66.
俺は一歩前に踏み出して言う。
「はは…幾ら何でも突然過ぎませんかね…」
冗談まじりに苦笑いをしてみせた。
目の前の五十嵐は少し冷や汗を掻いたように見えた。強張りを解くかのように仕切りに首を横に振ると、俺の視線を捉える。
「…と、突然も何もこちらの不手際が問題だったのは伝えた筈ですが」
表情こそ穏やかだが目が笑っていない。薄く敵意が感じられた。
部室に入る前に確認した限りでは入部及び体験入部期間の締め切りは一週間も先の話であった。即ち、五十嵐さんは特別候補生(※特に夜崎)を部室に入れたくない為に、一歩的に拒んでいるのだ。
これは余りに理不尽で失礼この上ない対応である。自分が携帯を所持していれば証拠写真という確定要素を提示出来るのだが、自ら所持しないと決めている俺だ。いつも通り、言論で争うしかない。
俺はため息一つした。
「…部室に入る前、張り紙に書かれた締め切り期間は一週間も先の期限が記載されていたと記憶しています。これが事実ならここで拒否されるのはおかしな話ですよね?」
千里眼が如く、俺は五十嵐を咎めた。
妙な雰囲気に圧倒されたのか、五十嵐は一歩距離をとった。同じタイミングで後ろの女子三人が身を寄せ始める。
くくっ…これが俺様、夜崎にしか出せない不のオーラよ。…うーん、見る限りでは圧倒されているというより軽く引かれてますね…。
五十嵐は言い淀みながらも答えた。
「…ぐっ……き、”記憶しています”って、多分貴方の記憶違いだと思います!」
動揺してどこまでも嘘くさい必死な回答ではあったが、案外痛い所を突いてくる。五十嵐の雰囲気にあまり似つかない勇猛な声音だったせいか、女子三人は小さく歓声を上げている。
『新入部員募集!』という張り紙をはっきりと視認していなかったせいで”記憶しています”なんて言わなくてもいい事実を無意識に放ってしまっていた。我ながら不覚。我ながら相手に好機を与えてしまう失態。
「いや…記憶違いでは決してないですね。第一、後ろの女子生徒が抱えた張り紙を見せてもらえば諦めもつきますよ」
敵意を滲ませた不自然な笑顔で振るまって見せた。
名指しされた千田は身をよじって、張り紙を絶対に渡すまいとしている。…困ったな。何が困ったかって、後ろ女子三人の中でも千田は抜きんでて気が弱そうに見える。
このやり取りに耐えられなくなって、俺が無理やり張り紙を奪い取ろうものならポリスコール待った無しだろう。
周囲に弁護してくれる目撃者はおらず、問答無用で異端児夜崎はブタ箱行きか……って待てよ。そういえば、この高校には監視カメラが無数に取り付けられているから、目撃者が存在せずとも証拠は残るのか。フッ、であればやることは一つしかない。
「…」
急に無言になった俺を不自然に感じたのか。はたまた我慢の限界が近づいてきているのか。五十嵐は多少苛立った声で言う。
「た、多分印刷ミスです…そう!印刷ミスです!これで納得して頂けますかっ」
五十嵐は閃いた!とばかりに俺に説得を続けるがもう遅い。
「納得……出来るわけねーだろっ」
俺は端的に言い放つと同時に素早く前進して千田の目の前に立った。そして、躊躇なく懐に手を伸ばした。
「ちょっ…!貴方、ねぇ!」
不意を突かれた五十嵐が援護しようと駆け寄るが間に合わない。
「ッ…!」
眼前には今にも悲鳴を上げそうな表情をする千田がいる。
「証拠…見させて貰うぞ!」
「何をしているんですか?」
しめた!と、張り紙の上部を掴んだ所で突然、この騒動をまるで考慮しない冷めた声音が飛んできた。
掴んだ姿勢のまま首だけ振り返ると、そこには怪訝な表情をする錦織の姿とにこやかな表情をした綾崎先生が佇んでいた。




