悲しみは地下鉄で
三月。
長谷川さんはバイトを辞めた。そうしてもうすぐ就職である。そうしてその日俺は、長谷川さんの出演するライブに行った。
ライブハウスには何回かだけ行ったことがあり、久しぶりに行ったがやはりこういう場所は中々苦手である。
そうして後ろの方で前の群衆に怯えていると、じきにライブが始まる。怯えながらも、音楽は普通に好きなのでどんなものかと偉そうに姿勢を正す。このライブには四組のバンドが出ており、長谷川さんのバンドは最後、所謂トリである。
一組目のバンドが出てきて演奏が始まる。これが中々良くて思わず調子に乗って体を少々揺らす。
そうして二組目も三組目も中々良くて思わずバンド名を携帯にメモる。そうしてもう満足だ帰ってやろうかなと思ったところで長谷川さんがギターボーカルを務めるバンドが登場した。
ステージに立つ長谷川さんはいつものウザい長谷川さんとは違い、正直に言うと少しカッコよかった。そうして長谷川さんが客を煽り、ドラムが鳴って演奏が始まる。長谷川さんがギターを掻き鳴らし、じきに歌いだす。長谷川さんの歌声を聴いたのは初めてだが、いつものあの姿からは想像できないくらい力強い歌声ですごくカッコよかった。パンクロックである。俺は思わず長谷川さんの煽りに乗って手を上にあげてしまう。そして振ると長谷川さんは俺を見て笑った。俺は心中で「おい俺が女だったら惚れてるぞ!おい!」と叫びながらついにはぴょんぴょんしてしまう。そうしてあっという間に出番時間である十五分が終わり、ライブが終わった。
ライブ後、長谷川さんから連絡が来てまた飲みに行くことになった。俺が先に飲み屋に入って待っていると「珍しく俺より先に来てるなあ」なぞと言ってギターを背負ったいつもの長谷川さんが入ってきた。やはりいつもの長谷川さんである。少し上機嫌にも見える。そうして席につき、二人ビールを頼んだ。珍しくちゃんと乾杯というものをして長谷川さんはそのビールを一気に飲み干した。そうして近くにいた店員に「ビールおかわりお願いしまーす!」と笑いながら言った。
俺は単刀直入に「最高でしたよ」と言うと長谷川さんはみるみる笑顔になる。その笑顔を見て、こりゃあモテるだろうなあと、つい思ってしまった。ウザいことに変わりはないだろうが。
長谷川さんはニコニコしたまま「だろお!」と声デカく言った。そうして「今日は飲むぞお!」とまた声デカく言った。
そうしてしばらく食って飲んでまた長谷川さんの彼女とのクソのろけ話を聞き流して、長谷川さんの面白いトークでまた笑った。そうしてしばらく飲んだ後、長谷川さんが言う。
「俺やっぱ辞めらんねえわ」
「だと思いましたよ」
「うん、就職してからも仕事しながらなんとか続けてみるわ、こりゃあやめらんねえわ、パンクロックだわ」
そうしてまた長谷川さんはうるさく笑った。俺も少し笑った。改めて、この人はウザいけどカッコいいなと思った。
長谷川さんとはそれきりになった。
しばらくして、長谷川さんのバンドがテレビに出ているのを見て改めてカッコいいなあ、なんて思った。
芝田の出ている舞台に誘われて行くことになった。金沢も誘われてはいたが、大学を卒業してようやくバイトだけは始めたらしく、いっちょまえに「仕事あるから無理だわあ」とかなんとか気持ち悪くほざいておった。
そうして地下鉄に乗って舞台を観に行った。ちなみに舞台を観るのは初めてであった。
慣れない席に座り、携帯をいじりながら待っていると舞台が始まった。まず二十代後半くらいの男の人が出てきて彼の独白から物語が始まる。どうやら彼が主人公らしい。たしか芝田は主人公の友人役ということである。物語の内容は簡単に言うと少し変わった青春物語であった。
そうしてしばらく主人公やヒロインのシーンが続く。正直特別面白いわけではなかった。そうしてなんとなくで観ていると突然として芝田が登場した。正直また笑ってしまいそうになったがここではそういうわけにもいかないので真面目に姿勢を正して観た。そうしてなんだか悔しいことに中々上手い芝田の演技を黙って観続けた。
物語中盤、途中から中々面白くなってきて割と引き込まれてしまった。芝田の演技も正直なにか心を動かすものすらあってしまう。そうしてもう芝田の姿に笑ってしまう様子もなくなった俺は、舞台に釘付けになってしまうのであった。
物語終盤、芝田の叫びのシーンがあった。これが中々参ったもんで胸に響くような感じになり、俺は思わず感動なるものを覚えてしまったのであった。そうしてまた、芝田なんぞに対して、カッコいい、なぞいうことを思ってしまった。なにか悔しいなぞという感情が湧いてしまったが、実際、俺は今このような状況で、悔しいなぞという感情を湧かす資格があるのかと、そんなことを思ってしまった。
そうして舞台が終わった後、打ち上げがあるという芝田に挨拶をすることもなく、一人、早々と帰ることにした。外はもう夜であった。いつの間にか雨が降っており、折り畳み傘を差して歩き出した。
地下鉄に乗って一人、帰路に着く。
電車内でまた泉さんのSNSを覗き見る。すると更新があり、なんと泉さんの写真まであるではないか。そうして写真を開こうとしたとき、呟きを見て気がついた。彼女は大学を卒業したらしい。そこでなんだかよくわからない感情になってしまった。なにか彼女がまた遠くに行ってしまうような、そんなことを思うのであった。
そうして写真を見る。そこには袴姿の可愛らしく、いや美しい彼女、泉さんの姿があった。約一年ぶりに見た彼女の姿は袴姿だからやもしれんが、少しばかり大人っぽくなったような気がする。そうして俺はなんだか、参ったなあ、なぞと思ってしまった。俺の知る彼女が、どんどんいなくなってしまうのではないか、そんなことまで思ってしまい、なんだか切なくなってきてしまったので気を紛らわせようと携帯でポップな音楽を聴こうとした。
そうして、モーモールルギャバンの「パンティー泥棒の唄」を聴いてやろうとしたのだが、間違って上にあった、同じくモーモールルギャバンの「悲しみは地下鉄で」を再生してしまう。そうして曲が流れだしてしまった。
地下鉄に揺られ、車内の人混みに押され、俺は一人、またなんだかよくわからない感情に押し潰されそうになってしまった。
長谷川さんも芝田も、様々な努力を重ね、自分の道をどんどんと進んで行く。あの金沢であれどあいつなりに自分の道を進んで行っているのである。そうして勿論、彼女、泉さんも自分の道をどんどん進んで行っており、これからもどんどんその道を進むことであろう。その彼女の進む道の先に果たして俺が居るのであろうか。俺が居るのは彼女のずっと後ろなのではないか。もしそうであった場合、いやきっともはやそうであろうが、彼女は果たして本当にUターンをして、俺のもとに帰ってきてくれるのであろうか。「俺は待つ」なぞということばかり俺は言っていたがやはりそれはただ結論が出てしまうことが怖くて逃げていただけなのではないか。もう結果なぞわかってしまっているのではないか。そんなことを一斉に思ってしまった。
挙句には、彼女はもはや俺のことなど覚えてすらいないのではないか、なぞとそんなことすら思ってしまう。しかし実際にそうである可能性も充分にあってしまうのではないだろうか。
みんなが自分の道を進む中、俺はずっと腕を組んで偉そうに座っているだけではないか。
そうしてまた、夜のサービスエリアでの芝田の口から発せられた「白黒はっきり」という言葉が俺の頭の中をぐるぐるとまわる。
どうすればいいのか、どうするべきなのか、それはもうわかってしまっている。ただそれが俺にはできずに、言い訳ばかりをして、もう一年が経ってしまった。そうわかっているのに、それでも俺は電車内でただ、俯き、歯を噛み締めるばかりであった。
もう全て、わかってはいるんだ。