9 悪徳令嬢 VS 妹令嬢
グラッドストーンにはまともな地図がない。
一般客が迷子にならないよう大都市部の案内地図はあるものの、それ以外の地域をわざわざデータ化する必要があるとはだれも思わなかったのだ。
衛星ネットワークは最小限で、GPSは一部の人間が独占して非公開となっていた。だから霧香としては、GPDパトロール艦がグラッドストーン上空を周回した際に集めた地形データに頼るしかなかった。
しかも携帯端末にデータを仕舞い込むのもまずかったから、ひたすら地図を暗記したのだ。
リムジンローバーを自ら運転して北に500マイルほど飛んだ。
まともなテラフォーム惑星を装っていても、ひとたび上空に舞い上がればここが地球の出来損ないだと明確に分かる。
都市部周辺の緑地帯を抜けると大地は土色剥き出しになり、ひび割れ砂漠化している。
赤道に沿って巨大な砂嵐が絶えず発生して、その分厚い雲の帯が見える。極地に近づけば、やはり極端に不安定な低気圧気候によって、雨風が絶え間なく吹き荒れていた。居住可能なのはその間の比較的安定したベルト地帯だけだ。だが荒れた大気が水分を持って行ってしまうため、都市部は治水に苦労している。
クレーター山脈を越えると、ふたたび広大な緑地帯が広がっていた。
何度か私有地侵入を警告するビーコンに突き当たった。気温は3度ほど下がり、過ごしやすい陽気となった。
もともとグラッドストーンは大規模農業生産地になる予定だったので、平均気温はタウ・ケティマイナーより暖かく、季節の変化もメリハリがあり、年間を通じて作付けが可能だ。
農業計画も現在の住民が引き継いでいるようで、霧香は広大な農地や畜産牧場をたくさん見た。気候変動に強いスーパー麦、巨大トウモロコシ、パラレルポテトなど植民地必須の作物を生産する大規模農地だ。
犯罪者だって食べなければやっていけない。それに元来、マフィアはまっとうな商売の影に隠れてコソコソ悪事を働くものだ。
そうした会社は食糧をタウ・ケティ星系じゅうに輸出して、外惑星系から大量の水を買っている。運輸会社もいくつも造っていた。そうした産業のほぼすべてが裏でマフィアに牛耳られている。
皮肉なことに彼らはテラフォーム公社に変わって、気候エネルギーを吸収する海の面積を増やしてテラフォーミングの仕上げを行っていると言えた。
テイラードの牧場があるとおぼしき上空に差しかかった。霧香は三千フィートの高度に降りて、間もなく馬牧場らしい起伏のある地形を見つけた。
それから道路も見つけたので、ローバーを地上走行モードに変えた。
途中の道端に簡単な標識を一度だけ見たが、それ以外、私有地であることを知らせる柵のような物は見あたらなかった。霧香は感知器その他、ハイテク装置も一切持ち込んでいない。見つかったら怪しいでは済まされないからだ。
曲がりくねった道を五マイルほどゆったり走り続けると、地球産の楓の林に出た。林の向こうは、緑の丘陵地帯に囲まれて美しい池が拡がっていた。池の向こう側のほとりに大きな屋敷が見えた。
霧香はリムジンを止めて外に出た。
丘を登って杉木の下で立ち止まり、あたりを見渡した。半マイル先のなだらかな丘の斜面に、馬運動の一団が見えた。
霧香は芝生に腰を下ろして絵画的な景観を楽しんだ。ジョン・テイラードの屋敷はフロリダから運んできたかのようだ。手入れの行き届いた庭に面した部分は、どっしりしたベージュの石造りで、緩やかな上り坂の舗装道が噴水を迂回しながら正面玄関の車止めに達していた。円柱に支えられたコンコードが張り出している。
背後に馬の蹄の音が聞こえた。
霧香は立ち上がって振り向いた。
白馬に跨った少女が舗装路を逸れて近づいてくる。
「こんにちわ、お嬢さん」
少女は返事を返さず、霧香のそばに馬を止めて見下ろした。
まさしく、お屋敷に住むにふさわしい少女だ。ウエストの締まった赤いジャケットに白いシャツ、ぴっちりした乗馬ズボンにブーツ。
年の頃は12~14歳。霧香の妹という年齢に見えた。
黒い帽子のしたから波打つ金髪が柔らかく拡がり、背中にかかっていた。白い素肌。落ち着いた大人びた美貌にはなんの感情も浮かんでいない。
「ここは私有地だわ」
「勝手に入り込んだことは謝罪するわ。わたしは馬を見たかったの」
少女は道端のリムジンを眺め、霧香に向き直った。
「あなた、ひとりでいらしたの?」
「そう。この星に着いたばかりで、まっすぐ街からやってきたのよ」
「馬を買いたいの?うちは商売はしていないと思うけど」
「売ってくれるかどうか伺いたいわ」
娘は優美な長い眉をすっと上げた。
「兄を知っているの?」
「いいえ、ここのご主人がだれか知らない。ただ馬が見えたので……」
「兄と話したいならお好きに……でもまず服を脱いでいただく。それとあのローバーは、ここに置いていってもらう。この辺は無法地帯だから、ちょっとしたセキュリティよ。お屋敷にはあまり人を招かないの。それでも良い?」
「……いいわ」
妙な具合になった、と思いつつ、霧香はジャンプスーツを脱ぎ捨てて下着姿になった。
少女は馬を操り、霧香のまわりを一周した。鞭で肩に掛かった霧香の髪をよけ、うなじの辺りを覗いた。
「OK、わたしの後ろに乗れる?」
「乗れるわよ」
服を着直して、という意味ではないらしい。霧香は差し出されたエレクトラの手と鞍の取っ手を掴み、馬の背に身体を引っ張り上げた。
乗りたくはなかったが、馬に乗れないと答えるのは都合が悪いと思ったし、事実乗れるのだ。霧香の実家は牧場を経営している。子供の頃にはすでに騾馬やポニーに乗っていた。
「わたしは散歩の最中なの。あなた、別に急いでいないわよね?」
「急いでないけど……」
「それじゃわたしに掴まって」
エレクトラは手綱を引いて馬を走らせた。
白馬は楓の林を縫って疾走した。まだ霧香の度胸を試しているのかもしれない。
「失礼、自己紹介していなかった。わたしはセイラ・ブルース」
「エレクトラ。エレクトラ・テイラード」
(ビンゴ!)霧香は内心喝采した。ジョン・テイラードの妹だろうか。資料には親類は地球にいると記されていたのだが。
「それではエレクトラ、あらためて、お会いできて嬉しいわ。よろしく」
「そう」じつに素っ気ない。
「サラブレッドを繁殖させているのかしら?どこで走らせているの?」
「競馬が開催されてる。タウ・ケティの馬牧場にも何頭か預けているし、タウ・ケティ産の馬は地球でも走らせられる……重力が同じだから」
一マイルほどトロットで走らせ続けると、エレクトラはペースを落とした。狭い林道に出た。屋敷のほうにキャンターで引き返した。
「兄はまだ帰っていないと思う。今日中に帰ってくる予定だけど」
「遠くにお出かけしていたの?」
「商用かなにかで……よくは知らないけど」
「そうなの……」
玄関前で霧香は馬から下りた。メイドが控えていて、霧香用にローブを差しだした。
「お洋服は悪かったわね。屋敷で代わりのものを用意させるから許してね。あなたのローバーと服はあとで返すわ」
エレクトラは馬を林の奥にある厩舎に向けて立ち去った。霧香はメイドに案内されて屋敷に上がった。
「お召し替えのまえに浴室をお使いになりますか?」
「いえ、けっこう」
二階のドレッサールームに通され、代わりの服を選んだ。服を取り上げられたのはエレクトラの言ったとおり、保安上の措置だ。端的に言えば服の下にGPDのコスモストリングが現れるか確かめたのだ。メイドたちもそれが普通だと思っているらしく、手慣れている。
現代社会で人間の召使いを雇うのはなかなか困難だ。どんな人間も生活のために誰かにへりくだる必要はないからだ。
彼女たちは奴隷か、社会の枠から外れた難民か。それとも霧香より高い給料で雇われたロールプレイサービス会社の派遣業務員か……いずれにせよ、維持し続けるのはたいへんな費用がかかるはず……。
着替えを終えると、中庭に面した広いバルコニーに案内された。
「お嬢様は間もなく参ります」
メイドはお辞儀して立ち去った。
ひとり残された霧香は庭を見渡した。手入れの行き届いた芝生にガラス張りの温室、彫刻に噴水……個人所有としてはあまりにも広大だ。これがグラッドストーンの特権階級の生活か。
ジェラルド・ガムナーもこの大陸のどこかに、似たような居を構えているのだろうか。雑踏から隔絶した土地で司法も及ばず、大勢の家来をはべらせ……
背後で戸を開ける気配があって霧香は振りかえった。
襞飾り付きのシルクシャツとデザイナーズデニムに着替えたエレクトラ・テイラードが、べつのメイドを従えてやってきた。
「お待たせしたわ。お座りになって」
彼女はそういうと大きな背当ての藤椅子に腰掛けた。メイドがテーブルに飲み物の盆を置いた。ミントの葉とライムを入れた大きなグラスに琥珀色の液体が満たされていた。アイスティーのようだ。
霧香も向かいの藤椅子に腰を下ろした。メイドが立ち去ると、彼女が言った。
「あなた、えー、セイラさん?どこから来たのかうかがっていたかしら?」
「いえ。わたしクエルトベル31から来たの。ご存じ?」
「聞いたことはあるわ。なにか遠い星だったわね?地球に似た」
「ええ……だけどわたしは移住先を見繕っているから、いろいろ巡っている最中なの」
「ふうん……」エレクトラはアイスティーを飲むでもなく、ストローで掻き回していた。
「それで、いまはデルローのホテルに滞在しながら、この星を見て回っている」
「この星に移住?」エレクトラはせせら笑った。「退屈なところよ。住み込むのは簡単だけれど」
「そうなの?」
「そうよ、だれの許可もいらない。でもまともな警察もないから、自分の身は自分でね」そう言いながら面白がるような笑みを浮かべた。無関心で冷笑的……絵に描いたようなお嬢様だ。
「ワイルドなのね」とっておきのボディガードを見せびらかしてやったらどんな顔をするだろう、と思った。(我ながら高慢ちきなご令嬢が板につきかけてる)
「そういうのはお好き?」
「無法地帯、というのがどんなのか知らないの。街のほうはいっけん古風な観光地のようだったけど」
「あそこはまぬけな旅行者用だわ。賭博と乱痴気騒ぎで満足なら街を出ないことよ」
「ここら辺とは違うと……?」
「言ったでしょ?ここはただの退屈な田舎」それから共謀者的な薄笑みを浮かべて続けた。「危ないことに興味があるなら……」
かすかな唸りが聞こえて霧香が空を仰ぐと、ローバーが一台、霧香たちの頭上を通過した。
着陸態勢でゆっくり降下しながら屋敷の向こう側に消えた。
「兄が帰ってきた」エレクトラが告げた。