笑ってサヨナラ
四月。
長谷川さんがいなくなったコンビニバイトを終え、今日も芝田と金沢と三人で飲むばかり。
芝田は少し前、またテレビドラマに出ており、また一本出演が決まったとウザい自慢をしていた。金沢はバイトを始めて、バイト先に可愛い女の子がいるなぞとまた気持ち悪く笑いながら話す。
そうしてまたなにか自慢をする芝田の横で俺と金沢はエロ談義を繰り広げる。じきに芝田も混じる。途中、また金沢と言い合いになる。そしてまた自慢ばかりする芝田に「殺すぞてめえ!」と罵声を浴びせつつ、結局金沢に奢ってもらい(バイトは始めたが未だ親からの仕送りはたらふく貰っている)、不本意ながらに金沢に向かって頭を下げて店を出る。
その後また二人にビンタを喰らわせ、気持ち悪くなにかほざく金沢と、俺と金沢の言い合いを見て笑い、ビンタをされてもなお笑い続ける芝田に背を向け俺は歩きだす。そうしてじきに力尽きて路上で眠ってしまう。
目を開けると空が明るくなりゆく頃で、目の前に落ちている自分の財布を見つけ中を確認する。なんたることか次こそは本当に盗まれてしまっているではないか。三千円程入っていたのが全て抜き取られている。俺は路上に座りながら「クソが!」と喚く。金以外のものが盗まれていないのが不幸中の幸いであったがこれは中々痛い。溜め息を吐き、なんとか立ち上がって帰路に着く。前よりも少し酷くなっているではないか。クソが。
家に帰って風呂に入り、少し寝てまたバイトに出かけた。長谷川さんが辞めると同時に新しい人が入ったが、特に仲が良いわけでもなく、悪いわけでもない。
夕方、バイトを終わらせ、そのまま帰ろうかとも思ったが、なんとなく少し辺りをぶらぶらして帰ることにした。そうしていつの間にかまた一人、飲み屋で飲んでいた。最近は前以上に少しお酒を飲むことが増えたように思う。
店にあるテレビを見ながら小さく「つまんねえなあ」なぞ呟きながら中々に酔うまで酒を飲んだ。
店から出るとすっかり夜になっており、千鳥足でまた力尽きてしまいそうな中、さすがにまた金を盗られては今月キツいと足を踏ん張る。
そうして顔を上げる力も無く、足元を睨みつけながらなんとか歩いてゆく。「あぁ」なぞという声を漏らし、もはや不審者で間違いはない俺は、酔ってしまっていたことで、また最近になって避けていたあの近所の公園の中に入ってしまう。そうして足元を睨み歩き続けていたがもはや限界で、一度休憩しようと公園内にあるベンチに腰をかける。そうして俯いていたが、思わず前に倒れてしまいそうになったので後ろへと力を入れて背もたれにもたれて、そうしてそのまま後ろに体重を任せ、力なく上を見上げた時であった。
俺の視界に満開の桜が広がる。その光景はあまりにも綺麗で俺は一瞬息をするのを忘れていたように思う。そうして最近、下ばかり見て思い出さないようにしていたあの人の姿を、彼女、泉さんの姿を思い出してしまう。彼女の笑った顔を思い出して、ここ最近抑えていた分なのか、彼女との色々なことが一斉に思い出されていってしまう。俺は思わず「待って」なぞと力なく言ったが、それは待ってくれず、俺は過去の記憶の中に迷い込んだ。
その日は雨で、俺は数ヶ月かけて書いた力作の小説がなんの賞にも全くもって引っかかることなく、ただうなだれて、散髪もせずボサボサになった髪を掻き毟り、意味もなく雨の中を歩いていた。溜め息を吐き続け、俺はある喫茶店に辿り着く。そうして意味もなく歩くのも疲れたのでその店に入る。
席に座り普段あまり飲まないコーヒーを注文し、結局苦くて飲めず、少しだけ飲んでまたひたすらにうなだれた。何故ダメだったのか、それが全くわからず、もうどうすればいいのか、わからなかった。東京に来て二年になる。やはり俺は小説を書く才能なぞないのやもしれない。俺は毎日、何をやっているんだろうか。
そうして俺はうなだれ続けていた。すると突然、女性に声をかけられた。顔を上げるとそこには女性店員の姿があり、コーヒーも飲まずに長居していたからさすがに迷惑だったかと、「すみません」と俺が顔も見ずに謝ると、その店員は「あ、いや、」と一瞬言って黙る。俺がコーヒーを飲み干して帰ろうと、コーヒーカップに手をかけたところで、横から白い手が伸びてきて、俯く俺の視線に入る。その手には銀紙に包まれた四角い何かがある。どうやらキャラメルのようである。
その女性店員はそれを机の上に置いて言った。
「しんどい時は...甘いのを食べると...良いと思います...」
俺はその女性店員の顔を見上げる。まず、綺麗な黒いミディアムヘアが目に入り、色が白く控えめだが可愛らしい顔が見える。彼女はなんだか少し不安そうな顔をしている。俺が彼女の顔を見て「ありがとうございます」と礼を言うと、彼女は頭を下げて去っていった。
俺は机の上に置かれたキャラメルを口に入れる。すぐに口の中に甘さが広がる。俺はキャラメルを食べながら、ようやく姿勢を正した。そうして苦いコーヒーを飲み干して、こうしていても仕方がないかと、立ち上がった。
小さなレジカウンターでまた先程の彼女と対面し、「さっきのありがとうございました、ちょっと楽になった気がします」と言うと彼女は俺の顔を見て、「良かったです」と言って可愛らしく笑った。その笑顔に勝手になんだか安心させてくれるようなものを感じ、俺はまた一瞬息が止まるようになって、そうしてその時、俺は彼女に惚れたのだ。
無論、その彼女こそが泉さんである。
これが俺と泉さんが初めて出会った時のことである。
春、黒いミディアムヘアが春風に揺られる。
桜に吊るされた小さな桜柄の提灯に照らされた泉さんがそこには居て、散りゆく桜の花びらがそこを横切る。奥には数本並んだ綺麗な桜の木が見える。その光景に俺はまた見惚れていた。
そして俺は彼女に見惚れた後、「好き」というシンプルな言葉を彼女に言った。彼女はこっちを見て驚いた顔をした。でも少しして可愛らしく控えめに微笑み、「私もです」と言って更に笑った。そうして僕らは交際を始めたのだ。
彼女はあまりにも、桜の景色に似合う人であった。
夏、夕方、俺と泉さんは花火大会に行った。
彼女は、浴衣は少し恥ずかしい、なんて言って、でもいつもよりお洒落に、白いワンピース姿で来たのである。その姿はなにか儚さのようなものを俺に覚えさせ、まるで夢の中のようであった。
そうして屋台で食べ物を買って食べたり、金魚すくいをしたり、そんなことをして笑っているとあっという間に夜が近づいてきて、もうすぐ花火が上がる。手を繋いで花火がよく見える場所へ向かうのだが、あまりの人混みで中々前に進めない。そうしてある時、人混みに挟まれ、繋いでいた手が離れる。そこで俺たちははぐれてしまう。
それからしばらく彼女を探したがここまで人が多いと中々見つからない。携帯で連絡して、近くにいることは確かなのだが、全然彼女の姿は見えない。それからも人混みをかき分けて、辺りを見渡していく。すると微かに俺の名前を呼ぶ彼女の声が聞こえる。その声の元を必死に探す。でも辺りの喧騒にそれは消されていく。
突然、後ろから袖を引っ張られた。そうして振り向く。するとそこには彼女、泉さんの姿があり、彼女は泣きそうな、嬉しそうな、ホッとしたような、そんな可愛らしい顔で微笑み、「探しました」と言った。その時、彼女の後ろで大きな一発目の花火が咲いた。辺りから歓声が沸き上がり、遅れて彼女も花火の方へと目をやる。俺も彼女の横に行き、花火を見上げる。普段物静かな彼女も思わず「わあぁ、綺麗」と可愛らしい声で言っていた。花火に照らされた彼女の横顔がまた、愛おしく感じた。
彼女と京都へ行った。
そうして鴨川へと行ったのである。言わずもがな素晴らしく綺麗なその景色に二人、見惚れていた。
俺は一歩下がり、彼女の後ろ姿と一緒にその鴨川の景色を見た。そうして持ってきていたインスタントカメラでその光景を撮る。
彼女は俺がカメラのシャッターを切る音を聞いて振り向いた。そして「今撮りましたね」なんて言って少し笑った。普段は物静かな彼女だが、京都に旅行に来ていることもありテンションが上がっているのだろう。鴨川沿いを歩く彼女はなんだか少し飛び跳ねているようである。そのまま飛び跳ねて鴨川にドボンと落ちられても困る。だから僕らは手を繋いだ。
旅館に着き、温泉に入る。混浴でないのが残念であった。部屋に戻ると食事が用意されており、彼女は嬉しそうに「すごい」なんて呟いた。そして俺はまたインスタントカメラを構える。風呂上りで髪の濡れた彼女は座椅子に座り、机の上に広げられた豪華な料理を前に、こちらを見て可愛らしく笑っている。そうしてシャッターを切った。
「早く食べましょ」
そう彼女が言うのを聞いて俺もカメラを置き、座椅子に座る。そうして二人、手を合わせ「いただきます」と言った。彼女は言うなりすぐに食べ始め、たちまち可愛らしい笑顔になるのであった。そうして無論、俺も笑顔になった。
秋、珍しく星が綺麗に見えた夜。
コンビニでお酒と唐揚げやらスルメやらお菓子やらを買って夜の誰もいない公園のベンチで泉さんと二人、お酒を飲んだ。
今までならこんな綺麗な星を見れば、その星々を睨みつけ、なにかまた間抜けなことをほざいていたであろうが、今は彼女が隣にいる。それだけでその星の見え方は全然違っていた。
星々の中にはこれまた綺麗に輝く月があり、俺がふざけて「月が綺麗ですね」なんて言うと、彼女は「死んでもいいわって言ってほしいんですか?」なんて言って、二人、笑ったのである。
冬、クリスマスイヴ。
綺麗な電飾で輝く街を手を繋いで歩く。そうして思わず繋ぐ手を振ってしまう。電飾の輝きを背景に、マフラーに顔を埋めて微笑む彼女はやはり素晴らしく可愛らしかった。そうして昼からのデートを終えて、夜、チキンやジュースやお菓子やケーキやらを買って俺の住むボロアパートの六畳間へと向かう。
特に飾り付けなどしているわけでもないのに、クリスマスの夜の彼女と二人のその部屋は、何故だか暖かい光でいっぱいのように感じた。
そうして小さい机で対面してチキンを食べていく。彼女はまたわかりやすく笑顔になって、小さく「おいし」と呟いた。ケーキを食べてまた二人、笑った。
その後二人で対戦テレビゲームをして、俺が彼女に勝ち、「うぇーい!」なんて言っておちょくった。すると彼女は「もう一回です」なんて言って何度も俺に負けるのであった。
朝、目が覚めると彼女はまだ眠っていた。彼女の寝顔はなにか少し子供っぽく、すごく可愛らしいばかりであった。そうしてしばらくその顔を見つめ、幸せとはこのことであろう。そう思ったのであった。
年明け。
彼女と初詣に行った。賽銭箱に小銭を放り、鈴を鳴らして手を合わせる。そうして少しして、彼女はマフラーに顔を埋めて白い息を吐き、俺の顔を見上げて「寒いですね」なんて言ったのだ。
東京に来て、初めて雪が降った。そして積もった。
泉さんは雪に興奮しており、普段はあまり見れないその子供っぽい姿がそれはそれは可愛かった。二人で白い息を吐きながら小さな雪だるまを作った。完成した時、彼女は「完成しましたね」なんて言って少し首を傾けるようにした。その仕草がまたすごく可愛らしかった。
彼女と出会って三度目の春が来て、その時が来た。
なんとなく最近になって、その時が来てしまうのではないかと不安にはなっていた。そうしてその不安は的中し、我が六畳間で彼女の「別れましょう」という寂しい言葉が発せられた。俺は間抜けらしく、泣きそうになってしまった。でもサヨナラする時は笑ってサヨナラするのが素晴らしいものであろうとの考えのもと、ちゃんと笑ってサヨナラをした。彼女もその少し控えめだが可愛らしい顔で笑った。
その顔がまた愛おしくて、胸の辺りが痛くなってしまった。それでも俺は、笑ったのだ。ちゃんと笑えていたのかはわからない。
そうして僕らは、笑ってサヨナラをした。
はずなのに。
満開の桜を見上げ、俺は眉をしかめて、どうしようもない気持ちになっていた。そうして俺は何故か息切れをして、それでも歯を噛み締めて、立ち上がり、過去の記憶からまた逃げるように走り出した。
部屋に飛び込み、ドアの鍵を閉める。それでも過去の記憶は消えることなく、俺はまた足元を睨む。部屋に上がり、気を紛らわすためにラジオをつけた。いつも聴いている深夜ラジオがやっているはずである。全て忘れて笑おう、そう思った。
ラジオからいつもの笑い声が聞こえて安心したのも束の間、その声が曲紹介を始める。
『フジファブリックで「笑ってサヨナラ」』
そうして俺の息がまた止まり、曲が流れだす。
彼女の俺にしか見せないような、そんな可愛らしい笑顔が浮かんで、なんだか泣きそうにしている顔が浮かんで、少し怒っている可愛らしい顔が浮かんで、いろんな顔が、そしていろんな彼女とのことが、いっぱい浮かんだ。そして俺は泣いた。
笑ってサヨナラしてから、彼女、泉さんは自分の道をしっかりと歩きだした。俺もそうするつもりだった。そうするはずだった。
でも俺はできなくて、長い間言い訳をしながら、間違い探しをしていたんだ。
でも結局、間違い探しをしていたのが、間違いだったんだ。
もう認めるしかない。
泉さんが俺のもとに帰ってくることなど、もうないのだ。
待っていたって来ないし、俺から行っても追いつけない。
泉さんの道の先にもう俺は居なくて、俺の道の先にもう泉さんは居ない。
俺は俺の道を、歩きださなければならない。
俺は窓際の机に向かい、ノートパソコンを置いて起動する。そうしてパソコンの画面を睨むように見ながら、何度も息を吸って吐いた。どれくらいの間そうしていたのかはわからない。でもじきに俺は、文字を書き始めた。
ある程度まで書いたところで俺はパソコンを閉じた。窓からはもう明るい光が差し込んできている。
そして俺はふと目についた紙を机の上に広げる。そしてペンを握る。そして一呼吸。
まだ送るかどうかはわからない。でもどっちにせよ、書いておかなければならないと、そう思ったのだ。
そしてまた一呼吸した。
そうして俺は、泉さんに宛てた最後の手紙を書き始めた。
あとがき
こういう時期になりまして、僕も自宅待機になってしまいましたので、最近は散髪にも行けずにボサボサの髪を掻き毟りながら自室で深夜ラジオに聴き耽ける日々であります。
前に小説を書いてから三ヶ月半程、全然なにも書いていなかったのですが、まあこんな時期だからと久々に書いてみました。やることは早く終わらせたい病によって無意味に急ピッチで書いてしまい、一週間弱で書き終えてしまい、無駄に疲れました。要領良くできないもんかね。
ちなみに作中に出てくるバンドやその曲は勿論僕が好きなものばかりです。
フジファブリック、モーモールルギャバン、野狐禅、キリンジ。是非とも一度ならず二度三度幾度と聴いてみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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