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私と女神の七日間  作者: 甘党
最終日
35/36

最終日……好き好き大好き超愛してる

 聞こえたのは雷鳴。身を切る風は激しく、遥か下は荒波の立つ大海で、陸地の影はどこにも見えない。黒く横たわる水平線と、上空の雷雲が相まって、視界の景色は太陽が消失したかのような重たい闇に支配されている。

 降り注ぐ雨はかつてないほどに強く、目を開けていることすらままならない。着ていた簡素な入院服は、一瞬にしてぐしょ濡れになり、肌にべっとりと張り付いた。アマモに連れられて、色んな世界を経験しはしたが、ここまで酷いのは珍しい。あくまで予想に過ぎないが、この天候と海がどこまでも、いつまでも続いているのだろう。


「ミハネぇ。大丈夫?」

「ええ。ただ、ここからあいつを探し出すのは骨が折れそう……。あと、マキナ」

「え?」

「これからはそう呼んで」


 私を両腕に抱えて、雷雨の中を飛行する彼女はその名前を教えてくれた。


「『神様』としての本名――デウスエクスマキナじゃ長いから、そこから取って、マキナ」

「あ……うん。マキナ」


 なぜこの状況でそう呼ぶように言ってきたのか、彼女の心中は不明だったが、私は迷わず受け入れる。アマモの居場所へと転移させてくれたばかりか、『向かった先に陸が無いから』とわざわざ付き合ってくれているマキナ。できる限りでその思いには応えたかった。

 しかし――この世界はいったい何なのだ? てっきり、アマモはいつもの居住空間でふんぞり返っていると思っていた。目障りだったろう私を遠ざけて、一人悠々と暮らす……そんな状況には、まるで似つかわしくない世界だ。確かにアマモは人とは異なる感性を有していたが、こんな騒々しい環境でゆっくり休めるほど、ねじ曲がった子ではなかったはずだ。


「トワ……あなたね」

 そんなことを考えていると、若干呆れたような声色で、マキナが声をかけてくる。

「私にはさっき言ってくれたけど、アマモ本人にはしていないでしょ。色々と」

「あー……え、でも」

 マキナの意味深な言葉から、私はそのことに思い至る。あの無感覚の空間で気付いたあれこれ……当然、私はまだアマモに打ち明けていない。キツネのことや、性別のことや、どういった意味で好きなのか……とか。


「第三者の立場から言わせてもらうけど……この光景を見るに彼女、相当傷ついているんじゃないの?」

「ええ? 有り得ないよ、そんなの。だってアマモだよ? 単に怒ってるだけだって」

 不思議がっていると、いよいよ呆れ果てたといった様子でマキナが頭を叩いてくる。

「そういう自覚の無さが、なおさら彼女を追い詰めたんでしょうね。よくもまぁ一か月持ったことよ。……人類初なんじゃないの? ここまで女神をコケにしたのは」

「はあ?」


 とんちんかんな返答しかできない私に、マキナはとうとう表情に哀れみの色を浮かべてくる。それに焦りを募らせて、彼女を仰ぎ見つめると、ようやく解説をしてくれた。


「藤月トウカ……だっけ。あなたの模倣体がフェネクスの世界にいたでしょ? なぜ、その役割が他でもないキツネのいいなずけだったのか……これだけ言えば分かるでしょ」

「え……ええと?」


 アマモがキツネに化けていた理由は推測がついてはいたが、トウカに関してはまだ答えに及んでいなかった。これからアマモ本人に会って、それを訊くつもりだったのだが……。

 そう言うと、マキナは心の底から失望したような顔になって、私の頬をとんでもない強さでひねってくる。肉が千切れんばかりの痛みに、涙ながらに謝罪を口にすると、やっとマキナは許してくれる。ただし、解答を教えてくれることは無かった。


「自分で辿り着かないと意味がない。……ほんと、何でこんなアホに振り回されなきゃいけないのか……」


 マキナはそうぼやきつつ、雷雲の先へと飛翔していく。顔を叩く雨粒にも負けず、必死に周囲へ目を凝らし続ける。ときおり煌めく電光と雷鳴、かすりでもすれば人体など粉々になるだろうそれにも臆さず、私達はアマモの姿を一心に求めた。

 どれほどの時間が経過したのか、一時の休憩を切り出したマキナも退けて、ひたすらに昏い宙を漂うこと永く、ついに私の視界の端に、金色の影が横切った。すぐさまマキナに伝え、その方角へと向かってもらう。

 風雨をものともせずに加速していき、私の身体の限界ぎりぎりまでの速度となった先に、果たして私達はその姿を捉えた。

 風に振り乱す金の長髪、身に纏うは真っ黒の貫頭衣。いつも着る物には気を遣う彼女にしては、有り得ないほど素朴で貧相な造りの衣服をはためかせ、彼女はいずこへと飛行を続ける。

 どうにかその後ろへと追いすがり、自分に出せる最大限の音量で私は彼女の名前を叫んだ。


「アマモ!」

 直後、彼女が急停止する。それに合わせて、マキナも速度を緩め、ついに私達三人は向かい合った。

 彼女は――アマモは、雷雨の中でも分かるほど酷い顔をしていた。美しかった目元は醜く腫れあがり、自分で噛みしめたせいか、唇はあちこちから血が出ている。頬のあちこちにはひっかき傷と思しき爪痕ができていて、まるで入れ墨のように彼女の相貌を赤黒く彩っていた。簡潔に表すなら、怪談に出てくる鬼女のごとき有様だ。

 あまりの形相に呑まれて、私はとっさに怯んでしまう。マキナは当然、何も言うことはなく、真っ先に口を開いたのはアマモだった。


「笑いに来たの?」


 アマモは自嘲気に唇を歪めて、私を食い入るように見つめながら言った。


「さぞかし面白かったでしょうね……。馬鹿みたいにはしゃいで、トワを引き連れ回す私を見るのは」


 その発言自体は、マキナに向けられたものだと気付き、慌ててそちらを見上げるが、彼女はやはり、沈黙したままだ。私が全てを決着させるまで、口出しするつもりは一切無いらしい。……当然か。


「知らないとでも思ったの? 最初に会った時点で気付いてたわよ。そっちが隠すものだから、私もあえて口にはしなかった。でも、そのかまととぶった態度は反吐が出るほど気に食わなかった……」


 言いながら、がり、と彼女は露出した自分の右腕を爪で掻いた。黒衣から覗く白い肌に、赤い筋が滴り落ちていくのを、私はただ眺めるしかない。


「本当にトワに愛されているのは自分、彼女の唇も肌も、心もなにもかも、全て先に知っている……。デウスエクスマキナ、ずいぶん下手な演技をしてくれたけど、あいにく私は『神様』の思考も読めるのよ」


 まさか――じゃあ、教室での出会いの時から、アマモは私達の関係全てを知り及んでいたことになる。その上で、何も知らない振りで、幼稚なゲームを切り出し、三人で行動を共にした。表面上は友達に相応しいかを決めるだの何だのと言っておいて、その実、彼女はいつも私とマキナの過去に……苦しんできた……のか? 

 あれだけ自信満々で、余裕綽々の態度を崩さなかった、彼女が?


「いわば私は滑稽な道化。真の想いを手にした者の前で、届くはずの無いそれを横取りしようと、無意味な芸をひたすら続ける。

それでも私は一応、全能の『神様』。戦闘に持ち込めば、あなたを視界から消すのに、秒も要らない。でも――できなかった。それをすれば最後、私は自分から負けを認めることになる。トワにとってのあなたは、まさに永遠になってしまうから。そのあとでいくら一緒に暮らそうとも、待っているのはただ空しいだけの毎日」


 彼女はそこで言葉を切ると、「トワ」、と名前を呼んで、ようやく本当の意味で私と目線を合わせてくれる。


「もういいでしょう。私の前から消えてよ。あなたは勇者――あなたほどの英雄を私は見たことが無い。本当よ? 人間の数値じゃ言い表せないくらいの年月、私は世界を巡ってきたけれど、あなたみたいな狂人は一人もいなかった。人々を苦しめる邪神に、心の底から純粋な愛情を示せる……あは、おとぎ話よりもっと現実味が無い。完敗……降参よ。だから、もう消えて。私をこれ以上……痛くしないで」


「ごめん」

 私はとにもかくにも、謝った。身を潰すような罪悪感、それを一つでも和らげたくて謝罪が口をついて出た。でも、きっとそれは彼女が求めている言葉じゃない。私だって、あれだけ『違う』と言われれば分かる。

 想いを汲んでくれたのか、私を抱くマキナの腕に、ぎゅっと力が込められる。小さく「行くよ」、という呟きが聞こえて、私は心の準備を整えた。

 次の瞬間、私の身体は宙へと放り投げられた。雷雨の中に両手を広げて、アマモの元へと飛んでいく。ただし、私に浮遊能力などは無いので、彼女が避ければそれで終わりだ。でも――そんな不安は少しも無かった。


「ばっ……馬鹿!」

 凄まじい速度でアマモが私へと突っ込んできて、落下する暇もないまま、その両腕に抱きすくめられる。べとり、と彼女の腕から流れる血が着いて、入院服に斑点を作った。


「死ぬ気? 下が海だからって、この高さだと人間なんてぺしゃんこよ。少しは考えて――」

「ありがとうアマモ。助けてくれて」


「っ! あなたね……」


「私ねぇ……やっぱり君のことが好きだよ。我がままを言われようが、切り刻まれようが、毒を食おうが、騙されようが、何も無い空間に閉じ込められようが……その気持ちは変わらない。君が何に化けようったって、無駄。性別も、見た目も、年齢も関係無いもの。私はアマモが好きなんだ。

今、思えば君が女の子で本当に良かったなって気がするの。命を救ってくれた王子様を、物語の女の子はきっと好きになって当たり前。でも私は違った。奇跡にではなく、性差から来る愛欲にでもなく、私は――そのままの気持ちで君を愛することができたんだから」


 惨たらしく刻まれた彼女の頬の傷を、私はそっと指でなぞる。いつしか雷鳴は聞こえなくなり、降りしきっていたはずの雨も、徐々にその勢いを弱めていく。



「だからアマモ? 私を愛して。マキナなんて関係ない。私だけを見て。私は今まで君に訊いたことが無かったけれど、今、ここで答えを聞かせて」


 しかし、私の問いかけに答えることは無く、彼女はすっと右腕を持ち上げた。宙に浮かんでこちらを見守っているマキナを、その先は真っ直ぐ指している。彼女は最後の最後に、もっとも意地の悪い笑みを浮かべた。



「本当に関係ないのなら、あれを消しても良いでしょ? いい加減、目障りなのよ」


 悲しい、苦しい、辛い、虚しい……全ての負の感情が入り混じった表情を、その女の子は浮かべている。それでも私は迷わない。初めから――一週間前から、そういうルールだったのだから。





「うん。要らない」


 直後、マキナの周囲にいつもの水晶が出現し、一息にその身体を包み込んだ。後に残されたのは物言わぬ六角柱状の塊。重力に引かれて、黒い海へと落ちていく。私はそれを見送って、海面に白波が立つのを見届けて――アマモへと視線を戻した。

 彼女は、泣き笑いの顔になっていた。


「もうダメ。もう、蘇らないわよ、あの子。少なくとも、あなたが生きているうちには絶対。話すことも、触れることも……見ることさえできない。……自分が何を許したか、分かっているの?」

「いいんだよ」


 彼女の小うるさいその唇を、自分のそれでしっかりと塞ぎ、たっぷり合わせてから、離した。


「昔の女のことなんて忘れて? だいたい、私には一つもあの女との思い出なんてないんだし。そんなことより、早く答えを聞かせてよ。私、君に一度だって、言われたことない。それってずるくない?」


 彼女は大きく息を吸って、なぜかひどく懐かしいように思える、柔らかな微笑みを浮かべて言った。



「好き。あなたが大好き。世界で一番、愛しているわ。あなたがいない世界なんて想像できない。トワ。ずっと言えなかったけれど、私はあなたのことが、好きで好きでたまらないの。ずっと、ずっとずっと永遠に、一生一緒にいましょう? ねぇ? いいわよね?」


 切り裂かれていく黒の雷雲。拓かれた空から差す、白光の空。


 彼女の声を聞きながら、やっぱりこいつはアホだなぁと、私は思うのだ。


 百億年前から、その返事は決まっているのだから。

                                       完


 ここまで読んでいただき、まことにありがとうございます。ハッピーエンドは、ここで終わりです。

※ 次作を投稿いたしました。直接の繋がりのある話ではありませんが、ぜひご一読していただければ幸いです。


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