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カァンッ!カンッ、カカンッ、カンカンッ!カッ、カァァンッ!!
人気の無い訓練場の一角で、ふたつの影が木剣をぶつけ合い、高い音を響かせている。明日香は両手で剣を握りしめ、目の前に立つ赤髪の男に向けて剣先をピタリと向けた。
「キエェェェエェエェイッッ!!」
「ブハッ!ちょ、だからそれやめろって…って、よっと!」
気合いの掛け声と共に足を踏み出し、一刀目を振り下ろす。弾かれた瞬間後ろに飛び下がり、再び構えて走りだした。グランディスは斜めに切り下げられた二刀目を剣で受けとめ、目の前の漆黒の瞳を睨み下ろした。
「おい!またすり足になってる!!その癖は直せって言ってんだろ!!」
「分かってますよ!だから今すってなかったで…しょっ!!」
「っとぉ!まだまだぁ!ついでに奇声を出すのもやめろよ…なっ!!」
「クッ…、ハアァッ!!」
明日香は一歩下がってすぐに踏みだし、剣を突き出した。それを正面から弾かれ、グランディスの上体がわずかに上がって脇が開いた瞬間、男の真横まで大股に踏みこみ、腕と服の襟足を掴んで一気に後方へ引き倒した。
「うわっ!だあぁぁぁぁ!!」
倒れたグランディスの顔前にピタリと剣先をあてる。明日香は肩で息をしながら、見上げる濃碧の瞳をニヤリと見下ろた。
「私の勝ちですね。」
「お前、今アイキドーの技をかけただろ!」
「だからなんですか?合気道には剣や槍を持った相手と戦う技もあるんですよ。」
「今は剣の稽古だろうが!」
「合気道の技を使っちゃダメなんて聞いてませんよ。」
「クッ、コイツ…!」
グランディスは身体を起こし、砂をはたいて剣を拾った。勝ち誇ったじゃじゃ馬の顔をジロリと睨みつけるが、確かに技を使ってはいけないとは言っていない。もしこれが実戦なら、すでに自分の命はないのだ。
----コイツに護衛なんて必要あんのかよ!
グランディスは深く溜息をつきつつもう一度剣を持ち直し、元の場所へと戻って声を上げた。
「とにかく、今は剣の扱いに慣れる為の訓練なんだ。お前が強いのはよく分かったから、アイキドーの技は忘れろ!」
明日香も足を開いて剣を構え、コクリと頷いて軽く腰を落とした。
「分かりました。では改めて…キエェェェエイッッ!!」
「ブハッ!!このっ…ハアァァァアッ!!」
*
稽古を終え、明日香は壁を背にして布で汗を拭きながら、静まり返った訓練場を眺めた。毎日朝から晩まで交代で使われるこの場所に、次の時間枠を充てられた兵士団の兵士たちがもうすぐ集まってくる。グランディスは剣を片付けて戻ってくるなり、呆れながら明日香に声をかけた。
「お前さ、あの奇声とすり足っていうやつ、なんとかなんねぇのか?」
「剣道はすり足が基本ですからね。やめてから十年近く経ちますが、やはり剣を持つと自然とすり足になってしまうんですよ。」
「でも実戦向きじゃない。実戦じゃ走り続けないとやられちまう。つーか、奇声は無視かよ。」
「そうですね、それは実感しました。ですが、すり足の方がいい時もあるんですよ。ちなみにアレは奇声ではなく、気合いです。」
明日香は壁から離れて片腕を前に上げ、腕を剣に見立てて真っ直ぐに前を向いた。そして斜め下から上へとスッと動かし、足を移動させて腕を振り下ろした。
「グランからの攻撃をかわしてそのまま攻撃に転じる時に、身体を安定させつつ最小限の動きでできるんです。使う場所さえ分かっていれば、有利に動けます。それにそのまま合気道の技もかけやすいですしね。」
「ほー、なるほど。」
グランディスは腕を組み、感心したように頷いた。
世の中には、数は少ないが女の傭兵や用心棒もいる。剣を扱う仕事をしている者は老若男女問わず、鼻をつくような血生臭い臭いと独特の空気をまとっているものだ。しかし目の前に立つ黒髪の女からは、そういった臭いも空気もまったく感じなかった。
----それがコイツの一番恐ろしいところだよなぁ。見た目だけで知らずに手を出したら命取りになる。
グランディスはふと、気になったことを口に出した。
「なぁ、お前ってなんでそんなに強いんだ?戦がない国で生まれ育ったんだろ?武芸を身に付ける必要なんてないじゃないか。」
「それは、父が私に武芸を身に付けさせたかったからです。」
「親父さんが?」
「はい。私の両親が別れたことはお話ししましたよね。」
「あぁ、聞いてる。お前は親父さんと暮らしたんだよな。」
「そうです。合気道は元々父がやっていたんですよ。」
明日香は壁際に戻り、懐かしい話に目を細めた。
明日香の父親は幼い頃から合気道を習い、社会人になってからも続けていた。妻と別れ、明日香と二人きりになってからは、明日香も自分の身は自分で守れるようにと幼い頃から道場に通わせるようになったのである。
「父は仕事のない日は子供たちを相手に稽古の先生もしていましたから、私は稽古場でも家でも合気道ばかりやっていました。そうしているうちに、自然と強くなってしまったんです。」
「へぇ。てことは、お前に下手に手を出したりした奴は…」
「もちろん、全員ねじ伏せましたよ。たまに他の女性を助けたりしていました。」
「あ、そうですか…。」
やっぱりな、とグランディスは半目になって腕を組んだ。静かな空間に耳を澄ませば、遠くから人の声が聞こえはじめている。明日香とグランディスは示し合わせたように出入り口へと向かい、訓練場を後にした。
*
「で、いつまで領主様を避けるつもりだ?」
「…。」
訓練場を出て自室へと向かう途中、グランディスは前を見ながらポツリとつぶやいた。
「あれ以来、領主様の部屋に行ってないんだろ?」
「…グランには関係ないじゃないですか。」
明日香も声を潜ませ、低い声で返す。通路や廊下にはたくさんの兵士や使用人たちが行き交っている。彼らは明日香の姿を見かけるなりにこやかに一礼し、素早く道を開けるようになっていた。
階段を上がって自室へと続く廊下にさしかかったところで、グランディスは溜息まじりに続けた。
「お前の気持ちも分かるけどさ。今さらそんなに気にすることか?もう見られてんのに。」
明日香はピタリと足を止め、振り向きざまに後ろに立つ赤髪の男に向かって片腕を振り下ろした。グランディスは咄嗟に後ろに飛び下がり、同時に飛び出しそうになった心臓に手をあてて声を上げた。
「危ねぇな!急に何すんだよ!」
「グランには…男性には分かりませんよ!これは女性にとってはすごく繊細な部分なんです!」
明日香はフンッと鼻を鳴らして前へと向き直り、十日前の出来事を思い返した。
----あんなこと聞いちゃったら、もう絶対に見せられない!見られたくない!
*
十日前、明日香はグランディスと共に休憩所を出てヘルヴァインのもとへと急いでいた。己の身勝手な行動のせいで、戦場からディーク・ベルジーの家まで直行させてしまったことを謝りに行く為だ。
ヘルヴァインは執務室にいるかもしれないと思い、二人はそこへ向かっている途中で廊下を歩くナルキスとティルの後ろ姿を見かけた。
----あ!あの二人に聞けば、ヴァインさんの居場所が分かるかも。
明日香とグランディスは足を速めて二人の背中を追いかけた。そして、二人が角を曲がったところでナルキスの吹き出す声が聞こえてきて、咄嗟に足を止めた。
「何だよそれ。ヴァインの好みの女性リスト?」
----え?今なんて言ったの?
グランディスが二人に声をかけようと身を乗り出す。明日香はそれを素早く制し、グランディスに向けて人差し指を口にあてて見せ、角に隠れたまま息を潜めた。
「はい。以前、例の女性たちを選ぶ際の参考にしようと思って私が勝手に作ったものです。すべて燃やせと言われていたのですが、これだけ処分するのを忘れていまして。」
「へぇ、どれどれちょっと拝見。…なんだよ!アイツ、あんな澄ました顔して巨乳好きかよ!」
明日香の頭上に大岩が音を立てて落下する。その隣では、明日香の胸事情を知るグランディスがバツの悪い顔を背けた。
「いえ、そうではありませんよ。ご主人様にそれとなく聞きましたら、無いよりは有る方がいい、という感じでした。ですので大きい胸が好きというわけではありません。」
明日香の頭上にさらに大岩が落ちる。グランディスは背けたまま片手で顔を覆った。
「それじゃあアスカちゃんはヴァインの好みにピッタリだったわけだ。特別大きいわけじゃないが、それなりに有るもんな。」
明日香が顔を真っ赤にして震えだす。胸元の膨らんだ服が『張りぼて』という名のデザインであることを知っているグランディスは、片手で顔を覆ったまま全身に冷や汗を流した。
「そうですねぇ。ご主人様はこれまでグラマーな女性ばかりを相手にされてましたから、アスカ様にまったく無いとなると、さすがに落胆されるかもしれませんもんね。」
明日香が黙ったまま踵を返して走り去る。グランディスは二人の背中をジロリと睨みつけてから、明日香のあとを追いかけた。
「なーんて。そんなこと、万にひとつもありませんけどね。ご主人様にとってはアスカ様に避けられること以外で落胆するものは何もありませんから。」
「ハハッ、言えてる。でもまぁ、確かにこんなもん必要ないよな。ヴァインはアスカちゃんなら、どんなアスカちゃんでも愛するだろうし。アイツの浮かれっぷりなんて、見てるこっちの方が恥ずかしくなってくるもんな。」
「はい。今日から一緒にお休みになると仰ってからの浮かれっぷりは特に酷かったですよね。」
「お前、それヴァインに言うなよ。給料減らされるぞ。」
「もちろんです。もしこの会話がバレたら、当然コンウォール様も道連れですよ。」
「コ、コイツ、汚ぇっ…!」
ナルキスはティルに紙を返しながら、走り去るふたつの足音に気付くことなく諦めの溜息をついた。