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 休憩所でぼんやりと外を眺めながら、明日香は執務室でのことを思い返していた。


 ----やっぱり、ちょっと言いすぎたよね…。


 信頼できないと言った時に見せた、ヘルヴァインの傷付いた表情が頭から離れない。原因は相手にあると何度振り払っても、恩人に向けて言っていい言葉ではなかったという罪悪感が良心に重くのしかかる。頭に血が上っていたと言えばその通りだが、それにしても他に言いようがあったのではないだろうか。


 ----謝りに行く?いやいや、無理!どんな顔して会いに行けばいいのよ!


 隣に座る赤髪の男から自分に向けられるうっとうしそうな視線も今はどうでもいい。口から煙が出そうなほど長い溜息をついたところで、リムラの言葉が耳に届いた。


 「でもなんだか様子がおかしいですね。これ、子供の声じゃないですか?」


 立ち上がり、部屋から出て下を覗きこむリムラの背中を目線だけで追う。明日香は頬杖をつき、今度はグランディスがリムラの側に立つのを眺めていた。綺麗な赤髪が陽の光を受けて一層燃えるように揺らめいている。


 「あの男に関わるとろくなことがないらしい。あの母子も災難だな。」


 グランディスの言葉にパチッと目が開く。明日香は遠くから微かに聞こえる子供の泣き声に気が付き、すぐに立ち上がって休憩所から飛びだした。

 階段を駆け降り、真っ直ぐ走って角を曲がる。コソコソと囁き合いながら眉をひそめる人々の視線の先を見れば、小さな子供を背後に隠した母親が男に腕を引っ張られているところだった。


 「待って下さい!」


 明日香の声に反応して男がゆっくりと振り返る。明日香をジロリと睨みつけ、低いしゃがれた声を出した。どうやら相当酒が入っているらしい。


 「あぁ?なんだお前は。関係ねぇだろ、すっこんでろぉ!!」

 「離して下さい。あなたは怖いです。」

 「うん?片言…お前外から来た女か。ちょうどいい、コイツの代わりだ。そら、こっち来い。」


 男は母親の腕を乱暴に離し、そのまま明日香に腕を伸ばした。明日香は素早く足を半回転させてするりと身をかわし、男の脇を通って母子の側へ駆け寄った。


 「大丈夫ですか?」

 「は、はい。ありがとうございます!でもあなたが…。」

 「私は大丈夫です。さ、早く行って下さい。」

 「でも…きゃあ!」


 母親の声に明日香は振り返り、片足を下げて身構えた。見据える先には身体のバランスを崩して逆上した男が仁王立ちでこちらを睨みつけている。ブツブツと呻き声をもらし、唾を吐いて大声を出した。


 「このアマァッ!!」


 男は大股に近付き、明日香の左腕を掴んだ。その瞬間、明日香は手首を返して腕を回し、足を大きく踏みこんで男を地面にねじ伏せた。腕を後ろに捻りあげ、片膝で男を押さえて冷たい声を出した。


 「なっ…ぐああぁぁ!!」

 「女性に手を出してはいけません。」

 「離せクソッ!このアマ…!」

 「まだ言いますか?」


 明日香は膝に力をこめて男の腕をさらに捻った。視界の端に駆けつけたグランディスとユーグ、口元を押さえるリムラが映っている。明日香は顔を上げてユーグに視線を送り、小さく頷いた。


 「リムラ、俺はナルキス様に報告してくる!アスカさんを頼んだぞ!」

 「分かった。お兄ちゃん気をつけてね!」


 ユーグは身を返し、背中に男の唸り声を聞きながら走りだした。本音を言えば最後まで見届けたいところだが、今はそれどころではない。


 「がああぁぁっ!わ、分かった!悪かった!もう言わねぇ!」

 「…いいでしょう。」

 

 明日香は腕を離し、素早く立ち上がって距離をとった。片足を下げ、辺りに視線を走らせて武器になりそうなものを探す。男の腰には剣があり、こちらは丸腰なのだ。油断はできない。

 男はゆらりと立ち上がり、土まみれの顔をグイッと乱暴にこすりながら殺気に満ちた眼差しを明日香に向けて走りだした。


 「このやらぁぁぁ!!」


 男の手が明日香の首元に迫り、明日香は一歩後ろに下がってそれをかわした。舌打ちと共にさらに伸ばされた手が明日香の胸ぐらに届いたと同時に、男の手首を掴み返してグッと引き寄せ、腕を捻ってもう片方の手で地へと押しこんだ。


 「ぐううぅ…な、なんだお前…!何者だ…!」

 「普通の女です。」

 「な!?ど、どこがだ!ふざけんなテメェッ!!」

 「何事だ!!何をしている!!」


 聞き覚えのある声に反応して、明日香は男を押さえたまま顔を上げた。つい先ほどまで騒然としていた空気がいつの間にか静まり返っている。明日香は目の前に立つ大男の激昂した相貌と目が合った瞬間、あまりの恐ろしさに息を呑んで固まった。


 「ヘルヴァイン様…。」

 「何をしている!早く離れろ!」

 「は、はい!すみません!」


 明日香は咄嗟に身体を離し、急いで男から距離をとった。ヘルヴァインは明日香の方には目を向けず、地に伏せたままの男を射殺すような眼差しで見下ろした。


 「お前はいつまでそうしているつもりだ。さっさと立て。」


 男はバッと立ち上がり、『余計なことは言うな』と側にいた母子と周りにいる者を睨みつけた。さっきまで血が上って真っ赤に染まっていた顔は、一転して青色に変色している。周りからの冷たい眼差しなど意にも介さず、男はサッと眉尻を下げた。


 「領主様!あの女がいきなり私を押さえこんだのです!外国の女のくせに、ベルジー家の息子である私に手をかけたのですよ!」

 「…あの女?」

 「そうです、そこにいる黒髪の女です!怪しい行動を取るので問い詰めたら、いきなり私の腕を捻り上げたのです!!」


 男は明日香に指をさし、唾を飛ばして喚き散らした。ヘルヴァインは真っ直ぐに男を見据えたまま、低い声を出した。


 「アスカのことを言っているのか?」

 「そうです、アスカの…へ?ア、アスカ…?」


 男の顔のパーツがみるみる垂れ下がり、瞳に絶望の色がにじみだす。ヘルヴァインは震える男を睨み下ろしたまま明日香の後ろにいる母子に声をかけた。


 「そこの女。何があった?」

 「はい…あの…この男に乱暴されていたところを、この方に助けて頂きました。そうしたら、この男が今度は彼女に襲いかかったのです。」

 「う、嘘をつくな!!領主様、本当です!この外国の女が先に…ギ、ギャアァァ!!」


 ゴキンと骨の折れる音がして、男は絶叫しながら膝をついた。明日香をさした指が、あらぬ方向に向いている。ヘルヴァインは何事もなかったかのように連れていた護衛兵に声をかけた。


 「この男を連れて行け。私の身内の者に手を出した罪は重い。牢に入れ、相応の罰を与えろ。」

 「はっ!」

 「皆の者もよく聞け!この娘は私の兄ディアン・フィークスの妻であるキョーカ・フィークスの妹、アスカ・タチバナだ!今後この者を害するは私への反逆と捉える!」


 ヘルヴァインは周りに向けて透き通った大声を響かせ、連れて行かれる男の背中を視界の端で確認したあと、踵を返して明日香の方へと向かった。


 「ア…」

 「アスカ!お前、大丈夫か!?」

 「あ、グラン。」


 ヘルヴァインはピタリと足を止め、明日香のもとへ駆け寄る若い男に目を向けた。身につけている武具から、兵士団に所属している者だとすぐに分かった。


 ----なんだコイツは。『アスカ』だと?アスカに向かって『お前』って言ったのか?


 ヘルヴァインはチラと明日香に視線を移した。一瞬合わさった視線はすぐに外され、その外した視線は赤髪の男に向けられている。男に笑いかける横顔に胸の奥がチリとうずき、グッと拳を握りしめて再び歩きだした。


 「お前なぁ、急に飛び出すなよ。一人で男に立ち向かうなんて無謀すぎんだろ。」

 「私は大丈夫ですよ。リムラも心配させてすみません。」

 「もうビックリしましたよぉ!急にいなくなるんですから!今お兄ちゃんがナルキス様のところに行ってます!」

 「それにしてもお前すごいな!さっきのどうやったんだよ。こんな細い腕でどうやって…」


 グランディスが呆れた顔で明日香の腕に手を伸ばす。その瞬間、横から現れた大きな手がグランディスの手首をグイッと掴み上げた。

 ヘルヴァインは赤い髪の下にある濃碧の瞳をジロリと睨み下ろし、腕を払いのけて声だけを明日香に向けた。


 「アスカ、リムラ、私と一緒に執務室に来なさい。何があったのか詳しく話を聞かせてもらう。」

 「え…?あ、はい。分かりました。」


 明日香は呆然と立ち尽くすグランディスに軽く頭を下げ、リムラと共に先を歩くヘルヴァインのあとを追いかけた。


 「な、なんだあれ…おっかねぇ…。」


*


 ヘルヴァインに連れられ、明日香とリムラは執務室へと入った。ここへ来るのもヘルヴァインと会うのも、恩を仇で返すようなことを言ってしまったあの日以来だ。

 ソファに座るようにと言いながら振り返るヘルヴァインに、明日香は深く頭を下げた。


 「ヘルヴァイン様、すみませんでした!」

 「うん?なんだ急に。」


 明日香は頭を上げ、目を伏せたまま言葉を探した。謝る時はリムラの口を借りずに自分の言葉で伝えたい。


 「この前、言いました。とても酷いこと…ごめんなさい。」

 「酷いこと?もしかして、ここで君が私に言ったことを言っているのか?」


 明日香はコクンと頷き、ヘルヴァインを見上げるように顔を上げた。


 「えと…しん…しん…信頼できない、と言いました。あの…信頼できないと思ってません。ごめんなさい。」

 「え?あ…あぁ、いや。元々は私が君を避けていたからだ。君が謝ることはない。」

 「許してくれますか?」

 「許すも何も…。」


 うっ、と声を詰まらせ、ヘルヴァインは不安げに見上げる明日香の顔を真正面から見た。眉尻を下げ、潤んだ漆黒の瞳で懇願するように自分を見つめている。

 息をするのも忘れるような衝撃がヘルヴァインの全身を駆け巡った。

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