39.
翌日、いつもと同じようにラウンジで作戦を練っていたが話は長く続かず解散となった。
異端者である二人が対話を交えただけの事であるので当然、アイデアにも限界がある。
「では、くれぐれも気づかれないように」
錦織は帰り際、わざわざ念を押してきた。
「…大丈夫だよ。俺が今からする事は尾行、ましてやストーカーでもない。ただ単に近くで一服してる何の変哲もない人だよ」
「それを後者と言います」
「回りくどい言い方しなくていいから…」
手始めに俺達は如月さんという被害者の様子を伺うことにした。錦織がクラスメイトに聞き込みを行ったところ、放課後、学校近くの川沿いで見かけた生徒がいるらしい。
リアルタイムの情報なのか、過去の情報であるかは定かではないが、とにかく錦織の情報網は凄い。錦織が女子連合軍のトップかと疑うレベルだ。
そして…俺はこの機会を狙い、如月さん自身と会話しようと思っている。
先程、錦織に「気づかれないように」と念を押されたのは如月さんとの接触を避けるべきと錦織が考えているからだ。
本来、イジメのような深刻な事態は被害者を完全な保護下に置いて、解決する様子は本人に見せないのがセオリーなやり方である。
あからさまに解決しようと近付くと、加害者の圧力がかかって被害者自身が問題そのものをひた隠しにしてしまう場合があるからだ。
そのような事実を知った上で。それでも俺は如月さんと対話がしたい。
本質的に考えれば、状況を誰よりも知っているのは被害者自身である筈なのだ。
どれくらいの被害があるのか、程度も知りたい。
今日の空は曇天模様。今にも雨が降り出しそうだ。
学校のエントランスを出ると、外は季節に見合わない薄ら寒い空気に包まれていた。
校舎の目の前は運河になっている。スロープを下って当たりを見回した。
如月さんはよく運河近くのベンチで読書をしているという。
不意に冷たい風が頬に触れ合う。湿り気を帯びた、深い潮の香りが鼻腔を刺激する。
いい香りとは言えない。例えるならコケを塩水に漬けて、乾かしたような感じ。
言葉で表すなら『匂い』ではなく、『臭い』だろう。割と不快な気分になる。
少しばかり歩を進めると、歩道の突き当たりのベンチに濃緑の制服に身を包んだ少女が腰掛けていた。
情報通り、少女は静かに本を読んでいる。
俺と少女の接点は無いに等しい。入学式のホームルーム前に一声話しかけて、クラスが同じという事でしかなく、突然話しかけたら、驚かれるどころか不審者扱いされるかもしれない。
しかしながら俺の場合、変人とか不審人物という呼び名は言われ慣れているので寧ろそれが自然体といえるのだが。
視線を合わせないよう少女に一歩、二歩と徐々に近付いた。
話しかけようとしたその時である。
少女は本をめくる動作を静止させて、ピクリと肩を弾ませてこちらに視線を向けてきた。
読書に集中していたのであれば、余り気づかれないものだとばかり思っていた。集中が一旦途切れる間というものに入り込んでしまったらしい。
「…っ!」
少女は直ぐさま本を閉じて鞄にしまった。
表情は恐怖に狩られ、生気さえ感じられない。
即座に立ち上がり、茶髪がかったツインテールが揺れる。
勘違いされても収集がつかないので、
「…あ、済みません。驚かすつもりはなかったんですが」
少女を警戒させぬよう、優しい声音で話しかけた。しかしながら、今のままでは子供を手招く不審者と何ら変わりない。
少女は憂顔をしたまま動けずにいた。
「外見は見ての通り君と同じ高校生だ。別に怪しい者でもどっかのグルでもない。ともかく、君に話しがあって来た」
丁寧語を使い過ぎるのも返って気味が悪いので崩した。
「…っ?…あ、…あれ…もしかして入学式の時の…」
ぽしょりと紡がれる可愛げのある細声。
先程まで胡散顔であった少女の表情は驚きに変わった。
同時に俺も驚く。
「…覚えてたのか」
あの時の少女は俯いてばかりいたので、てっきり顔を視認されていないものだと思っていた。
「あ…あの時は有難うございました」
弱々しくも少女は感謝を述べてきた。
感謝される事など何一つしていないというのに。腰低くされると、どうも申し訳ない。
「いやいや…感謝されるような事はしてないよ」
手をかぶりに振って否定した。
「あ…でも…あの時来てくれなかったら…引き返していたかもしれません」
俺は再度、大きくかぶりを振った。
「…単なる通りすがりの遅刻予備軍だよ俺は」
「…」
少女は困惑の表情をみせている。
あれ?ドン引きされた?これだけで?
都市の喧騒など何処へやら、場の空気は静寂に包まれてしまった。巻き返しを図って、少女との距離を半歩ほど縮めた。
すると、思いがけず少女が口を開く。
「…なんか、ちょっと変わってる」
僅かばかり。彼女は笑みをこぼした。目の奥にあるものはまだ暗いけれど。
「…名前は確か」
手を交じ合わせ、羞恥する姿はとても同い年とは思えなかった。
「特別候補生の夜崎辰巳」
取り繕うことなく、俺は率直に名前を述べた。
「…そ…そうでしたか。それで…私にようじ…ですか?」
用事が"幼児"に聞こえたのは気のせいだろうか。なんなら幼女でいい。違和感ゼロ。
気が付けば少女は何故か頬を紅潮させていた。
何か…勘違いされてないか…?
「…あ」
「…っ」
俺が戸惑いの声を漏らすと、少女も呼応するように声を漏らした。なんなら、少女は歯を食いしばって俯きかけている。何だろうこの空気感は…。
俺が少し身じろぎをすると、少女はスカートをぎゅっと握って体を硬直させる。
この光景を目撃され、誰かが通報でもしたら…許さん。
俺は一呼吸置いて目先を向いた。
「…名前は如月さんだっけ?」
「は…はいっ!」
可愛げのある童顔に見つめられると、正直全て曝け出してしまいそうになる。
しかし、ここからは重い話だ。いつまでも勘違いに付き合わすのも酷というものだろう。
「…単刀直入に言うぞ」
「…はい」
「俺がここに来た理由、それは"イジメ"の実態を把握する為だ」
あどけない風貌は変わらない。けれども、その三文字を聞いた瞬間、彼女は『少女』ではなく、『如月』になっていた。
「いじめ…?」
不詳顔にも似た表情をする如月。
「弄られて、滅多斬りにされる。それがイジメだ」
場の空気を一新させる為に、俺はあえて尖り声で言った。同調するかのように、冷たい夕風が吹き始める。
如月は何か思う事があったのか、半歩後ろに引いた。
それでも表情を何一つ崩す事なく、口を開いた。
「一体、何のことでしょうか」
樹々の葉音とともに、ツインテールが揺れる。本人は問題の事実を否定した。まさか人違いではあるまい。
これは本人の意志なのか、圧力によるものなのか、判断は難しい。
ただ、それは作られた群像なのだと俺には分かった。
「何故、そんな事を私に聞くんですか?」
他人行儀な声音。これは作り笑顔だろう。
「如月さん自身が被害者であるから。だよ」
ネタは上がってんだよ!と何処かの野蛮な警察官は言うんだろうが、俺はそこまで熱い男ではない。
俺は続けて話した。
「何か…クラスで。いや、人間関係で思い当たる節とかないか?」
声音こそ穏やかなものの、俺の表情は聞け顔と化していたと思う。
「別に中学からの知り合いが少しいるくらいで…特にこれといった事は…」
言い始めて、表情が徐々に曇り出した。
これは予想以上に深刻な状況なのだと察した。
--例え嫌われようと、通報されようと人の勝手。真に迫る必要がある。
俺は敢えて煽るような口調で言った。
「他人のせいで自分の人生を破壊されるなんて、理不尽な話だとは思わないか?」
如月は何も答えず、俺の目を見て「ああ、この人は事情を知ってるんだ」って生気のない溜息を一つ漏らした。
構わず、続ける。
「全ては境遇だ。偶然そいつらがいたからこの状況が起きてしまった。いなかったら、今頃、楽しい学園生活を送っていたんだろうなぁ」
あえて、嘲るような口調で。恰も相手に非があるように。
「私は…」
力無い湿り声。
こんな事、被害者である人物に言うような言葉じゃない。お前も結局は同じムジナなのだと思われても、仕方のない事だろう。
けれども、答えを求める必要があった。隠して飲み込む事がどんなに苦しいものかと伝える必要があった。
「…」
如月はとうとう何も答えなかった。表情は窺い知れない。
俺を横切ると、夕闇に消えて行くように静かに去っていった。寂しく後ろを振り向く事さえしなかった。
一人川沿いに取り残され、立ち尽くす。
これは彼女の為だとそう考えた。
小さな勇気を大きな活力に変えるために。
天を仰ぎ見れば、夕闇に染まる空。
今日が終わった。




