8 グラッドストーン
〈ブリタニア〉はのんびりした双曲線軌道で恒星タウ・ケティを回り込み、やっとグラッドストーンの駐留軌道に乗った。霧香たちは50名あまりの上陸希望者に混じってシャトルに乗り込んだ。正直言ってホッとしていた。
グラッドストーンは、タウ・ケテイ・マイナーの公転軌道のやや内側を、黄道面から十度傾いた軌道を描いて公転している。軌道離心率はタウ・ケティマイナーより大きく、二つの惑星が最接近すると(絶対に接近しないよう調整されてはいるが)、その距離はたった十万マイルしか離れていない。
〈ブリタニア〉は豪華客船らしく到着は上陸予定地の朝に合わせている。提携先ホテルのチェックインや観光の時間を作りやすくするためだ。おかげで再突入直前に恒星タウ・ケティの日の出で惑星が照らされる美しい光景も眺められる。惑星表面は荒涼とした茶色が目立ち、海の面積は少ない。
シャトルはニューコロナド大陸上空をしばらく飛び、山脈沿いに拡がった街、デルローに着陸した。
町外れのデルローポートは、宇宙港と呼ぶのもはばかられる砂漠化した野原に過ぎないが、駐機している宇宙船の数は数百隻に及んでいた。
しっかりした港湾設備を備えた区画はごく一部。それはタウ・ケティマイナー政府がカネを出して作った。軍とGPDが補給を行うために用意されたものだ。その区画だけに法が適用され、残りのすべてが治外法権区域だった。霧香たちが任務を負えたら、そこに駆け込んで帰りの便を待つことになるはずだ。
空港バスでターミナルに向かい、極簡単な検疫を済ませると、入管手続きは終了した。
グラッドストーンには公的な国家自治体はないから、来るものは拒まず状態になっている。形ばかりの手続きは、難癖を付けて招かれざる客を追い払うための方便に過ぎない。
空港施設を出ると、南国リゾートふうの広々とした公園道路が街に向かってまっすぐ伸びていた。
8車線の道路をまたぐ巨大なアーチには『ようこそデルローへ!』と大書きされていた。それを見たかぎりでは危険な場所のようではなく、事実デルローは「それほど」危険ではない。外貨獲得用の観光都市なのだ。
空気は生暖かく乾いた風が吹きつけてくる。
さっそくタクシーが何台か近づいてきた。霧香とハードワイヤーはその一台をチャーターした。なんと人間の運転手付きだ。霧香はまごつかないよう気を張って尋ねた。
「デルローでいちばんのホテルは?」
中年の運転手は霧香のあとに乗り込んできたイグナト人にチラチラと眼を向けつつ答えた。
「エー……リッツカールトン・デルローですかね」
「そこにお願い」
グラッドストーンには中央交通管制システムがないので、ローバーは基本地上走行に限られ、速度も時速180マイルに制限されている。道路が整備されているのはそのためだ。 その事実を運転手から聞かされたのは、走り出して早々に霧香が「ちょっと!なんで地面を走ってるの!?」と憤慨したためだが、運転手は続けて言った。「――ただしおカネを払えば別ですけどねえ」
霧香は溜息を漏らし、ネットワークで無制限交通パスを手に入れた。かくしてローバーは道路から舞い上がり、音速で街に向かった。
デルローは貯水湖畔に沿って東西に細長く横たわった広い街だった。背後には切り立ったクレーター山脈がそびえている。建築制限のためか、10階建て以上の建物があるのは街の中央部だけだ。
湖畔沿いにはホテルや高級住宅が並んでいる。
通りを一歩曲がった市内は雑然とした印象で、いくつかの幹線道路に沿って娯楽施設が建ち並んでいた。メインはカジノ施設だ。まともな観光客からクレジットを搾り取るべくちょっといかがわしい雰囲気の店が軒を並べている。
お上品な先進世界の住人にとっては、魅力的に映るかもしれない。
リッツカールトンにチェックインして最上階スイートを借り切った。
街の中央部に位置した50階建てのホテルで、湖から引き込んだ円形水路を囲む高層建築のひとつだ。
荷物を解いてひと息ついた霧香は、携帯端末でクレジットの有効額を確かめた。預金の信用度が突然帳消しになっていたら恥をかくことになる。
それまでに費やしたクレジット額に霧香は目眩を覚えた。
定期貨物船に便乗してタウ・ケティマイナーから直行すれば1/1000で済んだはずだ。もともと見境のない貯金には興味がなく、購買欲もささやかなほうだった。
(わたしは根っから小市民なんだ)潔く認めるしかなかった。
それなのに今回の出費で失った額は、霧香が持つ(といわれている)総資産の1/100%にも満たない。これも皮肉だ。
(とりあえず……)
グラッドストーンは独自の貨幣経済圏だ。つまりクレジットを大量に「現金」化しておく必要があった。三日間の出費からして10万ポンド……18万Gドルほど両替しておくべきか。
「どうした?切なそうな顔して。なんならおれに請求を回して構わんぞ」
霧香は首を振った。
「任務が成功したら本部に請求するから、いいの。でもありがとう」
イグナト人が人間の表情を正確に読み取っていることのほうがずっと興味深い。それもあの「まじない」の効果だ。
「それで、これからどうする?」
「ローバーをレンタルする。それからジョン・テイラードの牧場を訪問するつもり」
「直接乗り込むのか」
「威力偵察じゃなくてご挨拶だから。セイラ・ブルースとして本人に会えるか試してみようと思う」
「護衛は必要か?」
霧香は首を振った。
「今日は必要ないかな……あなたは?なにか当たってみたいところはある?」
「出番がないならおれは街をうろついて感触を掴む。できれば異星人コミューンを捜す」
「そのほうが成果あるかもね」