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明日香はユーグを見上げ、じっと見つめた。日本語を話せる青年の顔つきは日本人のそれとはまったく違い、くっきりとした彫りの深い顔立ちをしている。体躯は細身ながらにガッチリとしているが、表情には少年のようなあどけなさが残っていて、太い眉毛と優しそうな目元から覗く青色の瞳が印象的な好青年だった。まだ十七歳だという。
「お嬢様のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「えと、アスカ・タチバナです。よろしくお願いします。」
「本当にそっくりですね。名前まで同じなんて…。」
「え?」
ユーグは明日香を見下ろしボソリと呟いた。明日香が首を傾げて聞き返すと、横からリムラが口を挟んだ。
「アスカ様、ですね!お会いできて嬉しいです!私のことはリムラとお呼び下さい。」
「え?初対面なのに呼び捨てにしてもいいの?」
「もちろんです!兄のこともユーグでいいですよ。ね、お兄ちゃん?」
「はい。私のことはユーグとお呼び下さい。」
「あ…それじゃあ、私のことも明日香で…」
「それはいけません!!」
「わぁっ!!」
兄妹が被せ気味に声を上げて身を乗り出す。明日香は咄嗟に身をのけ反らせ、バクバクと暴れる胸に手をあてた。さっきまでのニコニコとした表情から一変して、そろって真剣な眼差しを向けてくる兄妹に、明日香はゴクリと唾を飲んで見返した。
「でも『アスカ様』はちょっと…。せめて『アスカさん』にしてもらえませんか?」
めげずに他の案を出してみる。どこか遠慮がちな言い方をする明日香に、兄妹はキョトンとした顔で首を傾げた。兄と同じ青色の瞳をパチパチと瞬かせ、リムラが口を開いた。
「『アスカ様』ではご都合が悪いのですか?」
「はい。言われ慣れていませんので、できればやめてもらえた方が…。」
「お兄ちゃん、どうしよう。」
リムラがユーグに意見を求めている隙に、明日香はチラとリムラに視線を走らせた。兄と同じで彫りは深いが十五歳の少女特有の顔の丸みがあり、薄っすらとそばかすが浮いている愛らしい顔つきをしている。その割に少女とは思えないほどの豊満な胸元を抱えていて、明日香は自分とは一生縁のない魅惑の塊に無意識に羨望の眼差しを向けた。
「そうだな…それでは私たちは『アスカさん』とお呼びします。それでよろしいでしょうか。」
「はい。ありがとうございます。お願いします。」
「それから私たちに敬語は必要ありませんので、普通に話して下さいますか?」
「分かりまし…分かった。それじゃあそうするね。」
明日香がニコリと微笑み兄妹と握手を交わす様子をじっと見つめながら、ヘルヴァインは三人のもとへと歩み寄った。ユーグの隣で足を止めて低い声で短く指示を出す。ユーグは頷き、明日香に向き直った。
「アスカさん。私たちは今日、お二人の言葉を通す為にこちらに呼ばれました。早速ですが、アスカさんはどちらの国から来られましたか?」
「日本という国です。ご存知ですか?」
明日香がヘルヴァインに視線を向ける。その視線を横顔で受けとめ、ヘルヴァインはユーグにのみ視線を向けていた。
「日本という国はない、と仰ってます。」
「え!?それじゃあ、どうして日本語が話せるの!?なんで!?」
「それは…。」
ユーグはヘルヴァインから囁かれ、浮かない表情で小さく溜息をついた。
「そのご質問にお答えする前に…アスカさんは『キョーカ』という名前にお心当たりはありませんか?」
「キョーカ!?」
明日香は目を見開き、一瞬息を止めた。心当たりがあるどころではない。この世に生まれてから今まで一度も忘れたことのない名前に、明日香は唇を震わせた。
「私の…双子の姉の名前が京香という名前なの。でも、どうして…。」
「えっ!?」
ユーグは声を上げ、すぐにヘルヴァインに伝えた。その隣でリムラが口を押さえて固まっている。ヘルヴァインはカッと目を見開き、明日香に振り向いた。
「アスカさんの双子のお姉様のお名前が『キョーカ』なのですね?」
「うん…でも、姉は四年前に亡くなったの。」
「えぇっ!?」
ユーグが再び声を上げる。ヘルヴァインは苛立ちを隠そうともせず、ユーグに通訳を急かした。仕方のないこととはいえ、いちいち驚かれて止められていては話が前に進まない。ユーグはハッとしてヘルヴァインと後ろに控えるナルキスに伝えた。ナルキスは少し間を空けてから真剣な表情でヘルヴァインの耳元で囁いた。
ヘルヴァインが眉間に皺を寄せて小さく頷くのを認めてから、ナルキスは手に持っていた荷物をテーブルに置いて包みを解いた。出てきた箱の蓋を外さずに明日香に視線を向ける。ナルキスはヘルヴァインの後ろまで下がり、今度はユーグに視線を向けた。
「箱を開けてほしいそうです。」
「え?」
明日香がチラとヘルヴァインを見る。ただでさえ押し寄せる不安で胸が苦しいのに、相変わらず目が合った途端に視線をそらされ、明日香は不意に悲しくなった。
「分かりました…。」
皆に視線を向けられる中、震える手で箱の蓋をそっと外す。自分が目を伏せている時は穴が開くほどこちらをじっと見つめているヘルヴァインに悲しい怒りを感じながら、明日香は中のものが見えた瞬間、蓋を持つ手をピタリと止めた。
「これ…このTシャツ…嘘でしょ!?」
箱の中にはきちんと折りたたまれた服が入っていた。明日香は震える指でそっと服に触れながら、呼吸が浅くなるのを感じた。
----これ、ユ○○ロのコラボTシャツじゃない。このイラストのやつ、私も持ってたから覚えてる。受験生の時にこのシリーズの服を着て勉強してたから…。
明日香が言葉を失ったまま服を見つめている様子を見て、ユーグは窺うように静かに声をかけた。
「これを知っているか、と聞かれています。」
明日香はハッとしてユーグに視線を向けた。なぜかユーグが心配そうな表情で自分を見つめている。肩に何かが触れる感覚にビクッと身体を震わせ、咄嗟に振り向いた。視線の先ではリムラが心配そうに明日香を見上げていた。
「アスカさん、大丈夫ですか?」
「あ…うん。」
明日香はもう一度チラとヘルヴァインを見た。また視線をそらされた、と思った瞬間頭の中の何かが弾け飛び、明日香はヘルヴァインをじっと見つめたまま口を開いた。ここまできたら、変に隠すとかえって不審な疑いをかけられるかもしれない。
「知ってる。私もこれと似たようなものを持っていたから。」
ユーグが伝えると、ヘルヴァインは明日香を見た。互いに目が合い、時が止まったかのように見つめ合う。そのまま明日香はヘルヴァインの瞳を真っ直ぐに見据えて続けた。
「どうしてこれがここにあるのですか?」
「…これは、昔キョーカ様が着ていらしたものなのです。」
明日香の眼差しに固まるヘルヴァインに代わって、横からユーグが応えた。
「なっ…ちょっと何それ!え?じゃあ、さっき言ってたキョーカって…」
「落ち着いて下さい。先ほどアスカさんは双子の姉だと仰いましたよね。」
「うん。」
「失礼を承知でお聞きしますが、アスカさんのご年齢は?」
「二十二歳よ。どうして?」
「では、人違いかもしれません。キョーカ様は三十歳でした。」
「三十歳…でした?」
「はい。…キョーカ様は先日お亡くなりになられまして、昨日が葬儀の日だったのです。」
「え!?」
目を伏せ、消え入るような声で話すユーグの言葉に、明日香は今度こそ言葉を失った。年齢からしても自分の姉と同一人物だと思うことはない。それでも姉と同じ名前の人が若くしてこの世を去ったことに、明日香の胸の中にある傷跡が疼いた。