振り、ナルキスはクルリと踵を返して歩き出した。その後ろ姿に呆れつつヴァインも外へと足を向ける。一歩二歩としばらく進んだところで、後ろからガシッと肩を掴んだ。


 「やっぱりヤダヤダ、一緒に来てくれよヴァイン!」

 「なんだ。好奇心を片手に一人で行くんじゃなかったのか。」

 「そんな冷たいこと言うなよ!好奇心は俺の原動力だが俺を守ってはくれないじゃないか!」

 「知るか。ほら、帰るぞ。」


 ズルズルとナルキスを引きずりながら歩くヘルヴァインの耳元で、ナルキスは首を振りながら声を上げた。


 「待ってくれよ!これは何も俺だけの為じゃないんだぞ!お前の為でもあるんだ!」

 「しつこい。」

 「いいから止まれって!お前だって変な夢のことずっと気になってたんだろ?」

 「だからなんだ。夢は夢だろうが。下らないことを言ってないでちゃんと歩…」


 突然耳の奥がキンと鳴り、ヘルヴァインは足を止めて周りの気配を探った。腰にある剣の柄に手をかけ、左手にある暗闇へと続く細い通路にギラリと視線を向ける。ナルキスも柄に手を伸ばしたところで、通路の奥からしゃがれた女の声が聞こえてきた。


 「…待ちな。」


 ナルキスはヘルヴァインと背中合わせになるようにスッと移動し、周りへの警戒に神経を張り詰めながら視線だけを通路へと向けた。わずかな沈黙のあと、老いた女が半身だけを二人の前に現した。ボロ布を頭から被り、地面まで届きそうな灰色の髪の隙間から薄暗い瞳を覗かせている。女は二人の若者をじっと見つめ、ボソリと呟いた。


 「…やっと来たかい。やはり面白い『気』を持ってるねぇ…。」

 「やっと…?やっととはどういう意味だ。なんだお前は。」

 「なんだい、わざわざこっちから来てやったってのに愛想のない坊主だね。私が来なけりゃ、坊主たちはこいつらに身ぐるみ剥がされて今頃何されてるかわかんないんだよ。」

 「何?」

 「おいヴァイン…。周りを見てみろ…。」


 微かに震えるナルキスの小声が耳に届くと同時に、ヘルヴァインはハッとして周りに視線を走らせた。


 ----いつの間に!!


 耳の奥で鳴った音の正体はこれか、と舌打ちをする。おびただしい数の人影が二人を取り囲み、歪んだ殺意と底知れぬ憎悪をにじませた眼が暗闇の中にゆらゆらと浮かんでいた。


 ----気配がしなかったんじゃない。そもそも気配を持たない連中ってことか。


 もしわずかでも剣を抜けば、すぐに襲いかかってくるだろう。ヘルヴァインは柄から手を離し、警戒する姿勢をとったまま女に向き直った。


 「アンタは何者だ。まるで俺たちが来ると分かってたような口振りだったな。」

 「あぁ、分かってたさ。そんな珍しい気をまとった奴がこっちに向かって近づいてくるんだ。寝てたってすぐ起きちまうよ。」

 「珍しい気?なんだそれは。コイツにそんなものがあるのか?」


 ヘルヴァインはチラと背後に視線を向けた。柄から手を離し、震えているのを悟られまいと下唇を噛んでいるナルキスの姿に思わず溜息が出る。上から下まで何往復見てみても、そんな大層なものを持っているようにはとても思えなかった。


 「いや…、気をまとっているのはお前さんだ。」

 「俺?まさか。」

 「どれ…ちょっとこっちまで来て顔をよく見せてみな。」


 女はボロ布の裂け目から骨のような手を出し、人差し指をクイと動かした。わずかな動きでも生じる悪臭が鼻をつき、無意識に手の甲で鼻下を押さえる。その仕草を見て、女は手を引っ込めて眉根を寄せた。


 「…なんだ、怖気づいたのかい。」

 「…。」

 「…ったく、何しに来たんだ。もういい、とっとと帰んな。次は助けないよ。」

 「待て。」


 ヘルヴァインは再び闇の中へ溶けようとする女の背中を呼び止めた。同時に女のもとへと歩み寄り、数歩手間で足を止めた。


 「…フン。どれ、もう少し顎を上げな。…ほう、これは珍しい。…、…だね。それから…の憎悪の念が…ている。しかし…お前さ…はこれ…ら…」


 再びガタンと身体が揺れ、ヘルヴァインはハッと目を開けた。視線をゆらりと動かすと、先ほどつけた灯りの小さな火が目に入った。


 ----また寝てたのか。


 同じような夢を続けて見たはずなのに、すでに内容が思い出せない。身体に残る妙なだるさに顔をしかめ、自室に戻ろうと立ち上がる。机の上の灯りに手を伸ばした時、ふと明日香の顔が脳裏に浮かんで手を止めた。


 この執務室で義弟だと打ち明けた会話を最後に、城内で見かけてもできるだけ顔を合わさないようにしている。それもこれも、明日香の気配を感じれば無意識に目を向けてしまう己の歪んだ感情の息苦しさから逃れる為だった。


 ----彼女はキョーカじゃない。一切の情を移すな。…大丈夫、必ず帰してみせる。


 ヘルヴァインは軽く息を吐き、灯りを持って部屋を出た。

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