前
人を、ポタージュにしたら美味しそうな野菜に見立てると、緊張しなくなるらしい。
じゃがいもやら、かぼちゃやら。まあ、定番の話である。私も学芸会、発表会、入学式の答辞など、いく度ものピンチをこの方法で切り抜けてきた。
目をつぶり、頭の中で「ルブタジベ・ルブタジベ・イサーヤ」と唱えれば、私の眼前のすべての人間はひとしく非常においしそうな根菜となるのだ。つやつやとして、汚れもなくて。
ちなみに、胴体はそのままなので、食べてみようと思ったことはない。
そんなことを徐々に繰返していくと、わたしの想像力も進化するようで、だんだん野菜のバリエーションは増えていった。
クラスのマドンナはマッシュルーム、イケメンの彼は空芯菜。いつもニコニコしてる彼女はきっと実は心に穴が空いている。ということでれんこん。
私は自在に彼らを野菜類(1部の果物を含む)にできたが、もちろん、呪文という名の思いこみをとけばかれらは普通の人間に戻るはずだった。
それに、呪文をかけねば彼らはただの人間に過ぎなかった。
わたしだって、つねに野菜ばかりと日常生活を共にする、そんなファンタジーでかなしい世界線に生きているわけではないのだ。
ーーーーーーしかし、朝起きて鏡に映る光景を見て今私はおおいに困惑していた。
独特の香り。
さわさわと生える産毛。
パジャマの上に、どうやってバランスを保っているのかすら分からない巨大な紫蘇が、ゆらゆらと、鏡越しにこちらを見ている。
頼りない茎が、首のようにパジャマの裾に刺さって、少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうだった。まさか、自分が野菜になってしまうとは。
どうしたものか、考えた。まるで、グレゴール・ザムザである。
毒虫じゃないだけましなのかもしれない。少なくとも、紫蘇が道を歩いていても、まさか反感は抱くまい。驚かれるかもしれないが、ここ最近マイノリティは市民権を得つつあるようだし、他人に危害を加えないなら、さしたる問題はないだろう。服を着た紫蘇が歩いていても、少なくともわたしはどうでもいい。
あらためて、わたしのかつてなく青々しい顔を眺める。
さて、いつもならば洗顔をして化粧水をして、など面倒な工程を踏まなければならないのであるが、紫蘇ならそれも免除されるだろう。ヘアアイロンもいらないし、メイクもいらない。すばらしい。
現在のわたしのザラザラとした肌といったら、いかにも日をたっぷり浴びて育ったかのような健康具合である。
うーん、もしかしたら、紫蘇というのは人間より楽なのかもしれない。草生えるなぁ。
ーーーーーーーーーー
朝食にて。
「まりなちゃん、元気ない?」
体温計を持っておろおろしている母は、どうやらブナピーであるらしい。まあ、白いし、ブナピーみたいな体型してるし、納得。
家で緊張することも無いので、想像の中でも、母を野菜化したことはなかった。
母は、紫蘇となった娘を見ても何も言わない。
「ママ、体温計多分それケースだけだよ」
「うそぉ」
ブナピーはおろおろしている。なぜケースしかないかと言うと、私が先日なくしたからだ。けれどそれは言わずに黙っておく。探すのには面倒が伴う。
わたしはブナピーを後目に朝食を食べる。紫蘇がどうやって食物を食べているのか、全然わからないが、口に運んで飲み込んでいるのだから私はきっと食べているのだろう。
直径1センチもない茎の、細い喉に通る量じゃないんだけどなぁ、と考える。
でもきっと、だいたいこの世のほとんどのものは紫蘇の喉のようなもので、多少無理が利くのだ。最初から無理が利くようにできているのだ。
わたしの古い記憶によれば、ザムザは人間用の食べ物を食べていなかったように思う。
とりあえず、ザムザよりは状況がマシであるってことだ。親も、紫蘇である私を見ても何も言わなかったし。
人間、下を見れば何となくやる気が出てくるものだ。
でもいま、わたし、人間か?
いや、紫蘇だなぁ。
ーーーーーーーーーー
ピーマン、ペコロス、里芋、アーティチョーク、エリンギ、豚肉……、豚肉?
登校してひとまずクラスを見回していると、豚肉がいた。
思わず顔を見てしまう。
あきらかに、発泡スチロールのパックに入った豚肉切り落としだった。よく目を凝らしてみると、200gと書いている。人間の脳がわりにしてはあまりに軽過ぎるのではないか、と思う。
あっ、豚肉がこちらを振り向いた。なんとなく、気まずくて目を逸らした。
(野菜、であるとも限らないのね……。)
豚肉切り落としは、数人の人参、里芋、大根らと談笑している。
あれらは、もしかして豚汁を構成しているのだろうか。それならば、かれらの馬が合うのも納得だ。必ずよき友になれるに違いない。
そうか、人間関係=料理であるのか。初めて気づいた。
仲の良い友達同士は相性がいい。たとえば、2つ隣の席のじゃがいもちゃんときゅうりちゃんの2人の少女らは、きっとポテトサラダを構成するので仲が良いのだろう。
逆に、仲良く接しているように見えて、実は仲良くないのもいる。
パセリちゃんと、ニラちゃんは、互いにニコニコしているようで、全然合わないから、それは外面だけなのかもしれない。
他には、前述したようにクラスのイケメン男子は、中が空っぽの空芯菜だったし、クラスのマドンナはマッシュルームがいる。
「まりなー、どうしたの、数日休んでたから気にしてたけど、いつも以上に挙動不審よ」
そして、なにより私の親友たる、いつもにこにこしているからきっと心に穴が空いているれんこんちゃんだ。
「れんこんちゃん」
「れんこん?いつにもまして意味不だけど」
「いや、れんこんっぽい顔をしてるなぁと思って」
れんこんちゃんは不思議そうな顔をしている。逆で言われたらそれこそ気が触れたか疑うだろうと、私も思う。
「れんこんっぽい顔って、それ褒めてるの?」
うーん。言葉に困る。穴ぼこがたくさんあいている、とも言い難い。
「……れんこん美味しいよ。」
いまいち目がはてなマークになっている、れんこんちゃんの顔をじっとみていると、わたしはふと驚かされた。
れんこんちゃんの穴から向こうが見える。向こうから、豚肉切り落としが歩いてくるのだ。
ーーーーーーーーーー
「宮本さん。」
200gの豚肉切り落としは突然わたしの名を呼んだ。
れんこんちゃんとわたしはびっくりしてそちらを見た。パックに包まれて、顔は判断できないが、どうにも怒っているようである。いや、生肉の赤さゆえそう見えるだけなのかもしれない。
「れんこんちゃん、どうしよう」
小声でささやく。
「こそこそ話ししてないでさ、今日放課後第2多目的室前来れる。」
豚肉の声は、幼さが混じりながらも強がっているようだった。なんだか、むしょうに喧嘩を売られている気がした。行ってやらあじゃないか、と、わたしは思う。
「行ってやらあじゃないか。」
と、気づけば口に出していた。
豚肉ははっと驚き、れんこんちゃんも唖然としてこちらを見ていた。
わたしも驚いたが、わたしはなんてったって現在紫蘇なのでしょうがない。
れんこんちゃん、行くよと声をかけ、わたしは豚肉から逃げて、女子トイレへと向かった。わたしは早急にれんこんちゃんに、あの豚肉は誰なのかを確認する必要があった。