五日目……⑦
合奏している楽団のさらにその奥。床からせり上がった壇上に、鎮座しているそれ。華々しい城の調度には全く似つかわしくない――ひたすらに巨大な水晶の塊。
大広間の天井にまで届かんばかりの、六角柱状のその中には、見慣れた少女の影が一つ。眠っているかのように目をつむったその美しいかんばせは、アマモその人に間違いなかった。
「ひぃっ」
爆発的な悲鳴が飛び出た。こんな高音が出せたのかと、自分でも驚くくらいの甲高いそれに、一斉に周囲の目線がこちらに向く。キツネも同じく面食らったようで、「どうしたの?」と焦った声で訊いてきた。
「あ……あれ、な……なに?」
「なにって?」
「あの水晶だよぉ! な、中にアマ……女の子が!」
「え? あれ、知らないのかい? このお城の守護神さまだよ」
「は……はぁっ? あれが?」
彼の襟首を引っ掴むようにして、その詳細な説明を求める。私の豹変に動揺しつつも、彼は丁寧に教えてくれた。
いわく――あの水晶は古来よりこの城に伝わってきた一種の国宝とも呼ぶべきもので、代々、城主がその保管を受け持ち守ってきた。水晶は年月を経ても一切、欠けることはもちろん、劣化することもなく、内部の謎の少女ともども、大切に祭られているだのなんだの――。
「なわけないじゃん! あれはただの女の子――ではないけどぉ! とにかく、あの子はそういうんじゃなくてぇ――いや、そうか? ええと、でもでも、そう、助けてあげないと!」
焦りのあまり、言葉が支離滅裂になる私だが、キツネは相変わらずゆったりとした表情を崩さない。
「落ち着いて、トワ。確かに、あの中の女の子を救助しようとした、という文献は残っている。でも、どうしてかあの水晶は絶対に破れないんだ。それに、これは多くの学者が納得していることなんだが、そもそもあの子は人間じゃない。いくら水晶の中とは言え、ああもはっきり生身の肉体が残るはずがないんだ」
「知ってるよぉ、そんなこと! アマモは女神なんだから。ええい、もういい!」
私はキツネの手を振り切――ろうとしたが、やっぱり果たせず、仕方なく今度はこちらから彼の身体を担ぎ上げて、その水晶へと走る。あの水晶はこのままにしておけないが、キツネを離すわけにもいかない。
そんな私の暴走に、大広間の人波はざぁっ引いて、一本の道を水晶へと向かって開けてくれる。一段上の檀上へと一足に跳躍し、彼を肩に担いだまま、私はその眼前へとたどり着いた。
間近で見ても、中の少女は私が探していた彼女と、姿形に髪色と何から何までそっくりだ。ウロボロスが言っていたのはこのことだったのか――深い納得が私を包む。
ぺたりとその水晶に右手で触れた瞬間、「離れよ」、とごく小さな子供と思しき、高い声が私の耳を打った。
「それはわらわが捕らえたものじゃ。お前などに渡しはせんぞ」
壇上には誰もいなかったはず――しかし、すぐ隣から聞こえたその声。振り向いた先にいたのは、背の低い少女。そのあどけない顔立ちはまだ十歳を数えるかどうかといったほど。身を包む真っ赤なワンピースにはたくさんの宝石が散りばめられていて、頭上にはさんぜんと輝くティアラを付けていた。
一口に言って、幼い少女がするにはちぐはぐな恰好。嫌な予感がして、とっさにキツネの方を向くと案の定、彼は呆然とした様子で呟いた。
「王女様……!」
やっぱりか……。ひとまず後ろ跳びに水晶から離れると、私はその王女様とやらと壇上で相対した。油断なく睨みつけてくる向こうに負けず、こちらもしっかりと敵意を目で返しながら、小声でキツネにその名前を尋ねた。
「フェネクス……だ。トワ、早く僕を下ろして。こんな姿勢じゃ彼女に失礼だ」
「いいの。キツネ」
ここまでヒントを出されては、さしもの私でも理解できる。つい先ほどの少女――フェネクスの発言と、屋敷における種々の違和感。そしてなにより、水晶に眠るアマモの姿。
ウロボロスと同じ――世界の『神様』。容姿こそ幼女にしか見えないが、状況的に見てそれしか有り得ない。
「こうも早く記憶を戻すとはな……。見たところ、特殊な能力は有しておらんかったはずじゃが」
誰ともなく憎々し気に呟くと、フェネクスはさぁっと右腕を振った。一拍置いて、大広間の喧騒が止まる。ざわついていた人々の声、楽団の演奏、雑踏の足音……全ての音が空間から消えた。人々の方へと目を向けると、魂でも抜かれたかのような無表情で、全員一様に棒立ちとなっている。
「これはいったい……!」
唖然としているキツネの手を掴み、私は背を向けて逃げ出した。壇上を飛び降り、固まっている人々の群れを搔き分けて、大広間の出入り口へと走る。
「待て!」
後ろから鋭いフェネクスの声。だが、それには一切振り返らず、大広間から回廊へと飛び出した私は、速度を緩めずにいったん曲がって城の奥へと向かう。内部の構造など、全く把握はしていないが、できれば狭い場所へと入りたい。
「ど、どこへ逃げるつもりだい?」
全速力を出しているせいで、キツネと握っていた手は途中で離さざるを得なくなる。説明すらできそうにないので、「止まったらダメ」と手短に彼へ声を飛ばした。
『神様』と真っ向から戦うだなんて有り得ない。並みの人間程度ではまず瞬殺されるのが関の山だ。倉庫でのウロボロスは心情的に例外だったが――この状況においては、絶対に負けられない。刺し違えるとか、相打ちとかも不可だ。フェネクスをどうにかして打倒し、アマモを水晶から助け出さなければならないのだから。
回廊の隙間から覗く宵闇の空。大広間から出て、既にかなりの距離を移動したはずだ。聞こえるのは私とキツネの足音だけで、フェネクスが追撃してくる気配はない。ひとまずは振り切ったかと安堵しつつ、目についた小部屋に私は転がり込んだ。
あまり広くない室内には小綺麗な椅子とテーブル、棚などが積まれていた――どうやら舞踏会に備えての調度品置き場として利用されている部屋らしい。武器となりそうなものが置かれていればまた良かったのだが、ないものねだりをしている余裕はない。キツネが入ってきたのを確認すると、私はすぐに扉を閉めて内側の鍵をかけた。……効果があるかと言えば微妙だが、一秒くらいは稼げるだろう。
照明も付いていない小部屋は、回廊に繋がる入口を閉めるとほとんど真っ暗闇になってしまう。身を隠すのならその方が良いとは分かっているが、キツネがいるのか不安になって、私は彼に押し倒すような勢いで抱き着いた。
「のわっ」
「ご、ごめん」
暗がりに感じる、彼の体温と鼓動。しなやかな身体つきの内にある固い筋肉の反発に、そんな場合じゃないというのに、勝手に私の心臓が跳ね上がりだす。暖かな体温に引かれるように身体は動き、もはや腕だけでなく全身を密着させるような形で、気付けば彼に覆いかぶさっていた。
「ト……トワ」
いや……ダメだダメ、ダメなんだけど……やっぱり……!
視界は黒一色、私も、彼も何も見えない。彼我の境界は溶け込んで、意識はひたすら肌同士が触れる熱のみへと収束していく。理性も本能の区別も消えて、私の思考は暴走した挙句、ゆっくりと彼へと顔を……。
「トワ。一つ聞きたいことがあるんだよ」
まさに触れようとしたところで、彼の声が漆黒に響いた。
「君が告白してくれたのは嬉しかったんだけどさ」
その声と被さって、遠くから、岩を掘削するような重低音が聞こえてくる。おそらくフェネクス……どんな探し方をしているのか知らないが、ろくでもないことがすぐそこまで迫っているのは間違いないのに、私の身体はぴくりとも動きやしない。
「なぜ、僕なんだい?」
「それは――」
包丁片手に眠れなかった夜も、トウカと取っ組み合いの殴り合いをした朝も、さかのぼって彼に告白をした夕方も――それらを全てひっくるめたって、常に理由は一つだけ。
「私が」
掘削音はついにすぐ間近へと。爆裂音が轟いたかと思うと、闇を切り裂き、強烈な光が部屋を埋める。石壁を粉砕して飛び込んできたのは、赤に煌めく霞を身に纏ったフェネクス。全身から謎の閃光を迸らせながら、勢いよく積まれたテーブルの山へと突っ込む。直撃するや否や、またも凄まじい炸裂音が響き渡って、金属製のテーブルは粉々の塵芥と化した。
でも、そんなことは今のところはどうでも良い。キツネにその答えを伝えなければ――。
「アマモのことが、好きだから。ねぇキツネ。もしかして君、私を化かしていない?」




