芸術都市トーキョー 二
まだ昇りきっていない柔らかい朝日の光で目が覚めた。
うとうとしながら、歯を磨いて顔を洗う。
それを終えるとシンクに行き、お湯を沸かしながら昨日の汚れた食器たちを洗う。
朝一で食器を洗うと目が冴える。
鼻歌交じりで食器洗いを終え、インスタントコーヒーを淹れる。
アルスはベランダで朝日がを眺めながらコーヒーを飲み今日やることについて考える。
「さてと、今日も始めるか」
部屋に戻りキャンバスをイーゼルに立て、窓から差し込む光が綺麗にキャンバスに写るよう配置する。
そしてパレットに使う分だけの絵の具を絞る。
「絵の具もそろそろ買わなくちゃ。今月も厳しいなぁ。でも絵の具はケチりたくない。えいっ」
今日使う色は三色。
赤、青そして黄色。
これらの色を混ぜて他の色を作る。
たまに白と黒を使うがそれは特別な時だけ。
使える色は制限されている方が制作が捗る。
一々新しい色を絞らなくていいし、色も自分で調節出来る。
何しろ優柔不断な僕でもある程度決断力が上がる。
色を制限している理由はこんなところだ。
他の色を買っている余裕がないのもまた事実だ。
アルスは夢中になって描き進める。
「あっ?」
青の絵の具がなくなってしまったようだ。
頑張って絞り出そうとするが、チューブ自身が「もうこれ以上は無理です」といっているようだった。
ストックはもうない。
基本的にストックは買うようしている。
しかし先月は生活費がギリギリで余分に絵の具を買うことが出来なかったのだ。
「九時半か。区切りも丁度良いし、歩いていけばお店も開くかな」
作業を一時中断し、文房具屋へ向かう。
「黄色もそろそろなくなりそうだから買い足しておくか」
アルスは寂しい財布の中を見て、バイト代も来週入るし大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる。
彼のアパートから一番近い文房具屋はここから歩いて十分ぐらいのところにある。
アパートの目の前にある川の橋を渡ってまっすぐの大通りに面しているのだ。
その文房具屋はこの街で一番古い建物らしく、外観は周りにある建物に比べて年季が入っている。
店の前に着き、彼は立て付けの悪いドアを開けた。
「おはようございます。中村さんもうお店空いてますか?」
「おぉ、アルスか。少し早いがまぁいいだろう」
店の奥のカウンターにメガネを掛けた銀髪セミロングの初老の男が、ハイプを吹かしながら店を開ける準備をしている。
「すいません準備中に。青と黄色の絵の具が欲しくて」
「あぁ、いつもの場所にあるよ。新商品の絵の具もあるからまぁ余裕があったら見ていってくれ」
いつもの場所に行くとカラフルで様々な種類の絵の具が並んでいる。
「新商品の絵の具はエルハルト社のか。・・・高い。非合成のウルトラマリン使用だからか」
アルスは誘惑に負けないよういつもの一番安い青と黄色の絵の具を手に取る。
絵の具の高さで作品の質が決まるわけではない、と自分に言い聞かせながらそれらをレジに商品を持っていく。
「お願いします」
「毎度。いつも利用してくれてありがとう。あっそうだ」
中村さんは机の引き出しから何かを取り出した。
「これはおまけだ」
それは銘柄のわからない青い絵の具だった。
「いいんですか?」
「あぁ、非合成のウルトラマリンとまではいかないが、中々良い色をしている。良かったら使ってくれ」
「あの独り言聞こえていたんですね」
「なに、友人から何本か貰ったものだから気にするな」
中村さんはぶっきらぼうにそう言って、袋に絵の具を入れた。
「では、有難く頂きます」
「あいよ」
絵の具の代金を渡し、自分で選んだ安い絵の具と中村さんからもらった絵の具が入った袋を受け取った。
「今日はありがとうございます!ではまた来ますね。良い一日を」
「あぁ、お前もな」
アルスは店を後にした。
「今日は一日の出だしがいいぞ」
彼はスキップしながらアパートへ向かう。
「そうだ気分もいいし少し寄り道でもしよう」
いつもとは違う道を通れば新しいインスピレーションに出会えるかもと思ったのだ。
調子に乗った彼は目の前の路地に入り、少し遠回りをしてアパートに帰ることにした。
今思えばこれが彼の運命の分かれ道だったのかもしれない。
鼻歌交じりで路地裏を歩いていると、突然迫るような低い声が聞こえた。
「お前どこから来たんだ?珍しいなりしてるじゃねぇか」
「ユッケの兄貴、こいつ金を持ってる蒐集家のところに持っていけば高く売れるんじぁないですか?」
「売り飛ばすか。タルタ、それいい考えだな」
サングラスをかけた金髪のセミロングの男・ユッケと、そいつの子分であろう丸っこく太った背の低い男・タルタが透き通った肌の・・・いや本当に透けている!半透明の幼い少女を囲っている。
ーあの子を売り飛ばすだと?
アルスは辺りを見回す。
しかしこの辺り彼らを除いて人は見当たらなかった。
大通りに出て人を呼びに行くのも考えたが、その間にあの子が連れ去られてしまうかもしれない。
アルスは勇気を振り絞って男二人の間に入った。
「幼い子供相手に何やってるんですか!」
いつもより大きな声を出した為、少し声が裏返ってしまった。
「あぁ?なんだ坊主。善人気取りか?」
「いや善人気取りとかじゃなくて、売り飛ばすとか聞こえたんで、これはただ事じゃないと思って」
「そうだ、良い案だろう。俺が考えたんだ」
タルタは自慢げにそう言った。
「坊主。俺たちは金が必要なんだ。遊ぶ為のな」
ユッケは僕の左肩に手を置いた。
「良い案なんかじゃない。そんなこと言わずにどうか穏便に」
ー余りことを荒立てても細身の僕じゃこいつらに勝てやしない。慎重にいかないと。
「穏便にだと?わかった。俺も穏便に済ませたいからさっさと帰りな坊主」
そう言って、金髪の男は僕の左肩に置いた手を使ってアルスを強く突き飛ばした。
「うわぁ!」
その反動でアルスは尻餅をつき、また絵の具の入った袋も落としてしまった。
袋から絵の具のチューブとレシートが少し見えた。
金髪の男はそのレシートを拾い上げた。
「何々、絵の具・三クンストだって。お前絵でも描いてるのか?まぁこんな安い絵の具しか買えないんだ、大した絵描きじゃないんだろ。絵描きじゃない俺でもわかるぜ」
そう言って男は紙袋を勢い良く踏んづけた。
青と黄色の絵の具が勢い良く吹き出した。
金髪の男は漏れた絵の具を混ぜるように足で地面に押し付けた。
絵の具は中途半端な緑色になって地面を染めた。
「僕の絵の具がっ!!」
ー中村さんからもらった絵の具と今月ギリギリで買った絵の具が!
落ち込んでいるアルスを見て、男達は満足そうに笑みを浮かべている。
「じゃこいつは貰ってくな」
その言葉を合図にタルタが忍ばせたナイフをちらつかせながら少女に近づいていく。
「へっへっへっ、大人しくしていろよ。そうしたら俺たちが良い所へ連れてってあげるからな」
少女は無表情のまま体をピクリともさせなかった。
状況を理解していないというより、まるで彼女には感情がないようだった。
男達がその子を掴もうとした。
ーそうだ今はこの子を守らないと!落ち込んでる暇はない。
アルスは勢い良くタルタに飛びついた。
「!?この野郎!何しやがる!」
驚いたタルタは握っていたナイフで僕の右腕を切り裂いた。
「どうだこれで少しは大人しく・・・なっなんだ」
アルスのパーカーの右腕部分はタルタのナイフによって切り裂かれた。
しかし男は切れ味に違和感を感じたのか、自分が切り裂いた部分を確認した。
そこには美しいつやのある灰白色をした僕の右腕が剥き出しになった。
「お前なんだその腕は・・・義手?」
ユッケが目をまん丸くして僕の腕を見ている。
ー僕の右腕は手首から肩までが特殊な鉱物で構成されている。それ以外は生身だ。勿論右手も。