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 机の上に積まれた書類の側に、数通の手紙がきちんとそろえて置かれてあった。他家より少しでも見目が良くなるように、上質の紙が使われていたり香り付けをされていたりと、それぞれに華やかな趣向が凝らしてある。


 主がひと目見て分かるよう、社交上重要な家門から順番に並べてある。そんな部下の細やかな心遣いなど余計なお世話だと言わんばかりに、ヘルヴァインはこめかみを押さえながらうんざりした顔で見下ろし、まとめて掴んでナルキスに押し付けた。


 「毎日よく飽きもせず送られてくるよなぁ。これ全部お前への婚約願だろ?」

 「知らん。適当に処分しておいてくれ。」

 「まったく、こんな無愛想な男のどこがいいんだか。辺境の地を守る領主とはいえ爵位を持ってるわけじゃないのに。」

 「…。」

 「まぁ、()()()()があっても行き遅れた娘を嫁がせるには格好の相手だもんなぁ。無愛想でも性格は悪くないし、無愛想なのに政治手腕もある。無愛想とは裏腹に部下には慕われているし、何より無愛想だからずっと独身だ。可愛い娘を修道院に押しこむよりはマシってやつか。」

 「…お前、また殴られたいのか?」


 手紙を受け取り、サッと距離をとりつつ軽口を叩く側近をジロリと睨み上げ、ヘルヴァインは椅子にもたれて大きく息をついた。

 三十四歳という男盛りの独身者が辺境の地に身を置いている。国の盾で在り続ける為に自領の軍事力を強固に維持し、隙のない政治眼で領内の統制を成功させているという噂は社交界中で知られており、その妻の座を勝ち取ろうと妙齢の娘を持つ親たちが互いに火花を散らし合っていた。


 ----フン、下らん。


 ヘルヴァインはそんな親たちからの申し入れを片端から断り続けた。しかし、どんなに身分の高い家門からの申し入れであろうとも受け取らない領主の毅然(きぜん)とした態度が逆に親たちの闘争心を(あお)る結果となり、婚約を申し込む手紙が後を絶つことはなかった。むしろ、日を追うごとに増えている。


 ナルキスは押し付けられた手紙を丁寧にそろえてテーブルに置き、眉間を揉みこむヘルヴァインにチラと視線を向けた。


 「お前さ、さっき俺を殴ったのって嫉妬だろ?」

 「急に何の話だ。」

 「とぼけるなよ。今まで俺が誰を口説こうが気にも止めたことなかったじゃないか。」

 「興味ないからな。」

 「俺がアスカちゃんの手を握ったのがそんなに気に入らなかったのか?」

 「…アスカちゃん?」


 ヘルヴァインの片眉がピクリと上がる。視線だけをナルキスに向け、目を座らせた。


 「なんだよ。お前だってさっき『アスカ』って呼び捨てにしてただろ。相手には通じないのをいいことに。『アスカちゃん』って言うだけまだ俺の方が適度に距離を保っていると思うけどね。」

 「適度に距離を保っているだと?フン、早速手を出している時点で手癖の悪さが出ているだろうが。お前にとって適度な距離というのは、口説いて手にキスをすることなのか?」

 「はぁ?お前、何ガキみたいなこと言ってんだよ。少しでもいいなと思った女性なら当然だろ?それにあんなのはただの挨拶じゃないか。」


 ナルキスは明日香に投げ飛ばされたあと、明日香の手を握って吐息まじりに囁いた。


 ----『女性に投げ飛ばされたというのに、こんなに胸を打たれたのは初めてです。どうか貴女のその強さを情熱に変えて、冷え切った私の心と身体を満たしてはくれませんか?』


 ナルキスの胡散臭い眼差しと台詞を思い出し、ヘルヴァインは顔をしかめて苛立たしげに溜息をついた。これまで何度もその毒牙にかかった女を見てきているが、天性ともいえる身のこなしで去り際まで綺麗に終わらせるせいか一切の禍根(かこん)を残すことはない。友人目線で見れば相手の女を一切傷付けないという点は褒めてもいいが、相手が明日香となれば話は別だった。


 「女を知らないガキじゃあるまいし、それぐらい分かるだろ。」

 「とにかくこれ以上はやめておけ。」

 「それは主としての命令か?それとも彼女を守る男としてか?」

 「お前な…。」


 ニヤニヤと笑いながら見下ろすナルキスを無視し、代わりに呆れた表情を浮かべた。いい歳をして下らない挑発をしてくる部下には溜息すら出すのが惜しくなる。


 「大体お前が言ったんだろう。彼女は俺たちのようなオジサンは相手にしない、と。それにお前には…」

 「だから意識するように口説くんだよ。ま、でも安心しろ。あの子はあれぐらいで舞い上がったりしないさ。」

 「何?」

 「だから、あの程度じゃ落ちないってことが分かったんだよ。フフ、やっぱり恋愛はこうでないとな。」

 「…。」

 「なんてな。冗談だよ。ちょっとは焦ったか?」

 「お前いい加減に…」


 ヘルヴァインが椅子を掴んで立ち上がろうとした時、扉をノックする音がした。


*


 「三倍の時間差があるのか…。」


 アーゾン城城主の執務室に同じ顔ぶれが再びそろい、布で包まれた荷物を囲んでいた。ヘルヴァインの低い声が、重い空気をさらに重くする。


 「はい。アスカさんは、双子のお姉様とキョーカ様は同一人物で間違いないと仰っております。それならこの歳の差も説明がつく、と。」

 「ふむ…。」


 ユーグの言葉を受け、ヘルヴァインはナルキスに視線を向けた。ナルキスが肩をすくめて返す。ヘルヴァインは明日香に視線を移し、真っ直ぐに自分を見つめる瞳を見返した。


 「昔、キョーカから幼い頃に別れた双子の妹がいるということは聞いていたんだ。それが君だと言うんだな?」


 ユーグが明日香に伝えると、明日香はコクリと頷いた。


 「それで、君は自分の国に戻るには時間的に制限があるのだな?それがこちらの時間で一年半だ、と。」


 明日香はもう一度頷いた。


 「そうか…。その…君はここへ来る前、辛い思いはしていなかっただろうか。例えば…いや、すまない、今のは伝えなくてい…あっ!」


 ヘルヴァインが止めるより早く、ユーグは明日香に伝えていた。通訳を止めようとした手が、むなしく宙を泳ぐ。明日香は少し間を置いてからユーグに話したあと、首を傾げてヘルヴァインを見た。


 「少し前にお父上様が亡くなられたそうです。でも、やっと気持ちが落ち着いたところです、と。」

 「そうか、お父上が…。それは辛かっただろうな。」


 ヘルヴァインは明日香に同情の眼差しを向けた。その視線の先で、ユーグのバツの悪そうな表情が目にとまった。


 「それから…。」

 「どうした?」

 「その…ヘルヴァイン様はキョーカ様とどういったご関係ですか、と聞いておられます。」

 「ぶはっ!!」


 思わず言葉を詰まらせるヘルヴァインの後ろで、ナルキスが盛大に吹き出した。たとえ数語でも日本語を話し、京香が着ていた服を持っていて、初見のはずの明日香への接し方もどこか慣れていた。

 誰が見ても不自然な行動の数々に、何の関係もないと判断するはずがない。


 ----ヴァインがここまで動揺するなんてな。


 ナルキスはクツクツと笑いながらチラとヘルヴァインを見た。昔から大抵のことには動じない友人が、明日香の探るような眼差しに絡め取られて大量の汗をかいている。険しい顔を真っ赤にしたり、真っ青にしたり、やたら顔面が騒がしい。ナルキスはもう少し見ておきたい気持ちをグッと抑えて側近らしく援護することにした。


 「ヴァインはキョーカの義弟だ。」

 「おい!」

 「いいから俺に任せておけって。」


 反射的に声を荒げるヘルヴァインに向かって『今さらだろうが』と半目で見返してから、ニッコリと微笑んで明日香に向き直った。


 「キョーカはヴァインの兄、ディアン・フィークス伯爵の妻でね。義理の姉弟になるんだ。ヴァインの方が年上だけど。つまり、キョーカの妹ならアスカちゃんもヴァインの身内だ。だからここに君を害する者はいないから安心してくれ。」


 ユーグがナルキスの言葉を明日香に伝えると、明日香は驚いた表情をヘルヴァインに向けた。思考と直結しているのか、見開いた瞳が『そうだったのか!』と言っている。ヘルヴァインからすれば二十二歳の娘が『双子の姉の義弟』と聞いてどう思ったかが正直気になるが、今この状況を乗り切れるのならなんでもよかった。


 「だからこそ君を助けたいんだけど、我々はまだ直接会話ができない。それにさっきも言った通り、彼には身内以外の者には聞かせられない話もあるみたいだ。だからキョーカについて知りたかったら何としても言葉を覚えてほしい。できるかい?」


 ナルキスは真剣な目で明日香を見た。ほぼ強制のようにも聞こえるが、やる気を起こさせる為に情報を提供したのだ。やってもらわなければ話が前に進まない。

 明日香も真剣な目で頷き、ハッと何かに気が付いたようにユーグに話しはじめた。明日香の話を聞きながら、チラとヘルヴァインに視線を向ける。


 「なんだ?」

 「アスカさんが、キョーカ様には子供はいるのかと聞いておられます。」

 「…あぁ、いる。話せるようになったら会わせてやる。」

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