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 明日香が黙ったまま服に視線を落としていると、ヘルヴァインがユーグに声をかけているのが視界の端に映った。明日香はキュッと下唇を噛み、顔を上げてヘルヴァインのもとへ歩み寄った。


 「キョーカさんという方について教えて下さい!」

 「!?」

 「お願いします!その人とはいつ知り合ったのですか?その人の本名は?あの服は、本当にそのキョーカさんという方が着ていたものなんですか!?」


 突然はじまった明日香の質問攻めに、ヘルヴァインは慌てて身体をのけ反らせた。


 「教えて下さい!キョーカさんはどうして亡くなったんですか!?」

 「!!」


 見開かれた明日香の両目が潤いはじめ、鼻頭が赤く染まった。ヘルヴァインはギクリと身体を硬直させたまま視線だけをナルキスに向けるが、有能なはずの部下はそっぽを向いて見て見ぬふりを決めこんでいる。上がりそうになる口の端を必死に下げて肩を震わせる部下の態度を恨めしそうに睨みつけ、ヘルヴァインはゴツゴツとした手をそっと明日香の頭に乗せた。


 明日香は顔を上げ、ぎこちない手つきで頭をなでるヘルヴァインを見た。目が合った途端すぐに視線を外されたが、頭に乗せた手だけは動かし続けている。額に汗をにじませる男のバツの悪い表情を目の当たりにして、明日香は潤んだ瞳が一瞬で乾くのを感じた。


 こうやって誰かに頭をなでてもらうのはずいぶん久しぶりな気がする。最後はいつだったかと考えながらフフと笑う明日香に、ヘルヴァインは再び身体を硬直させた。


 ユーグが明日香の言葉をヘルヴァインに伝えると、ヘルヴァインはハッとして首を横に振った。


 「キョーカ様のお名前は、キョーカ・タチバナ。アスカさんと同じ『タチバナ』です。数年の間病を患っておられて…先日お亡くなりになりました。」

 「それって…」

 「それ以外のことは話すことができないそうです。」

 「なんで!?ヘルヴァインさん、どうしてですか!?」


 明日香は再びヘルヴァインに詰め寄り、じっと見上げた。こうして近づいて見てみれば、厳めしい顔つきの割に優しい目元をしている。そして、ずっと見上げていれば首が痛くなりそうなほど背が高く、厚みのある体躯をしていた。ヘルヴァインは溜息をついてユーグに声をかけた。


 「アスカ様のお姉様とキョーカ様が同一人物かどうかを確認するには、キョーカ様に関するお話をあなたにする必要があるのは分かっています。ですが言葉が通じない以上、他者を間に挟まねばなりません。ですので詳しいことを話すことはできませんが、せめてアスカさんが国に帰れる手立てを考える、と仰っています。」

 「そんな…。」


 明日香はチラと服の入った箱を見てしばらく考えこんだあと、ポツリと呟いた。


 「…私はこの服を知ってる。これは四年前に私の国で売られていたもの。そしてこのデザインは、その年だけ売られていたものです、と伝えてくれる?」

 「分かりました。」


 明日香はユーグが伝えているのを横目に、さらに続けた。


 「その服を、あなた方が知っているキョーカという女性が着ていた。それはいつのこと?」

 「今から十二年前です。」

 「十二年前!?なんで…あれは復刻版じゃなかったはず…。」

 「はい?」


 口元に手をあてブツブツと呟く明日香の顔を覗き込むユーグに、ヘルヴァインはピクリと片眉を上げた。明日香はユーグに向き直り、静かに口を開いた。


 「ねぇ、ユーグ。もし私が言葉を理解できるようになったらキョーカさんという方について教えてくれますか、と聞いてくれる?」

 「はい。それなら、と。ですが…」

 「ユーグもリムラもどちらの言葉も話せるのよね?じゃあ、私にこの国の言葉を教えてくれない?」

 「えぇ!?でも、それは…」


 ユーグは困惑の表情をヘルヴァインに向けて、明日香の言葉を伝えた。ヘルヴァインがチラと明日香に目を向ける。そのまま黙って見つめたあと、小さく頷いた。


 「いいんですか!?」

 「許可するそうです。これから情報を共有するにもその方がいいと仰ってます。」

 「やった!ありがとうございます、ヘルヴァインさん!」


 明日香が安堵の笑みをヘルヴァインに向ける。その笑顔にあてられ、ヘルヴァインはサッと顔を背けた。そしてその様子を、ナルキスは腕を組んで静かに眺めていた。

 笑顔を向ける明日香に無言のまま硬い表情を返すヘルヴァインの心の中を思えば、自然と重い溜息が出る。


 ----どうしても思い出してしまうよな、やっぱり。


 かつて同じように笑顔を向けて『私に言葉を教えて欲しい』と言っていた娘の姿を思い出す。その娘と同じ顔と同じ声で同じことを言う明日香を目の前にして、ヘルヴァインの拳がきつく握られていることにナルキスは気付いていた。

 ここまでだな、と息をつき、友人に助け船を出すような気持ちでナルキスはユーグに声をかけた。


 「アスカさん。話し合いは一旦ここまでにして、我々は今後のことを話し合ってきます。」

 「そう…分かった。あの、ひとつだけいいかな。」

 「なんでしょうか。」

 「私、昨日からずっとこの部屋から出てないんだけど、やっぱり出ちゃダメなのかな。その…ずっと閉じこもっていると、いろいろ考えて不安になっちゃって…。」

 「あー…そうですよね。聞いてみます。」


 ユーグがヘルヴァインとナルキスに明日香の言葉を伝えている間、リムラは明日香の側に寄って声を潜めた。


 「アスカさん。実は私たちに言葉を教えて下さったのは、キョーカ様なんです。」

 「えっ!じゃあ、やっぱりそのキョーカさんて人は私と同じ国から来た可能性が高いってことね!?」

 「そうかもしれませんね。あとでいろいろお話ししますね。」


 リムラはそう言うと、ニコッと笑って明日香を見た。


 「リムラ…。うん、ありがとう。」

 「いいえ。それに私、早くアスカさんと仲良くなりたいですから!」


 ----なんて良い子!!


 『不安だ』と、つい口にしてしまった自分に対するリムラの心遣いが胸に沁みる。自分が十五歳だった頃のことを思い返してみても、会ったばかりの他人に向かって『仲良くなりたい』などと言えただろうか。明日香は年下の少女に気を使わせてしまったことに情けなさを感じながらも、素直に感動を噛みしめた。

 ニコニコと屈託のない笑顔を向けるリムラの横から、ユーグが顔を出した。


 「アスカさん。外出のことなのですが、このアーゾン城内であれば許可するそうです。」

 「ここ、アーゾン城っていうんだ。このお城の中だけならいいの?」

 「はい。アスカさんはまだ言葉が通じませんので、城の中ならまだ安全です。」

 「そうか…そうだね。私もその方がまだ安心だし…うん、それで十分。ありがとうございます、ヘルヴァインさん!」


 明日香が再び笑顔を向ける。お礼に頭を下げる明日香を横目に、ヘルヴァインはユーグに言葉を付け足した。


 「ただし条件があります。城の地下には行かないで下さい。それから部屋から出る時は私かリムラが必ず同行することと、陽が落ちると城の中は薄暗くなるのでその頃には部屋に戻り、それ以降は部屋から出ないようにして下さい。城の中とはいえ、暗い場所は危ないですからね。それから、お食事はお部屋で召し上がって下さい。」

 「分かった。地下には行かないことと、暗くなったら出ないこと、食事は部屋でとることね。約束する。いざとなったら、ある程度は自分の身は守れるから安心して。」


 ユーグの言葉を受け、ヘルヴァインとナルキスは顔を見合わせた。忘れていたが湖の側で明日香を見つけた時、明日香は男を締め上げていたのだ。二人は改めて目の前の女をマジマジと眺め、とてもそんなことができそうにもない身体つきに首を傾げた。ナルキスがユーグに声をかける。


 「アスカさんは、何か武芸をされていたのですか?」

 「うん。私、小さい頃から昨年まで合気道を習ってたの。後は小学四年生から中学二年生まで剣道も習ってた。」

 「アイキドー?ケンドー?」

 「うん。えっと…とにかく、身体を使った武芸と、竹刀っていう剣の形をした…棒?を使った武芸を習ってたのよ。」


 ユーグが説明をすると、ナルキスはすぐに好奇心に目を光らせてユーグの肩にポンと手を乗せた。同時にユーグの悲鳴が上がる。


 「どうしたの?」

 「あ…その…ナルキス様が、昨日アスカさんが男を締め上げた時の技を私に受けてみろと仰って…。」

 「えぇ!?ダメだよ危ないから!受け身とかできないでしょう?」

 「ですよね!危ないですもんね!」


 ユーグがホッと胸をなでおろすのも束の間、ナルキスはユーグの背後に回って肩に手を置き、ずいっと前へと押し出した。『ひっ』という声を出しながら身体をグラつかせるユーグの真っ青な表情を見上げ、明日香は冷えた眼差しをナルキスに向けた。


 ----締め上げる技だと分かってるのに子供に受けさせるなんて…。


 明日香は半目になって片足を引き、ナルキスに向かって手を差し出した。明日香にひたと見据えられ、ナルキスの表情が瞬時に強張っていく。明日香はユーグを通して自分に襲ってくるように伝えると、手の平を上に向けて『かかってこい』の合図を送った。

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