第八話 ゴブリン討伐隊
村長と女冒険者のルーテルは話を付けたのか、翌日には村人たちから有志を募って三十人ほどのゴブリン討伐隊が編成された。
宣言通りシアも討伐隊に志願し、大人たちに渋い顔をされながらも何とか同行を許可された。
本来であれば足手纏いと見做されているシアを連れていく余裕などないのだろうが、今回はBクラスの冒険者がいる。おそらくはそのことも考慮され、シアの初めてとなる討伐隊参加が認められたのだ。
「い、いよいよだな。つ、ついに俺の時代だ……」
討伐隊に加わり、村外れの森に巣食うゴブリン退治へ向かっていたシアは、木の棒の柄を撫でつけながら震える声で呟いた。
「兄貴、息が荒いぞ。ちょっと落ち着け」
「お、お、落ち着いてるわっ」
横にいたヨシュアに囁かれ、シアはムキになって言い返す。
今ヨシュアの言葉を認めたら、自分が緊張していることを自覚してしまい、途端に足が竦んで動けなくなりそうな気がしたのだ。
「ったく、どこが落ち着いてるんだか。大人たちも、なんだって兄貴の参加を認めたんだか……」
「うわぁ。本当にシア兄ちゃんも来たのか」
するとシアの声が聞こえたのか、討伐隊の中からヨシュアの友達がぞろぞろと現れた。
「な、なんだお前ら」
「シア兄ちゃん、大丈夫か?」
「今からでも帰った方がいいじゃないか?」
「あんまり前に出過ぎて怪我すんなよ」
面食らうシアに、少年たちは好き勝手言って来る。シアは頭にきて木の棒を振り上げた。
「うるさい、うるさいっ! 俺を馬鹿に――」
「うるさいぞっ! シアっ!」
「あ……ご、ごめんなさい」
少年たちを怒鳴りつけたシアは、逆に前列にいた大人に怒鳴られて頭を下げた。そんなシアを、少年たちは生温かい眼で見守っている。
「な、なんだよ……」
「まぁ、来ちまったもんは仕方ない。お前ら、シア兄ちゃんに怪我させないようにしようぜ」
「当り前だろう。シア兄ちゃんは弱いから、俺たちが守ってやんなきゃな」
「ったく。ほらみろよ。兄貴が無謀にも討伐に参加するから、こいつらが妙に張り切っちまう」
シアをそっちのけで盛り上がる自分の友人たちに、ヨシュアが面倒臭そうな視線を送る。だが、シアの知ったことではなかった。
「俺は別に頼んでないっ。もう、分かったからあっち行ってくれ……」
シアの声など聞こえない様子の少年たちに、しかし先ほど怒られたためこれ以上大きな声は出せない。
げんなりとしたシアだったが、ある意味彼らのおかげで先ほどまであった過剰な緊張がなくなっていることには気付かなかった。
「ここで一旦止まりましょうっ」
村はずれの森を前にして、先頭を歩いていた女冒険者のルーテルが鋭い声を上げた。
「情報ではゴブリンの数は五十を超えるとのことですが、日頃からゴブリン退治に慣れている皆さんなら問題ないでしょう。彼らは人間に比べて鈍重で非力なので、一対一で負けることはまずありません。一度に複数のゴブリンを相手取ることだけは避けて下さい」
「お、おう」
冒険者として経験を積んできたルーテルの言葉に、村人たちは神妙な顔で頷く。
「こちらは少数ですが、奇襲を掛けられる点においては有利です。ゴブリンたちが纏まってこちらへ応戦を開始する前に片を付けましょう」
ゆっくりと腰元の剣を抜いたルーテルは、確認するように後ろを振り返る。
「ではここから先は言葉を発さず、できる限り足音を立てないようにしてください。まぁ、ゴブリンたちはそれほど耳が良いとは言えないので大丈夫でしょうが、念のため――」
そこまで言いかけ、彼女はハッとしたように森の方へ視線を向けた。
「ど、どうしたんだ?」
「しっ! 何か気配が……それと足音が――」
唐突な彼女の行動に村人たちが訝しがるも、その理由がすぐにわかった。
ゴブリンたちが、突如として一斉に森から姿を見せたのだ。
「あ、あれが、ご、ゴブリン……」
緑色の皮膚をした、子どもくらいの背丈しかない角を生やした生き物を前にし、シアは知らずのうちに唾を飲み込んだ。
先日の『黒獅子』に比べれば、いや、比べようもないくらいにずっとずっと弱そうに見える。だが、相手は人の心を持たない魔物だ。
初見であるシアが油断などすれば、どのような目にあわされるか分かったものではない。
「な、なんで? こちらの動きがバレていたのか……!」
予期せぬタイミングでゴブリンたちが現れたため、村人たちが慌てて武器を構える。シアもつられるように木の棒を握りしめながら、ルーテルが小さく首を横に振ったのに気付いた。
「……違う。ゴブリンたちはこちらの動きを読んでいたわけじゃない――みなさんっ! ゴブリンたちはこちらに気付いていませんっ! 怯まず、今のうちに襲撃してくださいっ!」
「え? あ、ああっ! 行くぞ、お前らっ!」
「お、おおっ!」
ルーテルが指摘したように、ゴブリンたちはこちらに気付かず背後ばかり気にしているようだ。
戸惑いつつもそのことに気付いた村人たちは、彼女に従って隙だらけのゴブリンたちへ殺到する。
『ブゴっ?』
勢いよく襲い掛かって来た村人らを今さら視認したのか、森から現れたゴブリンたちは面食らったように蹈鞴を踏む。
『ブゴゴっ?』
『ギブブっ!』
そして急に止まろうとしたゴブリンに対し、あとからやってきた後続のゴブリンがよく見もせずに突っ込んで将棋倒しが起きた。
こうなってしまえば、もはやゴブリンたちに反撃する余裕はどこにもない。
「はぁっ!」
「おらぁぁっ!」
大人たちは持ってきていた刃毀れや錆のある安価な剣を振るってゴブリンたちを駆逐し、
「たぁっ!」
「ていっ!」
少年たちも鉄製の農具を用い、ゴブリンたちを殺傷していく。やはり誰もが経験済みということもあり、単なる村人にしては皆手馴れていた。
そう――シア以外は。
「あ……えーとっ」
シアは遅れまいと木の棒を振り上げてゴブリンたちの元へと駆け寄るが、しかし狙ったゴブリンは尽く別の村人に狩られてしまう。
いや、違う。
シアはこの期に及んで未だゴブリンたちを倒す踏ん切りがつかず、わざと討伐が間に合わない距離にいる相手を標的に定めていたのだ。一匹も倒せないのは道理で、そのことを自覚し呆然とする。
(俺は何をやっているんだ? ヨシュアたちを見返すためにここに来たんじゃ……)
「おい兄貴っ! ぼさっとすんなよっ」
「へっ?」
鋭い声に振り向けば、今まさにシアへ襲い掛かろうとしたゴブリンがヨシュアの鎌で首を斬り裂かれるところだった。
『グェ……』
「う……」
首から血を噴き出させて地面に崩れ落ちるゴブリンを見やり、シアの顔から血の気が引いていく。
忌々しそうに目を見開いたまま絶命するゴブリンの表情が、これ以上見ていると脳裏に焼き付いてしまいそうだったので顔を背けた。
「ゴブリンが弱いからって油断するなよ? 不意打ち喰らえば、人間だって負けるんだからな」
「あ、ああ……」
「つってもまぁ、もうぼちぼちお終いかもな。後は冒険者や大人連中に任せとけばいい」
「ああ……」
ヨシュアの言葉に周囲を見渡せば、あれほどいたゴブリンもほんのわずかとなっていた。このままであれば、数分後には狩り尽されてしまうだろう。
今さら、シアの出番は無さそうだった。
(くそっ! 何もできなかった……俺は一体何のために……)
一匹、また一匹と数を減らしていくゴブリンの姿に、シアは自分の無力感を噛み締める。
決意して、志願してゴブリン討伐隊に加わってみたものの、結局は自分の無能を――意志の弱さをただ突き付けられただけであった。
「見返してやりたい」「目に物を見せてやりたい」と意気込んでいた年下の少年たちに、力量の差をまざまざと見せつけられてしまったのである。シアはひどく落ち込んだ。
(やっぱり……俺は駄目人間なんだ。こんなんじゃ、冒険者になんて到底――)
「――うん? なんじゃありゃ?」
気分が暗くなり、どうしようもない絶望感を覚えたシアだったが、間の抜けた村人の声を受けて咄嗟に顔を上げる。
そして声を上げた村人の視線を追い、シアがそこに眼を向ければ――。
「……へっ?」
随分と馬鹿でかい、ゲル状の生物が森から這い出てきたのであった。