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私と女神の七日間  作者: 甘党
六日目
34/36

六日目……⑤

「ふざ……ふざけるなっ!」


 彼女は私の頬を張り飛ばした。一応、手加減はしてくれたようで、私の顔はどうにか原型をとどめる。ただ、真っ赤に晴れ上がっていることは予想がついた。


「無理だよ、そんなの! 無理だったんだよ……! 私には。あなたの首をこの手で締めるなんて……」

「そうだよね」


 きっぱりとそう言って、私は立ち上がった。肩を震わせて泣き続ける彼女を見下ろして、「ごめん」、ともう一度謝る。


「君のこと、好きだったのかもしれない。今もそれは変わらない。でも、きっと違う……んだよね。今の私は、君が好きだった私じゃない。好きの内容もたぶんダメ」

「当たり前でしょ……笑わせないで。何がお友達よ、馬鹿じゃない?」

 彼女も同じくゆっくりと身体を起こし、憎しみのこもったその双眸が私を貫く。


「あの暴力馬鹿と一緒にいつまでもイチャイチャと……! 何度、殺しにいこうと思ったか知れない。なにより気に食わないのは、傷つけられている当のあなたが、アホみたいに尻尾を振っていること」

「……ごめん」

 どっちを、とは思ったがもう訊かないでおいた。


「だから謝らないでよ……。これ以上私を惨めにしないで……ねぇ」

 もう一度、顔を拭ってから、彼女はついにその問いを口にする。

「アマモのところへ、また戻るの? あなたをあんな目に遭わせた女に、それでもまた会いに行くの?」

「もちろん。ミハネだって、そのために起こしてくれたんでしょ?」

「違う……よ」

「だって、『やっと気付いたか』とか言ってたし」

「それは……」


 押し黙るミハネ。胸に宿った決意とともに顔を上げて、私は彼女と正面から向き合った。


「私はアマモを愛している。性別なんて関係ない。キツネと会って分かったの。誰になろうが彼女は彼女。私はその容姿だけを好きになったんじゃない」

 ぐらり、とミハネの身体が揺れて、数歩私から後ずさった。激情の炎をその瞳に燃やし、伸ばす右手は過たず、私の胸を指している。


「行かせると思う?」

 その右手から青白い光が立ち上る。蛍のような淡い球状の輝きは、明らかに異能力によるそれだ。

「行くよ。私は」

 それにも臆さず、断言すると彼女の顔は悲しく歪んだ。


「行かせない。絶対に――私は行かさない。行かせられない……!」


 腰を低くした構えを取って、これから始まるそれに備える。相手が『神様』だろうが何だろうが、私には負けられない理由があるのだ。

「アマモのところへ……行くためだもの。邪魔をするつもりなら」



 力の差が絶望的である以上、勝負を決めたいのなら、躊躇している暇など無い。その手を光らせながらも、いまだ立ち尽くしたままのミハネへと、私は向かって右から突撃をかける。応戦するかと思われた彼女は、しかし大きく後ろへと飛びのいて、私を躱した。

 屋上の広さはそうあるわけではなく、せいぜい教室一つ分くらい。落下防止用の手すりをすぐ後ろにして、ミハネは右腕を大きく振りかぶった。彼女の足元のコンクリート、そして背面の手すりが、抉り取られたように円状に消滅する。ミハネの使う光球は、見た目こそ淡く小さなものでしかないが、威力自体はフェネクスのそれと遜色ないようだ。


「それで脅したつもり?」


 私の挑発には耳を貸さず、今度は彼女から突進してくる。素手どころか、身に纏う衣服すら薄い布一枚の私では、まともに打ち合うのは自殺行為――だが、逃げて時間稼ぎをしたところで、彼女を失望させるだけだ。

 よって、跳躍。アマモほどではないが、私だって少女の頭を飛び越す程度には宙を跳べる。突っ込んできたミハネの頭上を飛び越えて、その背後へと着地。素早く反転して、奇襲を試みる。

 急なこちらの動きにミハネは対応できず、背後から彼女を突き倒すことに成功した。すぐさまその両肩を押さえつけて、できる範囲で行動の自由を奪う。


「私の勝ち!」

「あなたが『神様』ならね」


 圧倒的に有利な態勢にあった私は、しかし呆気なくミハネの膂力に跳ね飛ばされる。こちらも人外の筋力はあるはずだが、彼女とはやはり比べるべくもない。いったん間合いを取った私達は、屋上の両端で睨み合いとなる。


「そもそも、勝ち負けなんて無い。私はあなたをここに留める。それだけよ」

「なら――どうして私を起こしたの? ずっとあのままにしていれば良かったのに」

「黙って見ていられるわけがないでしょ……! あなたをあの地獄から解放したくて、私は全てを諦めたというのに」


 激情を迸らせて叫ぶ彼女は、一転して虚脱したような表情を浮かべると、ゆっくりと天を仰ぐ。

「あなたはいつもそう。失敗ばかりの手のかかる子で、何度助け起こしてあげても、すぐに躓いて転ぶ。どれだけ私が心配させられてきたことか……」


 ミハネが見ている先は、きっと追憶の彼方。私が跡形もなく忘れてしまった、二人で一緒だった記憶――それはおそらく、有り得ないくらいに幸せだった毎日で。


「挙句、『神様』だってばらしても……それが何? みたいな顔をするんだもの。信じられる? 『永遠』を生きるこの私が、その辺の女の子と全く同じ扱いなのよ? どれだけアホなら気が済むのか……」


 私はきっと、彼女が語るこの思い出を聞くべきじゃない。それが蘇ることはなく、よしんば記憶が戻ったとしても、より深く彼女を傷つけるだけだ。なぜなら、既に私は選んでしまったから。

 ぼろぼろと涙を落とすばかりになってしまったミハネへと、私は再度、走っていく。彼女は輝く右手を持ち上げるが、その切っ先は私を向かない。光球に触れないように注意しながら、彼女の左肩へ抱き着いた。


「お願い、ミハネ。私を認めて。もう、あなたが覚えている藤月トワはいない」


 しかし、それには一切答えず、ミハネは私を力任せに振り払う。たたらを踏んで、後ずさった私は、こうなってはもう仕方がないと、ある決断をした。ミハネに悟られないように、互いの距離を開ける振りを装って、先ほど彼女がコンクリートを抉った場所へと向かう。手すりを背にする形で、棒立ちしているミハネへと叫んだ。


「我がままだよ、君は。私のためだなんてうそぶくけれど、結局は全部自分のため。私を殺さない、アマモのところから連れ戻しもしない、かと思えばあの空間から脱出させはする……結局全部、自分が傷つかない方法を選んでいるだけじゃない」


 涙で揺らいでいたミハネの視線が、次第に私へと焦点を合わせていく。それを真っ直ぐ見つめ返しながら、私は声を張り上げた。


「いい加減、うざい! とっくに別れた元カノがああだこうだと未練たらしく……。私はもう君のことなんて、何とも思ってないんだよぉ!」

「トワ!」


 文字通り目にも止まらぬ速さで、暴言を吐く私へと疾走してくるミハネ。私はそれを正面から受け止めて――そのまま背後へと跳んだ。彼女が切り裂いて空けた、手すりの無い空間へと。

 相手の動きは尋常ではなかったが、あらかじめ来るタイミングと場所が分かっていれば、その身体を掴むことくらいはできる。私はしっかりと彼女を捉えた状態で、一緒にビルの屋上から、朝の大空へと飛び出した。


「なっ――!」

 今更、気付いたミハネが目を点にさせるがもう遅い。避けられぬ落下の感覚に襲われながらも、私は必死に彼女に告げた。


「選んで。このまま私を落ちて死なせるか。アマモの元へと転移させるか。私はその二つ以外、認めない」

「ふざけないで……! そんなこと許すとでも」


 身を突き抜けるような烈風に、全身の細胞がすくみ上っていく。本能も理性も恐怖におののき、一つも満足に喋りはしない。だから、私は衝動に突き動かされる。


「言ったじゃない! 小林先生の前で、どんな意外な人でも認めてくれるって。あれ、嘘だったの? あんなジジイでも許せるのなら、多少暴力的なだけの美少女なんて、百億倍マシでしょお!」

「それは親友の時の――」

「今でも親友だよぉお! 私はアマモのことを愛しているけど、ミハネのことだって、好きだもん」

「う……ううう!」


 もはや言葉にならない呻きを漏らすだけの彼女。その脳裏では、いったいどんな思考が巡っているのか、いくつの選択肢が並んでいるのか。私はひたすら祈るしかない。ミハネという『神様』が起こしてくれる、その奇跡を。

 落ちてゆく二人、近づく地面。目を閉じる私の耳に届いたのは――。


「ずるい」

 の一言だった。


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