二日目……④
「……何だったんだろ」
ミハネが後ろから駆け寄ってきて、私の肩に手を乗せる。彼女の疑問はもっともで、アマモとの付き合いの長い私もまったくの同感だ。彼女のやることはいつだって、スケールが大きい割に、終わった後には何も残らない。
「さぁ……?」
肩をすくめながら、吹き飛ばされたアマモの姿を探して空を見上げる。あの至近距離で、かつ亜光速の攻撃では躱すことはまず不可能だったろう。しかし、あの程度で死ぬのなら、女神だなんて私は呼ばない。
以前、六本の翼を持った超巨大怪獣を召喚した際には、見るからにヤバそうな青色の光線の直撃を食らったりもしていたが、若干、髪の色が緑っぽくなっただけで、特にダメージを受けた様子は無かった。それどころか、不機嫌な表情ながらも、『これ戻すの二日はかかるんだからね』とか言って軽快に私の頭を叩いてきたものだった。
確かあれは、病院の機械が教えてくれた、とある映画に出てくる最強の怪獣の話を、彼女にした時のことだったか……。妙なところで負けず嫌いな彼女は、『私の方が強い』と言って聞かなかった。
「あれから逃げるのは大変だったなぁ……。三日三晩、街中を自転車やらトラックで走り回って、最終的には報道機関のヘリを強奪したんだっけ。それも撃墜されて死にそうになったけど」
「トワ。それ、あなたも相当おかしいと思うよ」
「そうかなぁ。アマモと生活してると、普通の基準が良く分からなくなってくるんだよねぇ」
地獄のような眺めになった草原を前に、二人で地に足のつかない会話をしていると、天から一人、少女が舞い降りてきた。
風にはためく短めの赤いスカートと、ぴっちりと身体のラインを浮き立たせる黒いブラウスを身に着けた彼女――アマモは私のすぐ横へと着陸すると、「どう?」、と自慢げに艶めく髪をかき上げた。
「……似合ってるよ。すごく」
求められているのは別の言葉のような気はしたが、とりあえず服を褒めてみると、彼女は嬉しそうに頷いた後、思っていた通り、「違うわよ」と私の肩をぐーで叩いた。
「カッコよかったでしょう? あんなゴーレム、私にかかったら瞬殺だわ」
あ、そっちか……と納得した私は、彼女へ向き直ると、正直な感想を述べてあげる。
「服着替えたのって、もしかしてレーザーに焼かれたせい? だとしたら物凄くダサ……残念なんだけど」
とはいえ、率直に言うのもどうかと思ったので、途中で表現を変えておいた。私の巧みな言葉選びに対して、アマモの反応は素早く「だから違う」、とまた頬を膨らませる。
「褒めなさいよ、この私を。困っていたトワをせっかく助けてあげたのに」
「いやいや、君ねぇ……。マッチポンプって知ってる?」
私達があれやこれやと言い合っていると、ミハネが間に入ってくるなり、急にアマモに「ありがとう」、とお礼を言いだした。
「あなたがどういう人なのかは分からないけど、命を救われたのは事実。だから、ありがとう」
素直に頭を下げるミハネに、しかしアマモは「はっ、どの口が言うんだか」、と突っぱねると、再び私の方を見やって、何かを要求するような仕草をする。あくまで褒めて欲しいのは私からだけのようだが、あいにくこちらは、そんな気持ちには少しもならない。
そんな私の様子に業を煮やしたのか、彼女はこちらへと詰め寄って低い声で言いだした。
「なんでトワは私の思い通りにならないの? 出会った時からずっとそう。理解不能な行動に、意味不明な動機。そのくせ、自分は普通の人間です、みたいな顔をしているから腹が立つ。……私のことが好きなら、私の言う通りにしなさいよ」
そう言って肩を怒らせる彼女の目線を、私は真っ向から睨み返す。
「じゃあ、それで――アマモは満足なの? 君の糸で操られるだけの人形に、私がもしもなったなら。たぶん、そうじゃないでしょ? 君の気持ちは読み取れないけど、それだけは違うって知ったから。だから私は――」
突然の反撃に驚いたのか、珍しく呆然としたままのアマモへと私は一気に畳みかける。そのふっくらとした頬を両側から挟んで、思い切り不細工な顔にしてやった。
「好きにさせてもらう。気に食わないなら、どうぞお好きに」
当然、無礼を働く私の両腕はものの一秒もせずに払いのけられる。続けて飛んでくるであろう罵詈雑言、乱暴狼藉に私は歯を食いしばるが、なぜかいくら待っても、彼女の口は動かない。それどころか、なんと彼女はくるりと私に背を向けて、草原の向こうへと走り出してしまった。
――いくら何でもやり過ぎたか? まるでこの場から逃げるかのような彼女の勢いに、反射的にその後を追おうとするが、その肩をミハネに掴まれる。思わず私が足を止めてしまった間に、アマモは例のごとく高く跳躍して、草原跡地からその姿を完全に消していた。
「ひとまず、そっとしておこうよ。これ以上、話しても拗れるだけだと思う」
「でも――」
振り向いた先のミハネは、不思議な表情をしていた。怒っているのか、はたまた怖がっているのか、二つの感情が入り混じったような、微妙な色合いをその顔に宿している。彼女は私の肩に手を置いたまま、まじまじと私を見つめながら言った。
「トワは……あの女神が怖くないの? あんな怪物を創り出したかと思えば、それを一瞬で破壊しちゃうし……。話している最中の目つきなんて、とてもじゃないけど友好的なそれじゃない。こう言ったら悪いんだろうけど、私は……」
しかし、その先は言葉にしなかった。きっとそれは私への思いやりと、ミハネ自身のプライドによるものだと、私でも分かった。
口をつぐんでしまった彼女に、私は先に「ごめん」、と謝っておいてから、彼女の手をゆっくりと離して、アマモが消えた方角へと歩き出した。当然、その後ろからミハネが追いすがってくる。
「どうするつもり?」
「それは……今から考える」
何も頭に浮かんでいないのは本当だった。会話の流れのまま、あんなことを口走ったり、やらかしてしまったりしたが、その後の対応については少しも想像していなかった。アマモはまさしく女神としか言えない全能の存在で、彼女からすれば虫けら以下に過ぎない私が何を言ったところで、さして気に留めたりなどはしないと……高をくくっていた。
尊敬や謙譲の念は不必要だと彼女は断じたが、だからといって最低限の慮りまで要らないと言ったわけじゃない。私は彼女を……傷つけてしまったのだろうか?
そんな風に考える自分を、頭の中の別の自分がすぐに否定する。
私達人間のように、彼女が悲しんだり、苦しんだりするとは全くもって思えない。彼女はいつも不遜で、偉そうで、業突く張りだ。欲しいものは何でも手に入っただろうし、要らなくなったら、簡単に捨てられる。人間の言葉にいちいち耳を貸したりなんてしない。
いや――でも……。
巡る思考は否定と肯定の立場を入れ替えながら、何度も同じ場面を繰り返す。いつまで経っても結論は出ず、結局私は何をしたら良いか分からないまま、ひたすら先へと進んでいく。
一言も発さなくなった私に合わせて、ミハネは静かに隣を歩いてくれる。……ミハネには心配をかけてばかりだ。先ほどの発言だって、本当に私を思ってくれているからこそだったろうに、私はまともにその返事すらしていない。
そういうところ……なのかなぁ。
アマモの御業によって、勇者……ひいては一般人レベルで身体を動かせるようになった私だが、だからといって、すぐさま『普通』の日常生活を送れるようになったかと言えば、そうは問屋が卸さなかった。
十五年間ずっとベッドの上で寝たきり。知識だけは一丁前に機械によって仕入れることができたが、こと現実に体験したものだけに限ると、私は文字通り赤子同然だった。
神の奇跡だ――と言って沸き立つ、見ず知らずの両親やら医者達の前で、私は必死に戦っていた。今まで覚えてきた言葉だけの情報と、生まれたての五感が運ぶ生の感覚。その二つをすり合わせていくのは、形容できない苦痛だった。
もはやどこにも悪い部分など残っていなかったのに、病室から自分一人で歩いて出る、という作業をこなすのに三日はかけた。それがじれったくて、悔しくて、何度も唇を噛んだのを覚えている。医者いわく、それでも有り得ないくらい早いそうだが、何の気休めにもならない。全世界を探しても、こんな私と同じ境遇の人なんて一人もいないのだから、比べること自体が無意味だ。
私はとにかく急いでいた。自由に動く身体を手に入れたのは、それこそ心臓が止まるくらい嬉しかったけれど、いつだって心の中では、自分はあくまで誰かに助けられただけだ、という事実が叫んでいた。誰かも、どうやってかも分からないけれど、とにかくその幸運に、自分は応えなければならない。義務感とも使命感ともつかない、強烈な衝動が私を突き動かし、私は無我夢中で毎日の身体のリハビリに取り組んだ。
結果として、さしあたり私は『普通』の女子高生然とした振る舞いを覚えることには成功した。高校にもごく当たり前に通えるようになったし、ミハネという友達……もたぶんできた。
でもやっぱりそれらは全て、偽物なんじゃないか、と奥底の自分が言うのだ。急ごしらえの、形だけを取り繕った模造品。それっぽい笑顔や言葉で、いかにも人間っぽく立ち回っているけれど、本当のところ、私は良く分かっていない――人との付き合い方が。
だから、喧嘩したかもしれない友達との仲直りの仕方すら、一つだって思いつかない……のかもしれない。今まで、アマモの強力な個性に引きずられる形で、なんとなく一緒に付き合えてきたけれど、私は彼女に一度でも何かをしてあげたことがあっただろうか。
「好き……とは言っているけれど、それって単に私の感情を押し付けてるだけ……なんだよねぇ」




