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 辺境の地ラナート。深い森に囲まれた一際高い丘の上に、アーゾン城はあった。外壁で囲まれた巨大な要塞から竜の背のように伸びる通路の先にはさらに巨大な建物がそびえ立ち、外敵を駆逐する巨神のように全てのものを睨み下ろしている。


 明日香(あすか)は窓から射しこむ眩しい陽の光に目を細め、眼下に広がる外の風景を眺めていた。この城に連れて来られた時は怖くて震えが止まらなかったが、用意されていた風呂で身体を温め、出された夕食を食べる頃にはこっそりお姫様気分を味わう程度には心に余裕を取り戻していた。


 ----どうなってんのよ…。


 手で陽射しを遮り少し目を細めて遠くを見ると海があった。ここがどこなのかはまったく見当もつかないが、海が見えるというだけで気分が上がるのはどこにいても同じだ。


 明日香がいる部屋のちょうど真下に位置する通路では、武具を身につけた厳めしい顔の男たちが右へ左へと行き交っている。視界の端から現れた男がその男たちに向けて何かの指示を出してるのか、命じられた男たちは姿勢を正して頷き、どこかへと足早に去っていった。


 その少し離れた場所では荷物を運んでいる女のもとに一人の男が駆け寄り、『代わりに荷物を運ぶよ』とでも言っていそうなほころんだ顔を女に向けていた。女の方も男の気持ちが分かっているのか、嬉しそうに口元に手を添えて小さく頷いている。


 空を見上げれば青々とした爽快な空が広がっている。こうしていれば、なんてこともない見慣れた景色なのに。


 ----やっぱり夢じゃないよねぇ。


 現実逃避のお姫様気分も、一晩経てば魔法が解けてしまったようだ。チラと視線を下に戻せば、自分の住む世界とあまりにかけ離れた光景が、未だ呆然と立ち尽くすことしかできない自分にこれは夢か(うつつ)かと問うてきた。


 夢だと思いたい。それなのに、この手に残る人を締めあげた生々しい感触が、淡い期待を容赦なく打ち消した。


 ----もしかして、あの声が何か関係しているのかな…。


*


 今から四か月前、明日香の父親が亡くなった。葬儀は身内だけのひっそりとしたものだったが、悲しみに打ちひしがれることもできないまま、喪主である自分が全てを仕切らねばならなかった。大好きだった父親の突然の死と喪主としての責任に押し潰されそうになったからか、明日香は葬儀の日の朝、不思議な声を聞いて目が覚めた。


 『ア…カ…。アス…カ…!おね……い…。…すけ…げて…』


 ふと目を開けたと同時に声は消えた。途切れ途切れな言葉の割に、妙にハッキリとした声音だったからだろうか。耳の奥に残る声に、どこかで聞いたことのあるような懐かしさを感じた。それでも、父親を送り出す日の朝に声の主に近い人物を深く探る余裕などはなかった。


 ----声が聞こえるようになったのはあれからだったけど、昨日みたいに強く聞こえたのは初めてだった。


 明日香は室内を見渡し、自分の着ている服に視線を落とした。ドレスではないが、ワンピースに近い形をしている。頭から被って袖を通し、腰回りを帯状のひもでしばった簡単なものだ。某有名レジャーランドのお城で衣装を着てみたような感覚に似ているが、自分に服を着せていた時の使用人の手つきと顔つきが、『お客様へのサービスです』とは言っていなかった。


 これが普通ってことか、と明日香は小さく息をつき、ノロノロと椅子へと向かった。椅子に座って天井を見上げる。部屋を出てみる勇気など欠片(かけら)もなく、ひたすら立ったり座ったりを繰り返すだけの時間に不安を感じながら、ふと、つい先ほど部屋に来た男の顔が思い浮かんだ。


 ----()()…やっぱり聞き間違いじゃなかったんだ。


 昨日のこと。湖の側にいる明日香の前で立ち止まった男はこちらをじっと見つめたあと、口元を一瞬引き締めて周りに聞こえないように小さな声で囁いた。


 ----『ダ…ダイジョブ…デスカ?』


 突然男に襲われ、男の意識を奪った恐怖と興奮に震え、身を守る為に闘争心をむき出しにしていた自分に優しく歩み寄ってくれた中年の男。明日香が男に警戒を緩めないままためらいがちに頷くと、肩にある外套を外して濡れた身体が隠れるようにそっと掛けてから、乗ってきた大きな黒馬に明日香を乗せてこの城へと連れてきた。

 明日香は口元に手を当てて(くう)をじっと見つめながら、耳に残る男の言葉を思い返して眉間に皺を寄せた。


 ----さっきのあの人、ヘルヴァイン・フィークスさん…だったかな。なんで日本語が喋れるんだろう。思わず反応しちゃったけど、よかったのかな…。


*


 明日香が朝食を食べ終えてしばらく経った頃、ヘルヴァインはナルキスを連れて明日香の部屋を訪れた。無表情のままチラと明日香の方に視線を向けるも、目が合いそうになるとすぐに視線をそらせる。その様子に首を傾げつつじっと見上げていると、ヘルヴァインは観念したように明日香の方を見た。それでも視線が合わないよう額の辺りを見ていることに、明日香はさらに首を傾げた。

 そして、ヘルヴァインは低い声でためらいがちに口を開いた。


 「ワ…」

 「え?」

 「ワタシ、ノ ナマエハ ヘルヴァイン・フィークス、デス。」

 「へ!?」


 ヘルヴァインの開口一番の日本語に、明日香はあんぐりと口を開けて目を見開いた。ピキンと時が止まったかのような静寂の中、ヘルヴァインの気まずそうな表情だけが明日香の目にとまっている。あまりの衝撃で息が止まり、慌てて肺に空気を送り込んでいると、後ろで控えるナルキスが満面の笑みで固まっている姿が目に入った。


 ヘルヴァインが口に指をあてて『分かるか?』という表情を向けている。明日香はハッとして、勢いよく首を縦に振った。


 「ア…アナタ、ノ ナマエハ ナンデスカ?」

 「え?あ、えと…」


 明日香は軽く呼吸を整え、姿勢を正してニコリと微笑んだ。


 「私は(たちばな)明日香…じゃなくて、アスカ・タチバナです。」


*


 明日香の名前と年齢だけを確認して、ヘルヴァインは笑顔を貼りつけたままのナルキスと共に早々に部屋から出て行った。


 ----あれは雑だったなぁ。


 扉に手をかける直前に思い出したように振り返り、側にいる男を指さして『ナルキス・コンウォール』とだけ言い置き、そのまま再び背を向けた。その時のナルキスのヒクついた笑顔を思い出し、明日香は思わず吹き出した。


 フフフと笑いながらも、みるみる眉尻は下がっていく。皮肉にもヘルヴァインが日本語を喋ったことでさらに謎が深まり、同時に不安が込み上げた。


 ----日本語を喋るということは、日本という国自体はあるってこと?で、行ったことがあるとか?


 もしかしたら帰れるかもしれない。

 周りを見る感じからして今自分のいる時代が現代ではないことは認めるが、せめて日本語が通じる人がいるかもしれないのならそれに賭けたい。


 こういう時に言葉の大切さが身に沁みるな、と溜息をつく。ふと窓の外の明るさが和らいできたことに気付いて立ち上がろうとした時、扉をノックする音がして跳ねあがった。


 「は、はい!」


 明日香の返事から少し間をおいて、ゆっくりと扉が開いた。ナルキスが扉を開けてヘルヴァインを通す。ヘルヴァインは明日香が立ち上がって軽くお辞儀をする様子をじっと見つめてから、フイと後ろに視線を向けた。


 「失礼します。」

 「失礼します。」

 「え!?」


 明日香が聞き慣れた言葉に思わず声を上げるが、ヘルヴァインは気にすることもなく中へと進み、その後ろから若い男女の二人組が入ってきた。二人は明日香の顔を見るなり目を見開いて顔を見合わせてから、頷き合って明日香に向き直った。青年が先に口を開いた。


 「初めまして、私はユーグと申します。」

 「え!?え!?」

 「初めまして。ユーグの妹のリムラです。」


 二人はニコリと微笑み、明日香の返事を待った。明日香も挨拶を返さなければという意識はあるものの、続く衝撃に言葉が喉を通らない。声もなく口をパクパクとさせていると、ユーグが『あの…』と心配そうに声をかけた。


 「私たちの言葉、通じませんか?」

 「え!?いえ、違います!まさかこんなハッキリとした日本語を聞くことになるなんて思わなかったので、驚いてしまって…。」

 「あぁ、なるほど!そうでしたか。それならよかったです。」


 慌てて手を振る明日香に、ユーグはホッと胸をなでおろして微笑んだ。

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