一日目……①
勇者。
魔王を倒して世界を救う伝説の戦士――聞くも荒唐無稽な夢物語。だいたい誰が信じるんだ、最近じゃゲームや小説でも大真面目には取り沙汰しなくなったネタ。
二か月前――謎の声に『勇者にならないか』と言われたその時にしたって、出てきた私の感想は『まぁ、どうせ嘘か罠だろうな』、といったところだった。
しかし、かといって断るだけの理由と度胸が、私にあったかといえば……無かった。目の前にクモの糸のごとく垂れ下がってきた、奇跡とも悪夢ともつかない偶然のチャンス。私にとってしてみれば、その声の主が天使だろうが悪魔だろうが、どっちでも良かった。
ただ私の人生を、劇的に根本的に絶対的に、変えてくれさえするのならば――その先に避けようのない『 』が待っているとしたって、私は全くもって大歓迎。だから、その問いかけに、勢いよく頷いたその結果が――。
「ふーん、ここが学校ねぇ……。知識としては頭にあったけど、実際こうして来てみると――微妙。これ、何が楽しいの?」
「……アマモ。学校はね、見て楽しむものじゃないんだよぉ。映画館じゃないんだからさ」
鉄製の校門のちょうど上、腰に両手を当てて仁王立ち。その風貌は着崩しまくった改造セーラー服に丈の短すぎるスカートといった出で立ちで、なにより一番目を引くのが、腰まで届くほどの朝日に煌めく金髪だった。
まるで劇画の中から飛び出してきたかのような、異常なまでの存在感と違和感を放つ彼女は、当然のごとく登校中の生徒達の視線を欲しいままに独占していた。すぐ近くに立っている私の耳には、『何あいつ……やべぇんじゃね?』というひそひそ声が、引っ切り無しに聞こえてくる。一応、その俗世間を超越した見た目に気おされて、接近してくる者こそいないようだが、このまま放置していれば、最悪通報されそうなくらい、彼女は目立ちに目立っていた。
まぁ、何と言っても問題なのは本人にそういった危険性の自覚が無いことで……。私は大きくため息をつくと、ぴょんと校門の上、彼女の隣へと跳び上がった。無論、こんなことをすれば私も目立ちまくるが、背に腹は代えられない。
「とりあえず降りない?」
彼女ほど唯我独尊、自由気ままな奴を私は他に知らないが、決して察しの悪い子ではない。すぐに周囲の動揺に気付いて、生徒達には今更溶け込めないにしても、登校する列に加わってくれると思いきや――。
隣に来た私から逃れるように、彼女はさらにぽーんと背面から跳躍した。現実ではまずみられるはずの無いとんぼ返りを軽々と決めて、今度は道路沿いの塀に着地する。まるで体操選手のような一連の動作に、周囲のギャラリーはまた一段と盛り上がった。中には拍手なんかをしだす人まで出る始末、それに応えて彼女がぴしっと礼を返したりするのだから、手に負えない。
「や、やめてよぉ……。今日は普通に見るだけって、言ってたじゃんかぁ」
「あら、ごめんなさい。だってトワが追っかけてくるんだもの。てっきり鬼ごっこでもしたいのかと」
非難を込めて頬を膨らませた私に、アマモはいたずらっぽく微笑むと、またも空高くジャンプする。そのまま空中で一回転、すらりと伸びた健康的な太ももを、惜しげもなく見せつけてから、塀からはかなり離れた校庭のど真ん中へと降り立った。熟練の曲芸師にだって、絶対に不可能な挙動――まさしく、人間離れした脚力だ。生徒達のどよめきはいっそう広がり、カメラのシャッター音が鳴り響きだす。
その矛先は直前まで彼女と話をしていた私にまで向いて、一人の男子生徒が興奮気味に話しかけてくる。無視するのも悪いかと思って、鼻息荒くまくし立てる彼を何やかんやと誤魔化していると、彼女が校舎へ向かって歩き出すのが見えた。
「あの子はもぉ……。じっとしてらんないのかなぁ」
思わず愚痴が零れてしまう。彼女を放置しておけば、それこそどんな被害が発生してもおかしくない。男子生徒の話を強引に終わらせると、私はダッシュでアマモの後ろ姿を追いかけた。
「こぉら、私から離れないでよ」
すたすたと進んでいく彼女の前へとようやく回り込む。追い越しざまにそう叱る私に、彼女はうるさそうにぼやいた。
「いいじゃない、別に。もっと楽しく遊びましょうよ」
「あのねぇ。あなたの楽しく遊ぶ――ってのはたいていの場合、物をぶっ壊して回るとか、人を化かして発狂させるとかばっかりで……とにもかくにも、ろくでもない。一応、ここは私の母校なんだから、もうちょっと落ち着き……」
「へーえ」
私がまだ喋っている途中なのに、アマモはくるりと顔を背けながら、愉快げに頭の後ろに両手を組んだ。
「この学校ってやっぱり、トワの大事な場所なんだ。大して面白くもないし、来る必要なんか無いーって騒ぐから、おかしいとは思っていたけれど」
「だから違うって……! あと騒いでもないし」
下手な勘繰りをし始めた彼女に、慌てて否定する私。しかし、彼女はもうこちらの話を聞くつもりは無くなったようで、玄関口へとひとっ跳びで移動すると、あっという間に校舎内へと侵入してしまった。その間、僅か数秒。声をかける暇も無かった。
当然、見過ごせるはずも無く、私も必死に走る。大急ぎで下駄箱にまでたどり着き、そこから一階の廊下へと入るが、彼女の姿はもうどこにも見当たらない。入ってすぐの所に階段があるし、上の階に行った可能性は高いが、そのまま一階を進んで芸術棟の方に行ったかもしれない……。つまり、完全に見失った。
この学校は相当広いし、闇雲に探し回っても時間がかかるばかり。かといって、あの子から目を離すということが、どれだけ危険なことかは、この一か月ほどの付き合いで良く分かっている。一分一秒が過ぎていくこの間にも、校舎や生徒に甚大な被害が出てもおかしくない。
さしあたり、階段近くで談笑している二人の男子生徒に『金髪で異様な風体の女子を見かけなかったか』、と訊いてみる。その反応は劇的で、逆に彼らの方から私へと詰め寄ってきた。
「何? 君、もしかしてあのやべぇ女子の関係者? いや、すごい勢いで走ってきたから、びっくりでさ」
「留学生? にしては雰囲気がおかしかったというか……。あんな人が通ってたら、噂になってるはずだけど、聞いたこともねぇし」
ぐいぐいと迫りつつ矢継ぎ早に質問してくる彼らに、うろたえた私はどう応えたら良いか分からなくなってしまう。
「ええと……」
そう言えば最近は彼女と話してばかりで、一般人とのコミュニケーションを優に一か月は取っていなかった。さっきの校門では勢いで誤魔化せたが、面と向かっての詳細な説明となると、口が少しも動いてくれない。
結果、ひたすら口ごもるしかない私。しかし、彼らは興味津々といった様子を崩すことはなく、一向にこちらを解放してくれない。もういっそ、振り切って逃げるか……と考えかけたところで、天の助けが訪れた。