19 ブロマイド人
ながらくお待たせしてしまいましたが、ラストはスパートします。
着陸した霧香たちは岩に穿たれた小道を十字架に向かって歩いた。
すべてが芝居がかった儀式めいている。どこからか詠唱的な音色が聞こえてくる。秘密クラブの結束を促す演出だろう。十字架の根元には遺跡的な環状列石に囲まれた野外劇場があった。
「ここよ」エレクトラが言った。
段状の観覧席に囲われた砂地の闘技場……だろうか。あるいは奴隷を家畜のように引き回すのか。どちらも行うのだろう。闘技場の奥の段に粗末な木組みのお立ち台があつらえられていた。
(奴隷売買のほうか……)
「さて、さんざんいたぶって申し訳ないけれど、あなた買い手がつきそうよ」エレクトラが小さなタブレットに目をおとしながら言った。
「買い手?」霧香は酷薄そうな少女の目つきを見据えた。「わたしを売る気!?」
エレクトラは肩をすくめた。
「異星人のお友達にあなたのこと伝えたら、できれば競り落としたいってさ。彼らってお金持ちだから、あなたが競りに出されたら落札されるのは間違いないでしょうね」
「ちょっと……そんなことしたら大勢が騒ぎ出すわよ。パパだって黙ってないんだから……わたしが――」
「だからこそよ。やっぱりあなた余所者だから、早々と異星のお友達にお持ち帰りしてもらったほうが厄介事にならなくて清々するの。悪く思わないで」
「だいたい異星人がわたしを買うってどういうことなの!?あなたたちはそんなことをずっとしてるわけ!?」
「わたしもよく知らないのだけれど……牧場で人間を繁殖させるのですって。ある異星人のあいだで流行っているそうよ」
エレクトラがずいぶんと軽い調子で告げたその言葉に霧香は衝撃を受けた。
「人間を家畜扱い……?」
「愛玩用と食用にね……国連に繁殖用の胚を提供して欲しいって頼んだそうなのだけど断られたんですって。それで仕方なく裏ルートを漁っているのよ」
「ちょっとあなた!何言ってるか分かってる……?」
「もちろん……でも詳しくは知らない。そう言ったでしょ?」
「この……裏切り者!!」
「文句は戦争に負けた人に言いなさいよ。わたしたちがへりくだらなきゃならないのはそいつらのせいなんだから」エレクトラは小首を傾げて続けた。「……それにしてもあなた以外と真面目なのね」
そう言ってエレクトラは霧香に胡散臭げな視線を向けた。
霧香は「しまった」と思った。頭に血が昇って仮面が剥がれかけた。
「こっこのわたしが売られるっていう話なのよ!」
エレクトラはふたたび肩をすくめた。奇妙な話だが、今まで長々とお喋りして一種の絆が生まれかけていた。それが消失したのを感じた。エレクトラの口調は前より素っ気なくなった。
「……残念だと思ってるのよ。でもお兄様が競りに参加してはダメだって言うから……」エレクトラは手下に命令した。「一時間くらいしたら迎えにくるから、この女の見栄えをよくしといてね」
円形闘技場のさらに奥、岩場に穿たれた半地下のバックヤードには「売り物」が所狭しと並べられていた。運輸会社のロゴがそのままのコンテナ。鉄格子の檻には人間が収容されていた。ことさら頑丈な檻にはハードワイヤーが放り込まれている。相変わらず地べたに伏せていた。
どこからか、猛獣の雄叫びのような咆吼が聞こえた。
地球の猛獣のものではない。
頭上にはブロマイド人の十字架スターシップがそびえていた。十字架の根元は地面から3メートルほど上で、船は慣性制御システムで浮いている。機械的な音はいっさい聞こえない。
縦軸が推進システムで横軸の張り出しが客室……つまりカードみたいな彼らをインデックスケースみたいに並べて収容するコンテナ。
彼らの体構造同様きわめてシンプルだ。
彼らはその名の通り、身体がカードなのだ。人類社会でも馴染み深い縦横比8:5ののカード。しかしその縦幅は1210.68ミリ。厚みは9.6ミリ。巨大なカードだ。
高重力下で発生進化した彼らは、彼ら自身の産業革命期を迎えると、強化プラスチックのカードに自らの脳と神経組織を移植するようになった。一定の年齢になると自然の肉体を捨てて強靱なカードボディになることが当たり前になったのだ。つまり成人すべてがサイボーグ。
遠い過去には隣の恒星系に戦争を仕掛けて、その住民をもカードに改造しようとした……だが運悪くその種族は銀河連合に属しており……ということでいまに至っている。
フォースフィールドで地面に浮かび隊列を組んで通りを滑り歩く彼らは「不思議の国のアリス」のトランプ兵隊そのものといった趣で、凶悪なエイリアンには見えない。実際彼らは銀河連合に恭順したのちは侵略戦争を仕掛けた過去と決別している。
人類もブロマイド人も同じくカテゴライズされている第三次知性形態では、個体の自由意思というものが特に発達している――道徳面に関する種族特製は人類とほぼ同じ……ということはつまり、善人もいれば悪党もいる。
ローグ人など第二次形態に属する種族は知性を獲得して数千万年も経っているため、人間で言うなら涅槃の境地に到達してしまったと言うべきか……。
イグナト人も第三次知性形態だが、200万年のあいだにかなり高い道徳性を獲得していた。それは人類のそれとは違うかもしれないが、たとえば彼らは彼ら自身の警察を持っていない。クランごとにしきたりや掟があり、それを守れなかったはみだし者はクランの誰かが始末してお終いというシンプルなものだ。警察組織を恒常的に維持しなければならないほど犯罪者は多くない……言い換えるなら誰もが警察/判事の権限を有するほど高度な社会だ。
つまり当面霧香たちGPDが対処すべき相手は、道徳観念が人類と同レベルの数種類……少ないようだがどの種族も数千億から数兆の人口規模であり、それだけに犯罪者も多い。
そして人類より発達したテクノロジーを保有している。
手下たちに両脇を固められたまま、霧香はバックヤードの一角に停められたトレーラーハウス型のAPVに連行された。ただちに檻に叩き込まれるものと思っていたので意外だった……が、APVから例のマッチョ女護衛が現れ、霧香は意図するところに気付いてガッカリした。
APVの中でシャワーを浴びせられ、ドレスに替わって粗末な麻のほっかむりをあてがわれた。それから派手めな化粧も施され……それら不快な下準備が終わると、ふたたび檻に放り込まれた……台車付きのまさに動物用の檻だ。
だが今回は奴隷オークション前の控え室のようだ。先客がいた。
女護衛に小突かれてごく狭い檻に転がり込むと、奥のほうに小さくうずくまる人間がいた。霧香が両手をついて起き上がってもこちらを見ようともしない。
ごく若い。少年のようだ。だが自然にはあり得ない青みがかった頭髪……染めたのでなければ、ある種のヒューマノイドの特徴だった。
「ハイ、あなたも捕まったの?」
無言。
「わたしはセイラ・ブルース。え~……あなたは、〈天使属〉……かな?」
少年は抱えた膝から頭をもたげて霧香を睨んだ。睨んだ、と言ってもごくわずかに不機嫌そうに眉をひそめて霧香に黄緑色の瞳を向けただけだ。
天使属はその属称で呼ばれるのを好まない。
かといって正式な呼び名も記録そのものが消失していて、分からなくなっている。
強いて言うなら彼らはAPと呼ばれている。それが正式名称に最も近いが、長年のあいだに差別表現として定着したため、まともな人間なら使わない。
700年前、バイオテクノロジーの進歩が頂点に達した地球で作られた愛玩用人工人間……彼はその末裔と思われた。
天使属は製造された目的ゆえに、この上なく美しい容姿を与えられた。それに奉仕心と的能力……それから、わずか30年の寿命。
行きすぎたヒューマノイド製造技術はアメリカ合衆国の消滅とともに封印されたが、生まれてしまった人工人間たちは世代を重ね、世間の同情と同じくらいの差別に虐げられ続けた。
悲劇的にも、彼らをもっとも忌み嫌ったのは彼らを産んだ連中と同じ一神教系の人々だ。そしてそんな彼らに〈天使〉と呼ばれるのだ。
人類に対する彼らの憎悪はいかほどのものか、想像に難くない。
当然その〈人類〉の中には霧香も含まれるだろう。
天使属の年齢は分かりづらいが、彼は(そもそも男なのか女なのかも分からない)体格からして10代初めくらいだろう。なのにあの醒めた目つき……霧香の胸は痛んだ。それが安い同情心の発露であり、天使たちやほかのAPが拒絶するたぐいの気持ちだというのは理解している。それでも……
霧香はろくに立つこともかなわない檻の中で少年に這い寄った。少年は優美な眉間に険を深めた。それでも霧香が横に並んで座り込むまで身じろぎせずにいた。
「ね、名前くらい教えて」
無視。
「わたしたち奴隷の競りにかけられそうなのよ」
少年はチッと舌打ちして顔を背けた。
(反応はしたな……)
「だけどお姉さんそんなことさせないからね。あなたも助けてあげるから」
「……やめてよ」
霧香は黙った。
彼は将来についてなんの幻想も抱いていない。奴隷同然の生活が長い……恐らく物心ついた頃から……。
霧香は何分間か黙って座り続けた。少なくとも、もっと離れろとは言われない。それからぽつりと呟いた。
「……本当だよ。あなたを助けるから」
少年は忌々しげに霧香を見た。霧香はアイコンタクトを急がず正面に顔を向けていた。内面の闇はともかく好奇心が完全に死に絶えたようではない。
希望は持てる。
とはいえ虐待によって心を閉ざした少年のケアにはじっくり時間をかけて取りかからなければならないし、いまやってる場合ではない……約束通りここから脱出しなければならない。
100ヤードほど離れたアリーナのほうが賑やかになった。オークションが始まったのだろう。