7 霧香、悪徳令嬢になる
8時間後、グラッドストーン潜入のために霧香は旅立った。
面倒だが、回り道する必要があった。
シナリオでは霧香はクエルトベル星系からやってきた金持ちの令嬢で、ボディーガードのイグナト人を引き連れて恒星間周遊ツアーに参加している。
そのためにまず、霧香とハードワイヤーは別々にタウ・ケティマイナーを離れ、ドッキングプールまで赴き、豪華客船〈RMSブリタニア〉の到着を待った。
RMS――英国王室郵船。由緒正しき地球は大英帝国の伝統を受け継いだ船である(ほかの欧州「王室」はすべて滅亡したので「ロイヤル」すなわち大英帝国を意味する)。
物好きな地球人がシルバー世代向きに〈宇宙一周ツアー〉を敢行している。〈ブリタニア〉はそのツアーの一環としてグラッドストーンに立ち寄るのだ。
『現代の青空監獄、惑星グラッドストーン!』パンフレットはそう謳っている。
ツアー客はどこでも乗り降り自由だ。
二日後、第五惑星軌道付近のドッキングプールに集結した艦船の前に恒星間連絡船が現れた。
700万マイル彼方でワープアウト、そして50Gの超減速を果たし、時間通り到着したのだ。
全長30マイル――超巨大な水色の卵形シップ。銀河連合最大の旅客運送会社〈スターブライトラインズ〉の定期便である。
船体には三十種の異星語で、差し渡し二千フィートの船名が記されている。その中には〈LULUDAK〉と人類語も含まれていた。
停泊したルルダク号の表面に無数の穴が開き、ドッキングを解いた人類船がゾロゾロと這いだしてきた。
恒星間連絡船はたった1時間後に出発してしまうので、ドッキング作業は速やかに行われる。総勢500隻あまりの船がすれ違い、見た目にはハラハラするような光景だが、異星人の誘導指揮は完璧だ。
這いだしてきた船のなかに予定通り〈RMSブリタニア〉もいた。
ツアー会社にあらかじめ申し込んでいたから、霧香の乗船はさっそく打診されているはずだ。時をおかずして乗船許可が下りた。
定期周遊船にはつねに船室の空きがある。大企業がいざという時用に席を押さえているからだ。
シナリオはこうだ。クエルトベル出身の金持ち女、セイラ・ブルースはおイタが過ぎてべつの客船から追い出され、乗り換え便の〈ブリタニア〉を待っていた。要注意人物だがカネ払いが良かったので、空の船室を埋めるには都合がよい……GPDの裏工作によって、ツアー会社の個人情報データベースにはそんなことが記載されているはずだ。
そんなわけで、霧香は〈ブリタニア〉がグラッドストーンに進路を向けた頃には一等船室に収まり、プライベートバーで最初のマティーニを提供されていた。
少し遅れてハードワイヤーが現れ、霧香はホッとした。
「乗船手続きで揉めた。ま、ちょっとだけだが」
「地球の船だから……」
「参考になるな。グラッドストーンも地球から移民してきた連中の巣窟だ」
霧香は苦笑して頷いた。先日のばか丁寧な言葉遣いは消えていた。
契約を交わしたハードワイヤーは顔つきからして変化していた。
裂けた口の両端が釣り上がり、まぶたは細く眇められ、巨大な眼球が油断無く狡猾そうにギョロギョロ動いていた。全体的に物凄く柄が悪く凶悪になっている。イグナト人の寿命を縮める代謝活性状態だ。
平均300年の寿命がちょっぴり縮まるからといって、最長寿命150年の人類が気に病むこともないだろうが、早めに仕事を終わらせて、契約から解放させてあげたいと霧香は思っていた。
グラッドストーンが青空監獄というのは事実である。そしてハードワイヤーが言うとおり地球人が大勢いる。つまり……地球の犯罪者、犯罪指向者が追放され、流れ着く先……先進社会の片隅に存在する掃き溜め、後ろ暗い裏通り……惑星一個まるごとそういう状態なのがグラッドストーンだった。
そしていまでは、銀河連合に取り込まれて激変した社会にどうしても馴染めない保守的人間の落ち延び先でもある。カルチェラルショックでヒステリーを起こした人間は人類領域全体にまんべんなく存在していたから、グラッドストーンは瞬く間に人口を増やしていた。
タウ・ケティマイナーの行政府はそうした動きを問題視せず、放置した。
世の中の変化について行けない犯罪指向者が勝手に閉じ籠もってくれるなら、それで構わないと思ったのだ。なんといってもグラッドストーンは目障りにならない太陽の向こう側にあって、一億マイルの真空で隔てられ、タウ・ケティーマイナーの輝かしい社会に害を及ぼすなんて考えられない。
「でも、ジェラルド・ガムナーという人物がグラッドストーンにやってきて、流れが変わった……」
「キングパイレーツだな」
霧香は頷いた。
「マフィア式の強権を発揮して、無政府状態のグラッドストーンを組織化した。いまでは原始的なカースト社会を築き上げている」
「少数の特権階級が経済奴隷を使役して楽園を造り出しているのだな……その経済モデルによっておまえらの母星は一度燃え尽きたのだろう?」
霧香は無念そうに肩を落とした。ハードワイヤーはきっちり予習している。
「滅亡寸前まで行ったわ」
いまや人類の歴史は単なる知識ではない……べつの種族と比較される記録なのだ。
そういう状態になって初めて、思いもよらなかった羞恥心も生まれる。知性を獲得して数百万、数千万年も存続している異星人に対して人類のわずか一万年ほどの歴史は、あまり胸を張って語れるものではなかった。
「とにかく」霧香は気を取り直して続けた。「そんな状態だから入管は比較的楽のはず……」
と言うより素通りだろう。煩わしい思いをしなくて済むかどうかは賄賂次第だ。「それからわたしたちは、ニューコロナド大陸でいちばん大きな街、デルローに直行して、いちばん豪華なホテルにチェックインする」
「その最後の部分は必要なのか?」
「もちろん。どうせなら自分たちの社会的地位を目一杯底上げしといたほうが良いのよ。そのほうが好き勝手にうろつけるから」
「なるほど」
ハードワイヤーがまどろっこしい手続きにイライラしているのは分かっていた。とはいえ人類領域で悪目立ちすることは望んでいない。
マティーニを飲み干した霧香は安楽椅子から立ち上がって宣言した。
「さて!わたしは偽装工作のつづきがある」
「なにをするのだ?」
「船内のショッピングモールで上等な服と装飾品をいくつか。タウ・ケティで揃えるのはまずかったから、ほとんど手ぶらなの……人間の金持ち女はそういうものを揃えないとね」
「そうか。おれも荷物は船倉に押し込められてしまった。武器になるものを物色してみる」
霧香はまた苦笑した。「程々にね」
結局、ハードワイヤーの契約金、旅費、その他諸々まで霧香のポケットマネーから捻出していた。セキュリティ上そのほうが好都合だからだ。
どうせなら派手に散財しようと思った。
(わたしはセイラ・ブルース。吐き気を催すほどカネがだぶついた上流のお嬢様)
鏡に映っためかし込んだ自分に言い聞かせた。
正直言って金持ち女……しかも俗っぽいが上流の物腰は生まれながら身についているようなご令嬢となると、経験は4.0ロールプレイ偽装訓練のみ。手始めに無頓着な金銭感覚を身につけてみようと考えたのだ。
それで船内での三日間は忙しく過ごすことになった。
買い物に始まり、朝食、昼食、船長が参加する夕食会のすべてがじつに優雅で長々と続く。それプラス深夜まで続くパーティー、夜食、演劇……。
楽しみの半分は飲んで食べることで、誘惑は果てしなく、そして汗水垂らしまともな運動をする機会はない(せいぜい優雅なスカッシュか水泳程度)。
霧香は27種類ものコース料理を片端から食べないよう必死に務めたが、滅多に食べられない地球産の山海珍味の誘惑は抗いがたく、挙げ句とどめのアイリッシュバターをたっぷり使ったナッツベリィパイ・ア・ラ・モードを断ったときは枕に顔を埋めて泣いた。
ひとつ気付いたこと……お金を使う人間は急に知り合いが増える。
船内二日めには船長以下幹部乗組員全員ほか大勢に覚えられ、次々差し出されるサービスに「え、そんなのいらないし……」とうっかり言わないよう気をつけ、優雅に微笑んで「それでけっこうですわ」と答えるのに気力を振り絞った。
セイラ・ブルースは夕食会で船長のテーブルに招かれた。
「素晴らしいですわね……かの有名な〈タイタニック〉から続く伝統なのでしょう?」と意見を開陳したが、処女航海で沈没した船を引き合いに出された船長は、顔色ひとつ変えずにやんわり聞き流した。
そして霧香は「ちょっぴりおバカだが大目に見てあげよう」という立ち位置に落ち着いた。
地球から来た客の大半が老夫婦か、あるいは愛人同伴の紳士並びに淑女だ。
一等客は百名あまりで、船室のグレードは低いが社会的地位はあまり変わらない二等客300人(比較的若い家族連れ)が続く。そして三等船室には団体移民も千名ほど。二等三等はたいてい寄港先ひとつかふたつを経由するだけの短期滞在客で、3ヶ月間もかけて20あまりの太陽系を巡り続けているのは一等客だけだった。
異星人同伴の霧香は注目の的だった。
もちろん、地球生まれの多くが眉をひそめたが、育ちの良さが勝り、露骨なクレームはなかった。
上流階級の何人かは、それを新たなステータスと受けとめたようだ。良くも悪くも「異星人なんてとんでもない!」という一辺倒な思い込みを考え直している。
船内の人間力学はたいへん興味深かった。
大勢のおじいちゃんおばあちゃんと仲良くなり(霧香を自分たち専用の小間使いだと思っていたようだ)彼らが品よく、しかしきっぱり二等三等客とのあいだに線引きする様子を見た。
船首展望ラウンジでは、ドーム状の天井に映る観光地の映像を眺めながら午後のお茶にお招きあずかった。
デリケートな陶磁器のティーカップを傾け、上流のかたがたの話に耳を傾けた。たいがいは寄港地の感想……それも辛辣なご意見ばかり。辺境育ちの霧香にとっては聞き捨てならないこともしばしばだったが、銀のケーキスタンドに盛られたカップケーキや焼き菓子をもうひとつ試すべきか我慢すべきかという問題に意識を集中した、
誰も天体の運行に興味はなく、ぼんやり星空を眺めようという人間は皆無だ。
そして船内ゴシップの数々。
紳士淑女と航海士、エスコートサービス資格のある雇われ芸人誰彼とマダム某がどうしたとか……そんな噂話がひっきりなしに横行していた。霧香自身もことあるごとに誘われ、その都度異星人ボディガードの威力を試したので、ついには「あの尻軽女は鉄の処女を着けている」という評判を勝ち取るに至った。
航宙船はメインドライブを備えているために、燃料搭載量ほか諸々の制約から解放されている。基本的には目的地までの中間、転向点までずっと加速し続けられる。
だがその場合、転向点を超えたら今度は船尾を進行方向に向けて減速し続けねばならない。それはあまり優雅とは言えない……と旅行会社が思ったのか定かではないが、RMSブリタニアは一時間緩やかに加速したあとは慣性航行に任せている。
あくまで進路に舳先を向け、堂々と、というわけだ。
掻き分ける海原もない宇宙空間で向きなんてこだわっても仕方ないと霧香は思うのだが、イメージが肝心なのだろう。
乗客のほとんどは船内生活を満喫するのに夢中で、寄港時間短縮にはこだわっていない。恒星を大きく回り込んで、途中第1惑星グレーボルトと第2惑星ラムゲンを眺めながら、ブリタニアはたった一億マイルを三日間もかけて移動するのだ。
霧香は三日間大いに学んだ。そして人間性について胸一杯になるまで考え込んだ。