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間違い探し  作者: 膝野サラ
2/7

咲き放つ桜、春の独白

前年、三月。


俺は今、これをなんにもしてないと言わず何をなんにもしてないと言おう、などと言ってやりたくなるほどになんにもせずに、六畳一間の自室の畳の上で窓際にある机に背を預け座っている。

一週間前に彼女にフラれ、時を同じくして以前からのサボり癖が高じてバイトをクビになり、次のバイトを探すことも面倒でここ一週間ずっとこうである。

先程まで我が恥ずかしがり屋の息子、チン三郎を慰めていたところであったが、それを終えるとまたやることがなくなってしまい、そして今である。ちなみに我が息子はチン三郎という名前だが、別にチン一郎やチン二郎がいるわけではない。まあはなから息子は一人と決まっているのだから当たり前なのだが。

そうしてボーっとしながら、また一週間前の事を思う。


なんとなく最近になって、その時が来てしまうのではないかと不安にはなっていた。そうしてその不安は的中し、この部屋で一つ年下の彼女の「別れましょう」という寂しい言葉が発せられた。俺はそりゃあ迷いはしたが、サヨナラする時は笑ってサヨナラするのが素晴らしいものであろうとの考えのもと、ちゃんと笑ってサヨナラをした。彼女もその少し控えめだが可愛らしい顔で笑った。


しかし俺は今でも彼女とそのうちまた結局、復縁できるだろうと思っている。いなくなってから気づく大事さというのがあることくらい俺は知っているのだ。だからきっとそのうち彼女も俺の大事さに気付いてくれることであろう。だから今は待ちである。

そうしてまた俺は彼女のSNSアカウントを覗き見る。相変わらず更新はなし。別れる前からだからもう数週間は更新がない。なにか可愛い猫の動画にいいねはしているようだが他には前となにも変わっていない。元々彼女はSNSなどを頻繁にやる人間ではないので更新があることに期待しているわけではないのだが、結局毎日こうして彼女の「泉」というシンプルな名前のアカウントをフォローもせずに覗き見る日々である。


腹が減った。しかしもうあまり金がない。どうしたものかと頭を悩ませていたら、ちょうどその時メールが来た。そうして携帯に表示された俺が名前登録した送り主の名前は「芝」。

「ハラヘッタ」

これは丁度良いと「バイトクビになって金ない、てめえが奢ってくれるならいいよ」と送ると向こうは「金沢(かなざわ)も呼んでるから大丈夫」と送ってきた。

そうして一週間ぶりに外に出た。

外はもう夕暮れ時であり、久々にちゃんと見た空は無駄に綺麗に見えた。


居酒屋に着くと既に二人は飲んでいた。軽く挨拶をして席につく。ビールを注文して、既に机の真ん中にあったフライドポテトを食べる。

芝田(しばた)が口を開き、またなにか鬱陶しそうな自慢をしているみたいだがそれは無視して、俺と金沢は最近見たエロ動画の情報交換を始める。そうして芝田も話を聞いていない俺たちに腹を立てながらも最終的にその話に混ざる。いつもの流れである。

そうしてエロについて談義を始めたのだが、金沢が「吉野(よしの)ぉ、君はなにもわかっていない」なんて言うものだから、まだ酒も入ってないのにヒートアップしてしまう。


芝田と金沢とは高校時代の同級生である。高校卒業後、俺が、地元から上京と呼んでいいのかわからないくらいの距離にある東京に上京したと時を同じくして二人も上京し、今でもこうして無駄な時間を共にしている。

芝田は高校卒業後、なんとなく就職も進学もせず、なんとなくで高校時代演劇部に所属していた関係上、なんとなくで上京し芝居をやっており、なんとなくな才能があるらしく、ルックスもなんとなく良いことから、どこの誰からだか知らない評価とやらは高いらしいなんとなくクソ野郎である。

金沢は高校卒業後は東京の大学に進学し、現在大学四回生、もうすぐ五回生。親が金持ちで昔から飯をたらふく食っていたこともあり、見事な百貫デブである。毎月親から貰える中々の金額の仕送りのおかげで、バイトもせずいつも家でゴロゴロしたり、風俗に行ったり、ゲームセンターで遊んだりという生活を続けており、挙句の果てには二回生時、一度留年してしまい、本来今年卒業のはずがもう一年行かねばならぬという始末。とんだダメブタ野郎である。あと素人童貞である。しかしたまに飯や風俗を奢ってくれるので縁は切り難い。



そうして酒は進み、エロ談義は最終的に俺が金沢にブチギレて、俺がキレる姿を見て腹を抱えて笑う芝田にもブチギレた挙句、疲れてやめた。

するとまた芝田が自慢を始める。なんということか今度テレビドラマにちょい役で出るらしい。だれだれに気に入られてだの、あの俳優が主演なんだよだの、あまりに自慢が鬱陶しいので「殺すぞてめえ!」と言うと金沢も「奇遇だな、俺も今殺そうと考えていたんだ」と賛同してきた。そうしてその後もしょうもない下ネタで大爆笑したり、またしょうもないことにブチギレたりした。何故かいつもこうして飲んだ後はヘトヘトである。そうして金を出してくれる金沢に不本意ながらに頭を下げて居酒屋を出た。

居酒屋から出るとすっかり夜も深まりかけであった。

疲れたなぞと地べたに座り込む金沢にまた先程の怒りが湧いてきて「てめえさっきのことは許してねえからな」と罵声を浴びせると、なんたることかこのブタ野郎は「へっへ」なぞと嘲笑いやがったので「死ねタコブタ野郎!」と更に罵声を重ねると芝田がまた腹を抱えて笑い始めた。

あまりに腹が立ったので二人に一発ずつビンタを喰らわしてやり、酔いが回って上手くキレることさえままならず「叩くのはなしだろぉ」なぞ言う金沢と、それでもなお笑い転げる芝田に、背を向け俺は歩きだした。


千鳥足で家までの数十分の道のりを歩いていたが、じきに力尽き路上で眠ってしまった。


目を開けると若干空が明るくなってきていた。硬い地べたで寝ていたせいか体が痛く、起こすときに「ゔゔあぁ」などという間抜けな声が漏れる。すると目の前に財布が落ちていた。なにか俺の財布に似ている。俺の財布にそっくりである。もはや俺の財布である。いや間違いなく俺の財布そのものである。

俺は「があっ!」などという間抜けな声を出しながら急いでその財布に手をかける。財布の中には数百円しか入っておらず、やられた!と焦ったが思えばはなから金など入れていないのである。そうして何故か肩を落としてしまう。家にある貯金を含めてももう長くはもたぬであろう。そうして立ち上がり、更に肩を落として家に向けて歩きだした。

歩きながら、そういえば芝田ドラマに出るって言ってたなと思い出し、溜め息を吐きながらも、心中で「バイト探すか」と呟いた。



四月。

あれからバイトの面接を受けるも何度か落ちてしまい、金がなくなっていき、金沢に借りることも考えたのだが、前にも一度借りたことがあるのだが、あいつ、親から貰った金のくせにあまりに催促を迫ってきやがるのだ。だからそれが鬱陶しくて嫌なので、少ない貯金を切り崩し、できるだけ眠り、できるだけ一日一食に抑え、結局何度か金沢に飯を奢らせて、食い繋ぎながら、少ししてなんとかバイトにありつけた。

給料日まではまだ少しあるが、「まかない」なる素晴らしきものがあるのでだいぶ楽にはなった。ちなみに家賃は滞納した。大家のおばさんの睨む顔が怖かったがなんとか一ヶ月だけならと許しをもらえた。


バイト先は飲食チェーン店であり、昼から夜にかけて週四、五回程入っている。

割とみんな仲良さげだが、俺は人見知りが大いに発動して特に仲が良い人などはいない。しかしまかないは中々に旨く、時給も悪くないので非常に満足である。一つ問題があるとすれば店長が女には甘く男には厳しいというところであろうか。これが中々面倒である。一度バイトの休憩時間を少しだけ間違えたのだが、それだけで少々怒鳴ってきたのだ。今までの経験からするにこういうパターンであると、日が経つごとに腹が立ってきて三ヶ月もせずに辞めてしまいそうである。そうやっていつもの悪い癖により、早くも良からぬ方へと考えてしまっている。



四月上旬の桜は綺麗に咲き放っているであろうが、俺は桜を見上げることなどなく、金が落ちていないかとずっと下ばかり見ていた。参ったもので落ちてそうで中々落ちていないものである。


夜、バイトの帰り道、その日も下ばかり見て落ち金を探していたのだが中々見つからず、疲れて背伸びをした。そしてその時、満開の桜の木が目に飛び込んできたのである。そこは桜の木が数本並んでいる近所の公園であった。

その夜桜を見上げ、思わず見惚れてしまった。見惚れながらなんとなく溜め息を吐く。そうしてふと横を見たときであった。



黒いミディアムヘアが春風に揺られる。そこには彼女、泉さんの姿があった。

桜に吊るされた小さな桜柄の提灯に照らされた泉さんがそこには居て、散りゆく桜の花びらがそこを横切る。奥には数本並んだ綺麗な桜の木が見える。その光景に俺はまた見惚れていた。



それは過去の記憶であり、現実、横に彼女の姿はなかった。

もう約二年前になる。今俺が立っている場所とまったく同じ場所に約二年前のあの日も俺は立っていたのだ。

そしてあの時俺は彼女に見惚れた後、「好き」というシンプルな言葉を彼女に言ったのだ。彼女はこっちを見て驚いた顔をしていた。でも少しして可愛らしく控えめに微笑み、「私もです」と言って更に笑った。そうして僕らは交際を始めたのだ。


俺は一人で何故だか「ふっ」なぞと笑ってしまった。そうして桜を見ないように再び下を見て、落ち金を探し始めた。桜なぞ今更見たところでなんの腹の足しにもならんのだから金を探せ。そう自分に言い聞かせた。

その日から俺は桜が散るまで、その公園を避けて帰るようになった。



ある日の夕方、自室の窓際に置いている木製のカラーボックスを横にしただけの机に向かい、俺はいつものように手紙を書き始めた。泉さんへ宛てた手紙である。と言ってもあくまで俺は彼女が帰ってくるのを待つのであるから、実際に送るわけではない。

かつて、と言ってもそんなに前ではないが、俺は彼女と文通をしていた。まだ彼女と付き合い始めるよりも前に、俺の方から、前からこういうのに憧れがありやってみたいんです、と彼女に言うと了承してくれたのだ。そうして文通は始まった。文通の内容は日頃あったちょっとしたことを書くだけである。それで良いのだ、それが良いのだ。俺の字は汚く、小説家を目指していると言うのが本当か疑いたくなるほど文も下手なのだが、彼女の書く字はすごく綺麗で、文才も俺よりも遥かにあるようであった。そうしてその文通は付き合い始めてからもたまに送り合い、別れるまで続いた。別れてからも送るわけではないのに、半ば習慣のように書いているのだ。

そうして今日もペンを走らせる。小説を書こうとしても全然動かないペン(と言っても小説はペンではなくパソコンで書くのだが)は、慣れもあってすらすら進む。

「今年も桜が咲きましたね。近所のあの公園の桜は今年もすごく綺麗です。付き合う前、あの桜を二人見上げたことを懐かしく思います。最近はいつもバイト帰りにあの桜を見て帰るようにしています」

なぞというつく必要もない嘘をついてしまった。彼女と別れてからの自分は正直とても彼女に見せられるものではなく、本当に送るわけでもないのについこうしていつも嘘を書いてしまう。実際は桜から目を背け、落ち金探しとして下ばかり見ているのに。

そうして今日も数十分かけて送りもしない手紙を書き終え、窓の外に目をやった。もう日が暮れかけている。明日もバイトかあ、なんて思っていると何処からかやってきた桜の花びらが窓の外を横切った。いくら目を背けてもこうしていつも目の前を通り過ぎてゆくのだ。それでもまた過去の思い出から目を背けたくて窓を閉め、カーテンも閉めた。

電気をつけていない六畳一間は窓からの明かりがなくなると中々に暗く、なにか無駄に寂しいように感じてしまった。だから電気をつけ、「俺はいつまでも待つぞ」と静かに自分に言い聞かせるように呟いた。



月末になるとようやく給料が入って生活はだいぶ楽になったが、特別欲しいものがあるわけでもないし、大きく変わったことと言うのはない。先月と変わらず、一人、部屋でチン三郎を慰め続け、なにもやることがなくなったらまた泉さんのSNSアカウントを覗き見るばかりである。あれからも相変わらず更新は少なく、その数少ない更新も、風景の写真をアップしていたり、本の写真付きで「この本面白かった」と呟いていたりであった。ちなみに彼女が呟いていたその本は購入して読んだ。

あれからも彼女からの連絡はない。どうやら思った以上に俺の大事さに気づくのにてこずっているようである。まあいい、心配せずともそのうちその時が来ることであろう。

そうして綺麗に咲き放つ桜からはできるだけ目を背け、地ばかりを見てバイトばかりをしているとあっという間に四月は過ぎていった。



五月。

夜、また金沢の奢りで居酒屋へ行った。そうしてまた必要性を感じない近況報告やらエロ談義を繰り広げる。酒も進むが、三人ともあまり飲みすぎないようにした。この後予定があるのだ、というかそちらがメインである。

そうして居酒屋から出て、電飾の輝く汚い街を三人の汚い男が歩いて行く。金沢がこの後のことを想像しているのか早くも気持ち悪く「ヒヒッ」なぞと笑っている。かと思えば芝田までもが気持ち悪く笑っている。ちなみに当然俺も気持ち悪く笑っている。

そうして気持ち悪く笑う三人の男が辿り着いたのは、天国、そう、おっパブである。

店の前で三人揃って顔を引き締める。何故だかわからないが、どうしてもこういう店に入るときは少しばかりカッコつけてしまう。すぐにその引き締めた顔は先程の気持ち悪い顔に戻るのだが。

ちなみに勿論こちらも金沢の奢りである。


店内はやはりあの独特なピンク色に染められており、早くも心が躍るようである。いやあしかし中々久しぶりである。

そうしてそれぞれ離れた席に座り、心がぴょんぴょんするのをなんとか抑えておなごが来るのを待つ。そうしてじきに来た少しぽっちゃりめなおなごはバニーガールのような格好をしているが、あまりに布の面積が少なく、たわわな胸の辺りに関してはスケスケで服という物の役割をもはや果たしていない。しかしこれが良い。そうして俺はたちまち引き締めていた顔をゆるゆるにゆるめてしまった。

おなごは一度身をかがめ、何か挨拶をして名乗ったようであるが、名前なぞ全く覚えていない。

そこからはまず一緒にお酒を楽しむ。しかし正直酒などどうでもいいのである。そうして次第におなごが我が膝上に跨ってくる。もう鼻息を止めることなどままならない。そうして我が顔に柔らかい二つのものがあたる。そして次第に我が顔はその柔らかい二つのものに埋れていく。そこからの記憶は曖昧である。気づけば店を出るところであった。あまり詳細な記憶はないが、とにかく、柔らかかった、幸せだった、というピンク色の気持ちが残る。外に出ると芝田がおり、顔がボトボトと落ちてしまうのではないかと思うほどにゆるゆるである。きっと俺もこういう顔をしていることであろう。

そうして金沢が出てくるのを待つ。じきに金沢がまたゆるゆるの気持ちの悪い面をさげて出てきたのを見て俺と芝田は二人、心を込めて「ありがとう」と頭を下げた。金沢は「いいのだよぉ」なぞと気持ちの悪い声でほざいていた。

そうして芝田が空気を読んだかそれとも自分のためか、「じゃあそろそろ」と言うのに頷き、我々は解散した。

そうして足早に家へと向かう。家までの数十分、ずっとソワソワしていた。おそらくあいつらもそうであろう。そうして住居であるボロアパートが見えてくる。思わず小走りになりながら自分の部屋へと入り、すぐにズボンを下ろし腰を下ろす。そうして先程の柔らかい感覚を思い出し、チン三郎をよしよしと慰め始めるのであった。



猫背になったチン三郎を撫でてやり、ぐったりと壁にもたれる。そうして冷静になって、ふと、たわわな乳ではなく、泉さんの控えめで可愛らしい胸が恋しくなってしまった。このまま寝てしまうとまた彼女の夢を見ちゃうなあと思ったので軽くシャワーを浴びた。

部屋着に着替え、窓際の机に向かう。そうしていつも通り泉さんへ宛てた送りもしない殆ど嘘ばかりの手紙を書く。また数十分かけて書き終え伸びをする。窓の外は徐々に明るくなってきている。

そしてふと思い立ってノートパソコンを机の上に置いて起動し、久しぶりに小説を書こうとしてみた。

しかし結局手は動かず、一文字たりとも文字が現れることはなかった。高校卒業後、就職も進学もせず、小説家を目指していたはずが、いつの間にか二十二歳になり、もう何ヶ月もなにも書いていない、書けていない。

そうして「今日は駄目だ」なんていつも通り一人呟き、泉さんのSNSを覗き見て、昼からのバイトに備えて布団に潜った。

結局その日、泉さんの夢を見た。

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