兄貴としての責務
一人称視点の練習作です
あのバカ。また面倒なことをしやがって。
俺はそんな何度目になるかも分からない愚痴をぐっと飲みこみ、目の前の男をにらみつける。
男の外見年齢は50後半に突入してるだろうか。もう初老といってもいい。もし俺と腕相撲でもしたら間違いなく腕が折れるだろう。ただし俺の腕の方だが。一目でわかる筋肉質な肉体。運動なんてほとんどしていない俺なんかとは比較にならない。
「話は分かった。それで?俺に、何の関係があるんだ」
声だけは強気に問いかける。我ながらよく震えなかったと思う。それほどまでに相手の威圧感がすさまじい。思わずポケットの中に手を突っ込んでしまった。
「あの男は確かにお嬢様と結ばれるに足る結果を示した。しかし」
一度言葉を区切り、男――五条家の執事と名乗った――は明確に俺を睨みつけた。
「あの男の家族が五条の家にふさわしいとは限らない」
「しらねーよ!」
くそが!!なぜ俺が弟のために圧迫面談を受けなくてはならないのか。
「あの男が五条家の一員となるならば、兄であるお前にも相応の何かを示してもらわねば」
自称執事はそう言うがそんなことに付き合いたくはない。そもそも弟の問題である。あのバカが、何をどうとち狂ったのか名家の一人娘に告白するとは。ついでにそれを受け入れる完璧お嬢様も大概である。大体、告白がなぜそのまま結婚につながるのか。名家の考えは一般庶民には理解不能だ。しかしそんな愚痴を言ったところでどうにもならない。
もはや敵を見る勢いでにらみつける自称執事に対し、こちらも目に精一杯力をを込めて反論を試みる。
「なら俺が弟と縁を切れば問題ないのだろう?そうすれば俺は弟とも、そして五条とも何の関係もないわけだ」
「貴様の考えはわかっているぞ。縁を切った後でも、兄弟の情を利用していくらでも取り入れると考えているだろう!」
「考えてねーよ!!」
こいつマジで面倒くせぇ。誰かどうにかしてくれねえかな。そんな名家と関わるとか嫌で嫌でたまらねぇよ。そりゃ金は欲しいがどう考えてもデメリットの方が大きいだろ。
そんなことを考えるもののそれを口に出す勇気は俺にはない。怒りで怯えは大分誤魔化せているが、流石に殺されかねない言葉を吐くのは無理だ。手も大分こわばってしまっている。だから別の言葉を投げかける。
「大体俺に何しろってんだ?もう競争相手はいないだろ?5人とも弟に負けて納得したんだから」
弟ではあるがあいつはすごい。名家のお嬢様と結婚するために集まった天才、秀才、金持ちのボンボン、筋肉の塊、完璧超人。そんな5人の男女が納得するまで食らいついてきた。その根性とある種の才能は極めつけだ。相手1人1人と真正面からぶつかって、多くの人の力を借りつつも成し遂げてきた。その努力をずっと見つめてきたからこそ俺は自分が弟とは違うことをよく知っている。
「確かにいない。ゆえにあの男が見せた性根。それに匹敵するものをどんな形でも貴様が見せることができたなら認めよう」
「なるほどね」
自称執事は俺の言葉を受けて、静かに答えた。そのためこちらも落ち着いて返事をすることはできたものの落ち着いているのは返事だけだ。
無理だ。絶対に無理だ。俺と弟は似ていない。外見はもちろん、性格が特に。奴は一つのことを熱心にやり遂げる。俺は飽き性だ。奴は負けず嫌いで勝つためにコツコツと努力することを厭わない。俺は勝負事が嫌いですぐに逃げる。なにより俺は臆病者だ。真正面から小細工なしで挑戦するなんて出来ない。
「いつまでに見せてやればいいんだ?」
ついでに後回しにする癖もある。
「あの男と同じく1か月だ。それだけ待とう」
俺の悪足掻きは、しかし、最悪の返答を得る結果になった。思わず天を仰ぐ。変な笑いがこみ上げる。
「ははっ」
目の端で自称執事が苦い顔をしたのを捕らえるがそれどころじゃない。1か月は短すぎる。学生の夏休みだってもうちょっとあるぞ。その短期間で俺の性格が変わるはずもない。
「もしも仮に納得させることができないとどうなるんだ?」
逃げ道はないのかと、一縷の望みを抱いて質問した。もちろん答えは分かっている。でも訊くくらい許してくれよ。
「その場合は、あの男には残念だがお嬢様と別れてもらう」
「……ふぅ」
あーあーあー!!正直叫びたいが代わりに出たのはため息だった。なんで俺が弟の将来に責任を負わねばならないのか。
自称執事がさらに渋い顔になっている。多分、俺に対する不満が募っているのだろう。しかしどうしろというのか。俺と弟は確かに血のつながった兄弟だが、別人なのだ。どうしようもねえぞ。
「わかったな?1か月以内にお前の心を示してもらうぞ」
「見せればいいんだろ、分かったよ。しばらく待ってろ、五条家の御当主様」
「なっ!?何を……」
捨て台詞のように吐き捨てて自称執事、他称五条家の現当主に背を向ける。恐らく弟の家族を直接見たかったのだろう。当主という立場を隠し俺を試しに来たのだ、怖すぎる。正直震えを我慢するのが限界に近い。さっさと逃げないとボロが出まくる。後ろで何か騒いでいるような気配があるが無視するに限る。そんなことを考えながら、走らない様に、されど早足で出来るだけ早くその場から去った。
しばらく歩き、当主から離れたものの頭の中は悩みでいっぱいである。どうすればいいのか。50代後半の御当主ですらあれほどマッチョなのだ。ずっと観察していたので予想は出来ていたが、五条家全体が体育会系の思考だろう。インドア派で根性や熱意とかの言葉が大嫌いな俺とは致命的に合わない。
「大体、性根ってなんだよ。何すりゃ見せられるんだ?」
周辺に誰もいなくなってほっとした途端、自分の口から口がこぼれる。思っていた以上にストレスがたまっていたらしく止まらない。
「あーあーあー。こえーよ本当に。あの爺さん、今年で80だろ?全然見えねーよ。80なんだから縁側で大人しく茶でもすすっとけよ。孫の結婚くらい放っとけよ」
俺はもはや立っていることさえつらかった。道端に座り込み空を仰ぐ。これからどうすればいいのか全く分からない。
「これも役に立ちそうにないし」
ポケットの中に入れておいた、五条家の関係者全員の個人情報が記録されたUSBを取出す。五条一族はもちろんの事、使用人から各自の友人まで記録してある。残念ながら情報の粒度はばらつきがあり、肝心の五条一族に関しては友好関係や過去の女性遍歴レベルまでしか調べきれていないのだが。PCへのクラッキング、地道な聞き込み、尾行などなど。弟が告白した直後から今まで調べてきたものの五条家のガードは固すぎた。
「大体、名家なんだから脱税くらいしててもいいだろうに。あんまり後ろ暗いこともなかったし」
もちろん脅すつもりはなくただの保険として持ってきたのだが、それでも、もう少し取引材料になるものがあってもよかっただろ。そう考えずにはいられない。
「どいつもこいつも健全すぎるだろ。犯罪のもみ消しとかやってろよ。五条一族の誰も微罪すら犯してないじゃねえか」
とはいえ、そういう一族だったからこそ、今日あの場に1人で行けたわけだが。もし犯罪のもみ消しとかやっていたら、間違いなくその情報をばらまいて自分はどっかに逃げてただろう。
「あーあ。逃げちゃダメかなー。ダメだよな、くそが」
あのバカは本当にいつもいつも。愚直にまっすぐ進むことしかできないやつだ。ついでに諦めることを知らない。おかげで俺が今までどれ程フォローしてきたか。その中でも今回のはずば抜けている。
「まったく。本当にどうしようもないやつだよ」
最後に弟に対して文句を言ってみた。仕方ないな本当に。そう胸の内でもこぼしてから、USBをしまい立ちあがる。
「やるしかないな全く。まずはあの爺が好きそうな性根の示し方を調査して。いや、その前にいざという時のために飛行機のチケットでもとっとくか。最悪国外に行けば何とかなるだろ」
さてさて。1か月は短すぎるがやってやろう。何せ俺は
「あいつの兄貴だからな」
――ところで。彼は自信を勝負事が嫌いな臆病者であると称した。それは正しい。しかし、彼は臆病であるがゆえに準備を怠らない。何度も何度も調査して最善の策を取る上に、それがダメだった時の保険も非常に多くそろえる。それもこれも彼がたった1つ、心に決めた兄としての責務があるからだ。
「兄貴に会ったんですか!?」
「ああ。君の兄は一体どういう男なのだ?立場を隠して会ったのだが、私が五条家の当主だと気付いていた。その上であの態度を取るとは」
「そうですね。少なくとも俺は兄貴が間違えたことを見たことがないし想像もできないです」
「まさか。それほどには見えなかったぞ?君のような強さも見えなかった」
「そんなことありませんよ。だって俺は」
兄貴に勝ったことがないんですから。