15 急転
霧香は5秒数えて声のほうに向き直った。
相手は霧香と同じくらいの背丈の若い女性だった。バタフライの仮面から分かるのはブルネットで青い眼の白人、ということだけだ。
だが声で誰だか分かった。
「ヴィー……」
相手はストップ、というふうに指を立てた。霧香は咳払いした。
「ここは安全だけど、お互い知らない振りで」
「分かった……ここではわたし、セイラ・ブルースよ」
「エリザベス・ロッシ」ヴィーナス・ヒアリード少尉も偽名を名乗った。「あなた……なんでこんな場所にいる?」
「あなただって」
「潜入中なのよ」
「同じく」霧香はなんとか笑みを浮かべた。「大佐は、あなたがいるなんて教えてくれなかった」
「知らないはずよ……わたしはクルト中佐の第7課所属。どこまで組織に食い込めるか試している」
「キングパイレーツに?すごいね。さすが……でもなんでわたしと接触したの?リスキーでしょうに」
「あなたは危険地帯に誘いこまれたから警告しに来たのよ。いますぐイグナト人と一緒に帰りなさい」
「罠は承知してる。それよりあなた、貨物宇宙船襲撃犯についてなにか知らない?イグナト人が手配した輸入品が強奪された。わたしたちはそれを探している」
「わたしはもうこの星に50日も潜入しているの。外のことは分からない。そいつらはキングパイレーツなの?」
「いいえ……辺境宇宙海賊連合のほうだと思う」
「奴らがグラッドストーンに?」
霧香は肩をすくめた。「あり得ないと思うでしょうけど……」
「そうでもない……」ゆっくり言った。「最近奇妙な違法品取引が増えている……」ヒアリード少尉は考え込んだ。
「奇妙な?」
「生物。ここでは奴隷売買が横行してる。エキゾチックな奴隷を所有するのが一種のステイタスなのよ。そうした「趣味」を一部のお金持ちが拡大させて……コレクションを異星生物まで拡げようとしている」
「それよ!わたしはその首謀者のひとりがジョン・テイラードという男だと見ているの。彼も広い牧場を経営してて、地球産の家畜をたくさん所有している」
「テイラードはこの星でも屈指の金持ちだけど……ただしキングとは関わりがないので、監視対象ではなかった。もう長いことグラッドストーンの外に出ていない。彼の妹は気ままに旅行しているようだけど……」
「詳しいことは分からないか……」霧香はがっかりした。「ここのお金持ちがどうやって取引しているのか知らない?」
「知らない。奴隷取引はここの地下でも堂々とやっている。事実このパーティーの後半はオークションとお披露目会だし……異星生物となるともっと慎重にメンバーを選ぶはずだわ……ここの自称貴族の半数は本当に異星人を毛嫌いしているのだから」
「奴隷オーディションが始まるっていうの?ここで?これから?」
ヒアリードは忌々しげに首を振って霧香の肩を掴んだ。
「あなた、わたしの警告をちゃんと聞きなさい!ここの連中は異星人嫌いなのよ。しかもただ嫌ってるのじゃなくて、敗戦の憎しみと異種嫌悪がないまぜになっている。だからモノとして扱おうとしているのよ……あなたもそういう態度じゃないと、彼らに仲間とは見なされない……それを見極めるためにあなたは招かれた。同志と見なされなければ、ただでは済まないわ。だから早くお逃げなさい!」
「分かったわよ!」霧香は身じろぎして肩の手から逃れた。「警告は念頭に置きます!だけどわたしも仕事しなきゃならないの!」
「分かってないようね!あなたも奴隷コレクションの対象と見なされているのよ!?」
「分かってるってば!」
エリザベス――ヒアリード少尉は霧香を黙って睨むと、やがて溜息をついた。
「わたしは警告した……支援はできないから、そのつもりで」
霧香は頷いた。
「先に行って。わたしは1分後に出る」
「分かった、警告ありがとう。行くわ」
霧香は多少腹を立てながらレストルームをあとにした。
(基礎訓練以来だけど相変わらずだわ。頭脳明晰な氷女!友達なんかいりませんて態度!)
しかしやはり27年前期候補生総代。任官半年で潜入捜査に従事しているとは……。
(ムカつくけど優秀なのは認めるわ)
もとよりヒアリードに敵愾心はなかった。しかし成績上位だったから周囲からなにかと煽られた。それにいち早く仲良しになっていたフェイトがヒアリードを毛嫌いしていたため、なんとなく雰囲気に引きずられたのだ。
すかした態度に腹を立てたのはそのあとだ……。友達になろうといろいろアプローチしても返ってきたのは素っ気ない拒絶。霧香の知るかぎり、ヴィーナス・ヒアリードに友達はいない。
(まあ少なくとも、わたしの身を案じてくれたようだけど)
それがまた少し上から目線で腹立たしい。
霧香は頭を振った。(そんなことより任務に集中して!)
パーティー会場に戻ると、すぐにハードワイヤーがいないと気付いた。身長7フィート強、横幅25インチとなると数百人いる客に紛れるのも難しい。ソファーに座って寛いでいるとも思えなかった(尻尾が邪魔だ)。
霧香はスッと血の気が引くのを感じた。
(さっそくかよ!?)
すぐに心拍が上昇して顔が熱くなった。
(困惑したお嬢様役は苦もなく演じられそうだけど……どうしよう)
近くにいたシャンパン係を捕まえてたずねてみた。
「わたしの護衛役の姿が見えないの……ご存じないかしら?」
「存じかねます、お嬢様」
(存じかねますって……)
霧香は忌々しげに舌打ちして、シャンパングラスをひったくってグイと飲んだ。
彼はもちろんトイレに行ったのではない。前に訊いたが50時間くらいは我慢できるそうだ。
そうすると選択肢は、仕事を放り出した護衛に腹を立てる令嬢の役を続けるか、ただちに罠を避けるために行動するしかない。
残された時間は恐らく数分。
あたりを見回し護衛を捜すフリを続けて客のあいだを歩いた。
客たちの様子もおかしい。わずかだが霧香とそっと距離を取り、あるいは目元に嘲笑らしい光を宿してこっそり盗み見ている。
あるいは霧香の思い込みで、そう見えるだけなのか。
(恥をかくことを恐れて行動を躊躇するな)ローマ・ロリンズ少佐の教訓を思いだした。
ハードワイヤーがひょっこり現れる気配はなかった。
(答え A・ハードワイヤーを探しつつさりげなくこの会場から出る→B・態勢を整えてハードワイヤーを本気で探す)
出口はわずか20ヤード先。
扉の前に辿り着くと、ドアマンが一礼してドアを開けた。霧香が軽く頷いて退出しようとした瞬間、またしてもうしろから声をかけられた。
「ミス・ブルース!」
霧香は内心舌打ちして、振りかえった。
「なんでしょう?」銀のデスマスクに黒マントの男に言った。相手の正体には声で気付いていたが、とっさに知らんぷりした。
「わたしだ」男は仮面を半分ずらして素顔をかいま見せた。
霧香はなんとか歓迎の笑みを浮かべた。
「まあミスター・テイラード……!こんなところで再会できるなんて」
「セイラ・ブルース」テイラードは一歩近づいて霧香の手を取った。「やはりそうか。ヴァーテンバーク卿が異星人のお供を釣れた女性を招待したと話題でね。辺境から遊覧船で来たばかりというので、ひょっとしてと思った。……もうお帰りかな?」
「いいえ……わたしの護衛が見あたらないの。探そうと思って」
「ああ、イグナト人だな。じつは、きみがいないあいだにちょっとした議論がおこってね。あの異星人が本当に強いのかどうか、何人かが疑ったのだ。それで、彼はフォードに誘われて地下のミュージアムに降りたよ」
「わたしを放って?あり得ないわ」
「きみ、夜はこれからだ。あの異星人は賭に乗ったのだ……主人として興味ないか?」
「なに?わたしの護衛が私闘でもすると言うの?」
「どうかな……きみ次第じゃないか?」
霧香は思案するように首を傾げて見せた。内心は薄氷を踏むおもいだった。
「……妹さんも、ここにいらっしゃるの?」
ジョン・テイラードは愉快げに微笑して頷いた。しかしその笑みは探るように霧香を見据える目まで届いていない。
「連れてこないとさんざん文句言われるのでね」テイラードは背後の雑踏を見回した。「……どこかにいると思うが」
「昨日はカジノでエレクトラさんのお世話になったの。ちゃんとお礼を言えなかったので……」
「来たまえ。案内してやろう」
霧香は一瞬だけ躊躇した。本能はテイラードの申し出を断って建物から出ろと告げていた。だが……
「それでは……よろしく」
あらためてテイラードの差し出した手に掌を重ね、会場に逆戻りした。
視界の隅に出口に向かうヒアリード少尉を見た。歩きながらやや非難するような目つきで凝視していた。霧香は努めて無視した。