60.
俺は無難にミートソーススパゲッティをチョイスした。フォークで麺を引っかけるとスプーンの湾曲した部分を使って丁寧に巻き上げ、口に運んだ。
上手く味がしねぇ…。薄味とかそういう事ではない。パセリの香りがアクセントになって美味いのだ。
しかしながら、まだ緊張感のせいで味覚が正常に機能していない。視線をさまよわせては店内に飾られたインテリアに拠り所を求めるが晴れる事はなかった。
横目に彼を見ると、その眼球は一層黒々しさを増し、まるで俺に言い聞かせるように短いため息を漏らしていた。美しくも達観した表情を見せられると、何故か無意識的に俺の存在が否定されているような気がした。
手を伸ばせば届く距離にいながら、会話という会話が起こらない。料理を口に運ぶ吐息だけが聞こえる、そんな奇妙な時間が僅かばかり続く。
壱琉のテーブルには生ハムやクルトンがのったサラダに、前菜の盛り合わせが置かれていて、それをフォークで浅く突き刺しながら召し上がっていた。
壱琉のフォークが食器に軽く当たって、硬質な音が響く。周囲には客や店員が忙しなく仕事や談笑をしている筈なのに、その雑音は彼の前では打ち消されてしまう。
「何故、この場所が分かった?」
変声をまるで受け付けない、透き通った声音が問いを投げてきた。
何の前触れも無く話しかけてくるものだから、動揺してしまう。
「さ、さあな…。お前が思っているほど世間は広くないんだ」
冗談めかしてそう答えた。事実、壱琉ほど容姿端麗な存在は自然と人を魅了し、磁石のように引き付けてしまうものだ。特別候補生という同じ肩書きでも、反発出来ない理不尽な人間像は確かに存在するのである。
「二度と関わらないで欲しい。と、君にはそう告げた筈だが?」
入学式終わりのラウンジ。彼は図書館へと繋がるらせん階段から告げた言葉を再度口にする。
「一日の限りの関係だった事は分かっている…」
羞恥心を滲ませながら続けた。
「だけど…俺はお前に救われたんだ。壱琉があの時、テストを受けるきっかけを与えてくれなかったら…今頃、乾いて朽ち果ててた」
言い終えて、語尾に影を落した。
壱琉は身体をこちらに向ける事も無く、返答もしない。
「…演技なのは分かっている。ただ、何故そんな事をする必要があったのか俺には分からない。誘うメリットが皆無だったんじゃないのか。違うか?」
痛々しくも彼女の言葉を代弁した。




