6 ドラゴンハーフ
人間用にひとつだけ設けられたエレベーターで上に昇った。
かれら自身は、吹き抜けになった建物中央に巡らせた蔦や枝を這い伝っているようだ。
霧香は他のイグナト人を何にんかみとめた。手足を使って体格からは想像もつかないスピードで這い回っているので、一瞬姿が見えただけだ。枝の上でのたうつ蛇みたいな生き物もいたが、あれはイグナト人のペットか、使役獣か、それとも霧香……GPDも知らない異星人か……。
終戦時に地球人に存在が知らされた異星人はクラウトア宗主族配下の44種の種族だけだった。だが銀河法典は他の宗主族配下異星人の往来を制限していないため、人類領域にも訪れる。
国連はそうした異星人の情報をコツコツと収集して、現在では約700種の知的生命体の存在を確認していた。そのすべてが何らかの形で宇宙進出を果たした種族なのだから、銀河は広い。
ハードワイヤーのオフィスか会議室なのか……自然の大木の幹のような壁に囲まれた、温かい岩場を模した部屋に通された。こちらは一階とは打って変わって、様々な調度や本らしき物が並んでいて、生活感が感じられた。
「失礼する」
ハードワイヤーは上っ張りをすっぽり脱いで枝に吊した。
室内には平らな床はほとんど無く、絡まり合った枝を伝って岩によじ登らなければならない。岩の表面は温かく、冷血動物を祖先に持つイグナト人には心地よい環境だ。霧香もなんとかそれに倣った。
どこからともなく風が吹き抜けてくる。それが規則的なリズムで建物全体を鳴動させていた。造り方は原始的だったが耐久性は人類のビルと変わらない。この建物は生態素材のスマートマテリアルで造られていたのだ。
ハードワイヤーは岩に俯せになり、太い尻尾を左右に振った。まるっきり恐竜か太りすぎた巨大イグアナといった感じだ。
霧香も片腕をついて足を崩し、温かい岩に楽な姿勢で座った。
ふたつの岩のあいだに、テーブル代わりの切り株があり、壺とグラスが用意されていた。裸になったハードワイヤーは、壺の中身をふたつのグラスに注ぎ、ひとつを霧香に差し出した。彼のグラスにはストローと思しき木の枝が添えてある。本当は舌を出してペロペロ舐めたいのだろう。
部屋が暗くなり、霧香とハードワイヤーのあいだにホログラムが浮かんだ。
「あなたがたから送られてきた資料に眼を通した。我々は地味な調査が得意ではないのでたいへん助かります。……我々の得意分野は焦土作戦なので」
「はは……」冗談なのか分からない言葉に霧香は困惑した。
「――さっそく、明日の便で現地に赴きますが……GPDの身分を隠して潜入する必要があるので、多少時間と手間がかかります。おそらくですが、わたしの調査次第で本格的な立ち入り捜査が行われるでしょう……しかし、ひとつ確認させてください」
「なにか?」
「あなたがたが特に問題視されているのはなにか知っておかないと、調査のしようがありません」
「つまり具体的に、海賊に略奪されたものを知っておかねば、と?」
「そうです」
ハードワイヤーはわずかに考え込んだようだ。返答を待つあいだに霧香はグラスを傾けた。泡立つ真っ黒な液体はざらついた舌触りの甘いソフトドリンクだった。
「ご存じだろうが、それらは人類領域外から輸入された貴重品で、我々に必要な物、としか言いようがない」
「なるほど……」イグナト人の生態に関わるものなので開示したくないのだ。「ですが形状的な情報などを教えて頂かないと……」
ハードワイヤーが片手をあげた。
「その点だが、ひとつ、よろしいか?」
「はい」
「かの地には大勢の異星人も流入していると聞いている。イグナト人はヤンバーンやブロマイド人に続いて人類には馴染みの種族だと思う。わたしもあなたの調査に合同したいのだが」
思いがけない提案に隙を突かれた霧香は、思わず聞き返していた。
「あなたが?わたしと同行……?」
「差し支えなければ」
「えーと――」ランガダムは霧香を送り出す間際に言った――イグナト人に貸しを作るつもりでなんなりと聞き入れろ……。
「――ハイ、問題ありません……とは言えませんが……」
「どのような問題が?」
「グラッドストーンの地球人は、基本的に異星人嫌いだと聞いています。異星人が大勢いる、という情報は、ハッキリと確認できておらず……」
「それはこちらである程度把握しています。流入はある。しかしどのような状況で生活しているかまでは分からない」
「そうなんですか」霧香は首を傾げた。GPDさえ知らないことを把握しているのか……「なら、承知しました」
(ちょっとあんた即断過ぎでしょ!?)霧香は内心焦りまくった。
重大な決断に際していちいち上司のお伺いを立てているようでは、子供のお遣いと同じである。だから保安官には高度な訓練が施され、現場の判断を上層部が事後承認するかたちでGPDは回っている。しかし現実には、その判断基準はとてつもなく曖昧だった。
「良かった。我々の捜し物を確実に見つけるためにはそのほうがよい」
「しっしかしですね、偽装工作が必要です。人間とあなたがたのペア……多少奇妙な取り合わせではありませんか……?」
「そうでもないでしょう?我々は傭兵で、基本的にどんな雇用にも応じるのだ。事実、犯罪組織に雇われた兵隊も存在する」
あらかじめ同行するつもりだったようだ。霧香はもう少し食い下がった。
「わたしがあなたを雇うんですか?しかし、千人隊長を雇うお金なんてありませんし、雇われてしまうと、あなたの肉体にも悪影響があるのではないですか?」
なかば言い逃れじみたご託を並べているのは自分でも分かっている。
とはいえ、〈雇用契約〉してしまったイグナト人は生理的なギアが切り替わり、任務終了まで代謝機能が増大する……オーバードライブというか、マラソンし続けているような状態になって、結果的に彼らの寿命を短くするのだ。
「通常の〈契約〉ではその通りだが、もっと個人的な、いわばきょうだいの契りとでもいう方法があるのだ」
「個人的……ですか」未知の領域に踏み込んでいる、という不安に霧香は逡巡した。
でも結局、好奇心が勝った。
まじないじみた儀式が終わったときには、真夜中になっていた。
ハードワイヤーに従って飲んだ薬剤……刺激の強い香辛料入りのアルコール飲料の影響か、まだぼんやりしていた。
(麻薬かな)少々心配になったが、携帯端末のメディカルインジケーターは問題ないとしている。過去にも一度だけ〈きょうだいの契り〉が人類とのあいだに交わされた……ハードワイヤーはそう請け合って霧香を安心させた。
儀式の細部は他者に漏らさぬようにと釘を刺された。
霧香も報告書に盛り込む気分ではなかったので、喜んで省くつもりだ。なんせセックス寸前というところまで肉体的、精神的に追い込まれたのだ。
(人間相手だってまだなのに初体験の相手が異星人でした、なんてことになったらいくらなんでも悲惨すぎ……)
でもあの時、ハードワイヤーに首筋を甘噛みされたときに感じた鋭い官能は……
霧香は激しく首を振った。
それまでスピリチュアルなんて信じていなかった。しかしながら……今夜の経験はその認識を改める必要があった。
儀式が終わると、霧香の視界は完全に変化していたのだ。
個々のイグナト人を難なく見分けられる!
無理解から生じていた生理的嫌悪感も恐ろしさも消えた。
彼らの生態、肉体的な完全さ、どのイグナト人がハンサムなのか、そんなことまで理解できた。おぼろげながら言語体系まで頭に入ってくる。このまましばらく一緒でいれば、イグナト語が理解できそうだ。
驚くべき変化である。霧香は多幸症的な気分を抑えようもなく、夜の公園をスキップしていた。
いまやハードワイヤーは霧香の家族同然だ。裏切ることなどできない親密な愛情で結ばれたきょうだいだった。強烈な相互理解のちからを感じる。文字通り心を通わせていた。
人間の恋人だってこれほど親密になるのは容易ではない……でもそういう絆はたしかに存在するから、イグナト人が相手でもきっと可能なのだろう……あの儀式はそうした深い相互理解を劇的早さで達成できるのだ。
催眠暗示による洗脳ではない。それは分かった。そうであれば自分になにが起こっているのかあれこれ思案するまい。
よほど切羽詰まっていなければ彼らもやらない手段なのだ。なぜなら、この儀式にはお互いの心の内をさらけ出し、邪悪な意図が隠されていないか(彼らのために)確認する、という側面があるからだ。
彼は霧香を恐れていたのだ!
無敵の戦闘民族でさえ、だれかを恐れることがあるのか!?それこそたまげるような認識だ。
それでかれは手っ取り早く霧香の信用度を確かめねばならなかった。
たったそれだけのために、彼は霧香に絶大な能力を分け与えた。種族間、という大きな(政治声明なみに空虚な)共感ではなく個人対個人。せいぜいその程度が限界だと彼らは理解している。リアリストなのだ。
(大変なことになった)
勝手にハードワイヤーの同行を承認してしまったことなど、ハードワイヤーが霧香に寄せた捨て身の信頼に比べれば、重要なことには思えなかった。
(今夜は徹夜で準備しなくちゃ)
というわけで今度こそ続きは次週。