20 逆撃
オークションが始まって、霧香は司会者のマイクで増幅された声に聞き入った。威勢のいい早口で紹介される品目からして、やはり大半は生き物……人間も含まれているようだ。12歳の少女が二万Gドルで落札されるのを聞いて霧香は戦慄した。。
(そんなプレイがしたければ古代ペルシャのハーレムなり、4.0で本物そっくりのゲームを体験できるだろうに、なんでわざわざ現実でやりたがるのだ!?)
やがて性悪お嬢様がふたたびやって来た。パルスライフルを抱えた護衛のマッチョ女ふたりを従えていた。
霧香は顔を上げた。
「わたしの番なの?」
「あんたはまだ。そっちの坊やのほう。立って」
少年がのろのろ身じろぎして立ち上がろうとするのを、霧香は肩に手を置いて制した。代わりに立ち上がり、背を伸ばせないまま鉄格子に持たれてエレクトラを見た。
「ちょっと、なんのつもり?」
「少し、お話ししましょうよ」
「なあに?あんたが金持ちのご令嬢じゃなくておまわりでした、とか?お生憎だけどその程度の話は想定内だから」
「うんうん。そんな大げさな話じゃないのよ……じつはわたしイグナト語が少し分かるのよね。それで……フグ毒を盛られてグロッキーになってた彼に近寄ったとき、彼ただ唸ってたわけじゃなくてお喋りしてたわけ――」
エレクトラが眉をひそめた。霧香は声を落として続けた。
「――それでね、彼ふたつ言ってた。ひとつめは、あなたはニセモノだって」
「……なんですって?」
「二日前カジノに現れたときと、パーティー会場でフグ毒を盛ったときに立ち会っていたあなたは別人だって言ってたわ。匂いが違うんですって。それで、いまのあなたはどちらのエレクトラなの?」
「たまげた」エレクトラも声を潜め、霧香に厳しい眼を向けた。どこがどうなのか、顔つきも微妙に変わった。「このボディは最高級品なんだ。入管のスキャンにさえ見破られたこと無かったんだが」口調も変化していた。
「ジョン・テイラード」霧香は続けた。「あなたジョンでしょ?妹さんそっくりのアンドロイドを作って惑星外まで神出鬼没に巡り回っていたのかな?」
思いがけずエレクトラがふっと笑った。
「きみ、本当にGPDかどこかの捜査官なんだな?面白い」自嘲気味に首を振ったあと、真顔に戻った。「……それでもうひとつの話は?」
「イグナト人がフグ毒に弱いってお話だけど、あれは彼ら自身がひろめたカウンターデマなんですって。本当はそんなもの効かないの」
「それでわれわれはまんまと引っかかったというわけか……あのインチキ学者め。ということはつまり、どうなるのだ?」
「つまり……いまハードワイヤーはあなたの後ろにいる」
エレクトラが素早く振りかえると同時に、かぎ爪付きの巨大なこぶしが首根っこを掴んで持ち上げた。
そしてエレクトラがなにを言う間もなくその細い首を引きちぎった。
音もなく地面を這ってきたハードワイヤーにふたりの護衛は気付かず、慌ててパルスライフルを構えようとしたところにエレクトラの死んだ胴体を叩きつけられた。ふたりとも弾き飛ばされたが強化服を着ていたため、ひとりは頭を粉砕されていたがもうひとりは無事でいた。しかし地面に転がりながら体制を立て直しかけたところに大きく跳躍したハードワイヤーが覆い被さり、その喉元にかぶりついた。護衛は悲鳴を上げたがごく短いあいだだった。
鼻面を血まみれにして立ち上がったハードワイヤーは、少女のからだを無造作に霧香の前の地べたに放り捨てた。
(ニセモノだったか……)人間の赤い血ではなく赤と白の混じった液体が地面に広がっていた。
ハードワイヤーは死んだ護衛の腕から携帯端末を引き剥がすと、コマンドを打ち込んで檻のロックを外した。「そろそろ仕事に戻るぞ」
「あなたの目的のものはあったの?」
「見つけたぞ」
「ちょっと待って」
霧香は檻の奥に引っ込むと、天使属の少年の腕を引っ張りながら戻った。ハードワイヤーは彼らなりに顔をしかめた。
「そいつはなんだ?」
「彼は奴隷売買の証拠なの。証言してもらう。連れ帰る」
「面倒ごとが増えたな」
「できればほかの奴隷もできるだけ救出したいの……だから無差別殺戮は控えてよ」
「ならしばらくおれの邪魔はするな。それからブロマイドの輸送艦からなるべく離れていろ……衛星軌道に待機しているおれの強襲母艦に連絡したので間もなく援護爆撃が行われる。水辺まで待避しているがいい」
「爆撃!?……そんな無茶な……」
霧香のとなりでは少年がイグナト人の巨躯を呆然と見上げ恐怖に硬直していた。霧香はその少年の肩を掴んで言った。
「聞いたわね?この」霧香は頭上の十字架を指さした。「十字架からできるだけ離れて。アリーナと逆のほう、水際まで行って、そこで待ってて。かならず迎えにくるから待ってて。見失わないように名前を教えて」
「リ……リュート」
「リュート、わたしはほかの檻の人たちを解放する。そうしたら迎えに行くからね?約束」
「わ・分かった」イグナト人からいますぐ逃げたそうだったので素直だった。霧香が背中を押すと一目散に駆け出した。
「おまえもどこかに隠れたほうがいい」
「聞いてたでしょ?わたしも仕事しないと」霧香はパルスライフルを拾ってエネルギーパックとマガジンをチェックした。
「檻を解放して回るのか?」
「そうよ」
「おれは抵抗するやつを片端から始末する。何分かバックアップできん」
「了解!」そう言うなり霧香は空に向けてライフルを連射した。球形の警備ロボット二台が黒煙を曳きながら地面に落ちた。
「これで警報が鳴った」
「なら急ぐぞ」
「ああそれからジョン・テイラード!あいつは只者じゃない。サイボーグよ。人間より強いし素早いかも。気をつけて!」
「分かった」
ハードワイヤーは踵を返し、アリーナのほうに駆け去った。
霧香はもうひとりの護衛の遺体から携帯端末を拾い上げてコマンドをあらため、すべての檻の鍵を解除した。手近な檻に駆け寄ってなかに向かって叫んだ。
「鍵を開けた!逃げなさい!」
何人かは明らかに先ほどのなりゆきを見守っていて、ある程度事情を察していた。いそそと檻から出てきたものの、どこに行けばいいのか途方に暮れた様子で霧香を見ていた。
「こっちよ!」霧香はリュートが向かった方向を示しながら叫んだ。「水際まで逃げて、なにか岩の影に隠れていなさい!」
周囲が慌ただしさを増してゆく。アリーナのほうから動揺した客たちの騒ぎ声。そして悲鳴が上がった。子供が何人か霧香の指示に従って通り過ぎ、ハスキー犬の赤ちゃん二頭が小走りであとを追った。続いて猿とアンモナイトを足したような霧香の知らない小動物が続いた。
どこからか銃を構えたタキシードの一団が現れた。霧香がその集団にライフルを構えた瞬間、「ドン!」という空気そのものが衝突するような衝撃を受けて地面に倒された。
仰向けに転がった霧香は巨大十字架がオレンジ色に切り裂かれて片方の横軸がもげかけているのを見た。
ゆっくりと、こちらに傾いていた。
「たいへん……!」
霧香は慌てて立ち上がったが、十字架宇宙船の下端が地面にぶつかった振動でふたたびつんのめった。
倒壊しかけている宇宙船からいくつものコンテナが離脱していた。コンテナのいくつかは地面に着陸して、その中から綺麗に並んだカードが吐き出された。ブロマイド人の団体だ。
霧香はなんとか立ち上がって上を見上げながら走り出した。
宇宙船の倒壊が止まりかけている。慣性制御システムが持ち直しているらしい。
巨大な十字架はゆっくり直立しながら高度を上げはじめていた。
だが霧香の背後では、タキシードが霧香を指さし、なにか叫んでいた。そして何十枚ものカードが一斉に霧香のほうを向いた。
「ちょっと!こっち来ないでよね!」
霧香の願いもむなしく、ブロマイド人の一個中隊が地面すれすれに寝そべりすごいスピードで滑って追いかけてきた。
解放したリュートたちのほうには行けない。
さっきシャワーを使わされたAPVに逃げ込んでドアをロックした。
APVの車体になにかが衝突して激しく揺すられるなか、霧香は武器になるものを探してクロゼットを開け放った。
まもなくハードワイヤーの儀礼用斧を発見した。そのかたわらの小さなゴミ箱には霧香のドレスとハンドバッグが捨てられていた。ひどく切り裂かれていて、発信器のたぐいを捜していたらしい。
だが、ドレスの折り返しに仕込まれていた黒いリボンには気付かなかったようだ。
「やった!」霧香はそのリボンを引き抜くと、端を強く押して床に放り、次いで麻のほっかむりを頭から脱ぎ去った。リボンは生き物のようにむくりと起き上がると、たちまち人間のフォルムに……より正確に言えばヒモビキニとブーツに変形した。コスモストリングが霧香の身体にまといつき、身体に張り付いてゆく。
背後でAPVのドアが破裂して粉々に砕け散った。
しかし霧香の肉体はフォースフィールドに守られ、破片はすべて弾かれた。
「よーし!」
パルスライフルをくだけたドアの開口部に向けて2連射すると、間髪入れずそのドアに突進して外に躍り出た。
APVは人間とブロマイド人の一団に包囲されていた。
霧香は間断なくトリガーを引きながらその壁に向かって突進した。巨大なカードの一枚が猛スピードで飛んでくる。霧香をそのエッジで切り裂こうとしているのだ。霧香は跳躍して身体を横倒しに捻ってその殺人タックルをかわし、着地しながらなおもライフルをめくら撃ちし続けた。セレクターを実弾に切り替えていたので、ブロマイド人の身体に大穴が開いた。
相手の攻撃が背中に当たった。それなりに痛いが、訓練で経験済みの痛みだった。怪我を負うほどではないはずだ。
霧香がいっこうに倒せないので人間たちは多少当惑している。そのわずかな躊躇で霧香は包囲網の突破に成功した。とはいえまだ至近距離――
突然、空がぱっと明るくなった。
続いて轟音が地面を振るわせた。
見なくても上昇中の十字架宇宙船が二度目の攻撃を受けた、くらいの見当は付いた。
「半端なことはしないのねっ!」霧香はなかば腹を立てて叫んだ。
ハードワイヤーがバックアップ部隊とどうやって連絡を取ったのか知らないが、おそらく最初からこうするつもりだったのに霧香にはギリギリまで知らせなかったのだ。多少腹を立てても罰は当たらない。
十字架宇宙船はすでに半地下から出ていたから、爆発の衝撃は頭上のバリアフィールドでかなり相殺された。しかし千切れた巨大な破片が燃えながら落下してくる。それで霧香を追いかけている連中のうち、ブロマイド人はかなり慌てたらしい。追跡をやめてどこか別の場所に散っていった。
タキシードの連中は執拗に追いかけてきた。
岩陰に飛びこんでは散発的に応戦してみたが、多勢に無勢……
狭い砂州だからたいして逃げられる場所はない。それどころか速急に空を飛べる乗り物をなにか見つけないと、ずっとここに取り残される。
岩陰から飛び出してまた走り、別の遮蔽物に飛び込んだところでタキシードのひとりにタックルされた。
「しまっ……!」
弾き飛ばされた霧香は砂の地面を転がり、ライフルを取り落とした。タキシードはナイフを腰から抜いた。
「そのふざけたストリング、GPDだな!弾丸を弾くって話は本当だったようだが、ナイフは通っちまうって噂はどうなのか試させてもらうぜ!」
霧香は仁王立ちで勝ち誇る男を見上げながら後じさった。その男が言ったとおり、リフレクションフォースフィールドには弱点がある……素手で殴られたり、といった「遅く/低エネルギー」な攻撃は防げないのだ。
霧香はすぐに岩の際に追い詰められた。
砂を掴んで男の顔めがけて投げつけようとした瞬間、霧香たちの頭上に巨大な影が覆い被さった。霧香もタキシードもその気配に驚いて見上げた。
岩の上に恐竜がいた。