5 異星の領事
爬虫類ヒューマノイド、イグナト人。傭兵を生業とする流浪民族。
人類が長年イメージしていた「悪い宇宙人」そのものだ。
SF作家たちが千年にわたって描き続けた爬虫類宇宙人が、実際に存在していたのだ。しかも彼らはまさに凶暴な悪役宇宙人そのものだった。
さらに悪いことに、実際に接してみると、その顔立ちにはカメレオンの1/100ほどの愛嬌もない。
裂けた口には頑丈な歯が並び、頸は頑丈で人間が素手でへし折るのは不可能だ。厚いゴムのような鱗に覆われた二メートル強の体躯はひょろ長く、しなやかな筋肉の塊だ。人間用の小銃弾では致命傷を与えるのは難しい。
静かに生活していれば平均寿命三〇〇年だが、激しい運動をすればするほど(つまり戦功が多いほど)寿命は縮まる。そうして早死にした者ほど勇者として崇められるのだ。
足は短いが、走るときは四つ足で素早く音もなく移動する。またかぎ爪で壁に張り付いたり長い尾で木の枝からぶら下がるなど縦横無尽なため、地べた生活者の二次元感覚を引きずる人類にとっては、極めて捕捉し辛い。
霧香が知っていることはその程度だ。そして先ほどのステーションでの邂逅が経験のすべてだが、そのことを大佐に告げるとややこしいことになりそうなので止めた。
対戦闘訓練もシムで経験したが、訓練の結果得た教訓は「絶対戦わないこと」……
霧香はタクシーローバーを公園に着陸させ、半マイルほど歩いた。数少ない都会の遊歩道だ。周囲は千フィート超のビル壁に遮られている。ときおり、人間にとっては危険レベルの激しい降雨があるため、歩道の大半は地下にある。
ハイフォールのような都会で「地上一階」とか「地面の上」という概念ははっきりした意味を持たない。だがとにかく、この公園には土の地面があって、地上のように思えた。霧香は田舎者丸出しで摩天楼を見上げつつ、やがて目当ての建物を見つけた。
外観は穴だらけの超巨大なタケノコといったところだろうか。
高さはざっと100メートル。表面は鬱蒼とした土色で、複雑怪奇な網目模様が刻まれていた。アントニオ・ガウディが悪魔教の信徒だったらこんな建物をデザインしたかもしれない。
異星人の多くは居住目的の建物を人類の請負業者に任せたりしないので、このビルも等身大のトカゲがその身体特性に見合った工法で造り出した。その様子はヴィデオに記録されている。いっけん材木と粘土がおもな建材で工法も原始的だったが、もっとも印象的だったのは彼らが命綱を使わず、うっかり足を滑らせて高所から地面に叩きつけられても死なない、ということだった。
一階の大きなアーチ型の入り口……というよりは巨木の根元みたいな裂け目ををくぐると、意外にもまっとうな吹き抜けのロビーだった。何を参考にしたのか、人類向けに精一杯、役所の受付のような雰囲気にあつらえていた。ただし天井は入り組んだ木の幹が縦横に張り巡っていた。
ロビーの中央には等身大のブロンズ像が建っていた。霧香は近寄ってしげしげと眺めた。イグナト人兵士が小柄な、見るからにひ弱そうな異星人をかばうように立ち尽くしている像だった。装飾といえばそれだけだった。
フロントらしきカウンターには誰もいなかった。
「なにかご用ですか?」
いきなり背後から声をかけられ、霧香は飛び上がった。振り向くとたった一メートル離れてイグナト人が立っていた。
「驚いた……まったく音も気配もないんですね!」
「脅かして申し訳ない……しかし、あなたは人類にしては冷静だな。地球のご婦人方は、もっと些細なことで悲鳴を上げられるのだが」
珍しく、服を着たイグナト人だった。服を着ているので、それ以上の特徴は霧香には分からなかった。
イグナト人は少なくとも4種類の「人種」に大別できるのだが、人類は専門家であっても大きな鼻面の形状と鱗の模様でかろうじて見分けられる程度だ。個体差まではとうてい判別できそうにない。彼が雄なのか雌なのかさえ分からない。
そういった情報は尋ねればあっさり教えてくれる異星人もいるが、イグナト人は種族に関する固有情報の開示を徹底的に秘匿していた。戦闘民族故か、弱点を探られたくないのだ。
「わたしはGPD保安官、霧香=マリオン・ホワイトラブ少尉です」
イグナト人は頷いた。実際には大きく張り出した喉仏を膨らませ、頭を前後に動かしたのだが。
「そうだと思っていました。先ほどは失礼をお許しください」
「いえ……」
「さっそく来て頂き感謝します。正直、もう少し待たされるものと思っていました」
霧香は決まり悪げに苦笑した。「終戦以来、宗主族に急かされっぱなしですから。私たちも政府というものを発明して以来かつてなく勤勉になりつつあるんですよ……ああ、ひとつ質問してよろしいですか?」
「どうぞ」
「この銅像、どんな意味があるんですか?」
イグナト人は霧香の隣に並んで銅像を見上げた。
「これは、我々の種族が好む普遍的ファンタジーです」
「神話とか信仰的なもの?」
「我々イグナトは軍事的リアリストです。戦闘の趨勢は数で決まると承知している。それ故に……少数で多数の敵を倒す、弱者の側に与して戦局を引っ繰り返すというファンタジーを好むのです。この像はそういった場面を表している。地球人にも好印象だと分かっているのでここに置きました」
「勇者信仰ですか」
「そう言って良いでしょう。われわれは強力な戦士を尊敬する。実際、三〇六三年に人類側と契約して戦った連中も、そういうファンタジーに感化されていたのかもしれません」
「それに感謝します」
彼は喉の奥で唸った。笑ったのだ。
「本当は、我々は戦局の不利有利に関係なくどんな陣営とも契約し、必要な戦力を供給するのですよ。我々と契約した大英帝国と環太平洋経済連合は、今も契約金を払い続けています。あなたたちが感謝すべきはむしろ、われわれと契約する方法を探り出した人類先人の英知に対してでしょう」
霧香は頷いた。恒星間大戦の知られざる一面だ。
「申し遅れました。わたしはウル・バラククランの千人隊長。故あって人類領域の代表窓口を任された。あなたがたの言葉では領事とか、外交官というのかな?とにかくわたしのことは、ハードワイヤーと呼んでください」
本名は聞いても無駄だ。蛙の鳴き声と猛獣の呻り声の連続みたいなイグナト人の言語は、人間にはとても発音できないし表記することもできない。
霧香はイグナト人のあとについて階上に向かった。
ハードワイヤー自身が千人隊長ということは、人類でいえば大佐かそれよりひとつ上くらいの階級だろうか。文字通り、少なくとも千人の兵隊を指揮する立場という意味なのだから。
イグナト人千人分というと、ざっと人類の陸軍機械化四個師団に相当する兵力だ。彼らの単位で言えばイグナト製強襲揚陸母艦一隻ぶんの戦力ということになる。
かつて人類が契約を結んだのは四人の千人隊長だったが、安い買い物だろう……それだけの戦力が手に入れば、霧香のような軍事素人でさえ惑星をひとつかふたつ制圧できてしまう。なにしろ彼らの提供する戦力にはもれなく、血も涙もない超優秀な作戦参謀と戦術がおまけに付くからだ。
イグナト人を雇うとはそういうことだった。
本来ならハードワイヤー閣下とお呼びすべきところだが、異星人相手の敬語に腐心するより、知らなかったで済ましてしまうほうがお互いに無難だ。
(だいたい外交官相手に新米少尉ひとりを派遣している時点でかなり礼を失してないか?)霧香はわが組織の評定査察部がまともなのかどうか心配になってきた。(幼稚園児には三人派遣したと知られたらどれだけ腹立てるか……)
続きは次週月曜日からです。投稿時間は変えるかもしれません。