表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私と女神の七日間  作者: 甘党
五日目
23/36

五日目……②

 早朝ということもあってか、幸い廊下に人影は少なかった。衣類の入ったかごを持った使用人がときおり忙しそうに横を駆け抜けていくだけで、私を呼び止める者はいない。気配を殺してなるべく目立たないように、昨日訪れた場所を目指していったところ、私は自分の浅慮を後悔する羽目になった。


 十数人は超える人が調理場に詰めているのだ。料理人らしき人はもちろんのこと、給仕係と思しき人達などが、せわしなく廊下と行ったり来たりをしていて、とてもじゃないが忍び込む隙が無い。人込みに紛れて入るという手も浮かびはしたが、私が着ているメイド服とは違う白地の制服を着ている人が多いため、それも難しいと思えた。なにより、誰にも悟られずに入れたとしても、大きな肉切り包丁を置いて戻るのは、さらに至難の業である。


 これからあるだろう朝食の用意でこんな騒ぎになっているのだろうか? それにしたって多すぎるような……昨日、盗みに入った際も夕食の準備をしていたはずだが、その時は片手で数えられるほどしかいなかった。


「おい君、さぼってないで自分の場に戻れ」

 呆然と廊下から調理場を眺めていたところ、皿を持った給仕の男が私へ注意をしてくる。とっさに「すみません」とは返したものの、彼の視線にいたたまれなくなった私はその場から去らざるを得なくなった。


 とぼとぼと当ても無く歩き出した私は、知らず知らずのうちに、ポケットの包丁の柄をぎゅっと握り締めている。

今朝から何もかもうまくいかない――でも、それは当然の末路。アマモを裏切った私への天罰が下ったのだ。そうに違いない。


「いやいや……そんな偶然あるはずが」

 ない……と言い切れるか?

 かの女神は改めて説明するまでもなく、万能の力と万全の知を兼ね備えている。前回のように他の『神様』による妨害でもない限りは、私の行動など全てお見通しだろう。つまり、私の悪事などはたちどころに露見するのであって、昨日のアレも彼女は知っている――ことになる。あくまで想像による仮定。けれど、否定できる材料は何も無い。


 ならば、もし私の移り気を目の当たりにしたとして、アマモはいったいどう思うか。

呆れる? それとも悲しむ? 彼女はきっとそんな女々しい感情を見せはしない。もっと安直で抜本的に……取りも直さず激怒するに決まっている。そんなことはミハネへの態度からして、明らかだったはずなのに――。


 なぜ私はあんな真似をしたんだろう?

 考えに耽っていると、なおさら自分が嫌になってきて、ひとりでに私の右手は包丁を引き抜いていた。薄く血のこびりついたその刃を見て、結局どうせ死ねないのに、と一人自嘲を浮かべて、今度こそしっかりとポケットの奥にそれを突っ込んでおく。


 人目を避けて突き進んでいく廊下――自分でもどこへ行こうとしているのかさっぱりだったが、とにかく私は無心になりたくて、ひたすら足を動かすことに集中していた。

 そんな私の挙動は傍から見れば相当に挙動不審だったのだろうか――すれ違いざまに、使用人の一人が声をかけてきた。


「あー、君。待ってくれ」

 明らかに私へ向いて喋りかけてくるので、立ち止まらざるを得ず、話を聞いてみると、どうも私に仕事を言いつけたいようだ。

「三階……ですか」

「ああ、ちょっとメイドが入り用だそうでね。事情があって、ここでは詳しく言えないんだが、とにかく急いで上がってくれないか。行けば分かるから」


 ちょっと他の者より身だしなみが高級なその男は、立ち振る舞いと口調も落ち着いた丁寧なものだった。もしかしたらメイドや執事の長なのかもしれない。説明の内容こそ、的を射ない微妙なものだったが、ここは素直に従っておこうと、私は言われた通りに階段へと向かうことにした。なにより、ふらふらと彷徨い歩くよりは、多少不明瞭な目的でも、それに沿って行動した方がマシだろう。


 進んだ先にあった階段を二階、三階と上がっていくにつれて、奇しくも当初の狙い通り、周囲のひと気も減っていく。どうやら忙しいのは一階の炊事家事を中心とした人達だけのようだ。

 しかし、ならば私にやって欲しい仕事とは何なのだろうか。部屋や廊下の掃除をして欲しいのなら、もっと直接的な表現があったように思うが……。静まり返った廊下には、指示を出してくれる人もいなさそうなので、さしあたり、並んだ部屋を見て回ることにした。


 それにしても広い屋敷だ――いったいどこまで行けば、男が言っていたように『分かる』のだろう思いつつも、角を曲がったその時、そこでたたずんでいたらしい一人の女性が、ぱっと視界に入ってきた。


「あの……ちょっと」

 低い小声と、やたら薄い存在感。もしや、今のは私に向けての言葉だったのか、と足を止めて見やると、彼女はたたっと駆け寄って来た。

「ご、ごめん。忙しいところを」


 こちらの顔を見とめるや否や、そう言ってぺこりと頭を軽く下げてくる。やけに低姿勢な彼女に罪悪感が湧いて、「こ、こちらこそすみません」、とつられて私も謝罪を口にしていた。

 その女性は他の使用人達とは少し違う服装をしていた。暗い色のブラウスと長めのスカート。決して優雅な格好とは言えないが、少なくとも下働きをする者の出で立ちではない。年の頃は二十代前半といった風で、おおよその体形は私と同程度だったが、背は少し高いように見える。これまた私と同じ焦げ茶の髪から覗く瞳の形も、私のそれと良く似ていた。

 というか、顔立ちもほとんど一緒な気がする。最近、鏡を見る機会があまりなかったから確信こそ持てないが、もはやそっくりと言っていいレベルで、彼女の相貌には不気味な既視感があった。


「君、ここのメイドさんだよね?」

 じぃっとその容貌に見入っている私に、彼女はおずおずと話しかけてくる。どう答えたものか少し迷ったが、とりあえず頷いてみると、嬉しそうにやおら儚げな笑みを浮かべた。

「そっか……。これまでに会ったこと無いよね。最近、来たの?」

 果たしていつ自分がこの屋敷へと来たのか、具体的なことは全く分からないのだが、あいまいな記憶を頼りに判断するなら、つい昨日のことだと思えた。嘘で誤魔化すという選択肢もあったが、後で追及されても困るし、ここは正直に答えることにする。


「き……昨日です。だから、まだ仕事が上手くできなくて」

 そのせいで三階まで上がってきてしまった――といった旨のことを言おうとしたら、急に彼女がぐっと距離を詰めてきた。

「本当? ラッキーだなぁ……。お仕事が今、無いのなら、少し私の相談に乗ってくれない?」

 そう言って私の手を取ると、期待に満ちた目でこちらを見つめてくる。有無を言わさぬ勢いに、私はつい「え、あ……はい」と返事をしてしまった。


 女性はいっそう嬉しそうに笑うと、私の手を多少強引に引っ張って、奥の扉へと連れていこうとする。彼女に付き合っている場合じゃない――ような気はしたが、同意してしまった手前もあるし、なによりどうも他人事とは思えなかったので、私は抵抗することなく、彼女へついていった。

 廊下の奥の扉は、他の部屋のそれとは明らかに異なる、豪華な装飾が施されていた。これ見よがしに、角には大きな花瓶が備えられているし、そこへと至る廊下の壁には高級そうな絵画がいくつも飾られている。


 まさかこの人……。冷や汗が背筋に伝うのをはっきりと感じるが、ここまで来ては退くに引けない。扉を開いた彼女が無邪気に中へと誘うものだから、ままよ、と私は広々としたその部屋へ踏み込んだ。

 まず目に飛び込んできたのは天蓋付きの豪華なベッド。垂れ下がった薄い布は貴い深紫に染められていて、内に敷かれた布団はふかふかに膨らんでいる。その隣には三つ足の瀟洒なテーブルと椅子が並び、細やかな装飾が為された窓から差し込む朝日が、細い影を作っていた。


 そこへと腰かけるように彼女が言うものだから、いよいよ恐れ多くなった私は握られていた手をぱっと離し、後退りして距離を取った。私の急な動きに、目を丸くする彼女――その仕草には妙な親近感を覚えてしまって、感情のギャップに戸惑いが深まる。


 彼女が何者であるかには推測がついたが、それ以上に何かが変だ……。気味の悪さとも呼べるようなもやもやを振り払うべく、私はひとまず切り出した。


「その……ご用事はいったい?」

「ええっとぉ……。説明するの難しいなぁ。君、私と会うの初めてなわけだし、まず、自己紹介すべきだよね」

 こほんと咳払いとともに姿勢を正すと、私をやけに生暖かい目線で見ながら、彼女はその名を告げた。


「藤月トウカって言うの。藤月はあくまで家の名前だから、トウカでいいよ。一応、ここの娘でもあるけど、どうかそんなに畏まらないで」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ