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11 晩餐

 ホテルの部屋に戻ると、ハードワイヤーはまだ帰っていなかった。

 ガウンに着替えた霧香は夜のテラスに出た。気温はじりじりと下がりはじめている。高層でも風はほとんど無かった。

 階下のデルロー繁華街は賑やかだ。色とりどりのホログラムサインボードがまたたき、全体が金色に輝いていた。

 ホテルの前の道路を挟んだ向かい側は七色の噴水広場で、大勢の観光客が行き来している。放射状に広がる道路沿いにはドラッグストア、法律事務所、故買屋、レストラン、酒場、宝石店などが入った雑居ビルが並んでいる。

 みな目的ありげにホテルの前で待ち合わせ、ローバーに乗ってどこかに飛んでゆく。ホテルの前の車寄せは一見清潔だが、街灯の境界線あたりには客引きに娼婦、違法ドラッグの売人らしき連中が所在なさそうに立ち、時折声を掛けていた。ほとんど全員が不法滞在者、ひょっとすると重犯罪を犯したお尋ね者だというのに、じつに堂々と社会を構築しているではないか。

 インフラの整備レベルはタウ・ケティ・マイナーより数世紀ぶん劣っているが、どこか霧香の故郷であるノイタニスを思い起こさせた。


 初めての恒星間渡航費用五千クレジット……一五万ピアストルを貯めるために、必死でアルバイトしたことを思いだした。

 恒星間大戦以前の人類は自前の超光速跳躍技術を持っていたが、それは大国のみが保有できる軍事的経済的に特別なちからであり、民間に広く普及するものではなかった。

 恒星間移民は人生たった一度の片道切符で、恒星間旅行など夢のまた夢であり、エリート軍人にでもならなければ叶わないことだったのだ。

 ところが敗戦後、霧香が生まれたまさにその年から、すべての人類が直径100光年あまりの人類領域を自由に行き来できることになった。異星人が全星系を結ぶ定期旅客船を就航させたのである!

 スターブライトラインズの格安料金は辺境に住む多くの人間にとって福音であったが、それでも十代半ばの娘が60光年ぶんの切符代を捻出するのは容易いことではなかった。 国連特別公務員志願資格証明書――要するに「あなたにはGPDに志願する資格がありますよ」という将来のなにも保証していないメールと学校の推薦状のみを握りしめ、ノイタニスからタウ・ケティへ。食事代さえ切り詰め、輸送船を乗り継いだ各駅旅行……そして初めて恒星間連絡船に乗りワープを経験した。

 その船内都市型コロニー内で大勢の異星人を目にして、自分の選択は間違っていないと言い聞かせた。ちょっとしたトラブルに遭ったり。楽しい思い出だった。

 僅か2年前のことなのだが、ずっと昔のことに思えた。考えてみると、自分で旅費を賄ったのはその時以来だ。


 視野の片隅に動きを感じた霧香は、手すりから身を乗り出して壁を見下ろした。壁に張り付いた黒い影が蠢いていた。素早く物音も立てずに近づいてくる。ハードワイヤーだった。トカゲそのものの動きだ。

 大柄な異星人は滑らかな動きで霧香の部屋のバルコニーに這い降り、立ち上がった。ウォームジャケット姿で長い武器を携えている。派手ななりで、よくも目立たず動き回れるものだ。地味な調査は苦手と言っていたが、案外良い探偵になれるのではないか?

 「お帰り」

 「身を乗り出すのは危ないぞ」ハードワイヤーが言った。転落防止用フォースフィールドの存在は承知のうえだろうから、狙撃される心配だろう。霧香はガウンをはだけてコスモストリングを見せた。

 ハードワイヤーは頷いた。

 「そんな身なりで本当に誰にも見られなかったの?」

 「おれを誰だと思っている」

 霧香は肩をすくめた。

 「なにか進展あったか?」

 「残念ながら無し。あっさり追い返されたわ」

 「おれも無しだ。この街に異星人はいない。評判通り住民は異星人嫌いだ」

 「なるほど……」早くも手詰まりか。

 「明日以降、どうすべきかな?」

 「どうしても必要ならジョン・テイラードを尾行するわ。つまりあとを付けて、彼かどこに向かうか見張ってみる……」

 「堅実だ」ハードワイヤーは呟いた。「ただし気の長い作業になりそうだ」

 「そう……急いでいるのは分かる。でもなにかタイムリミットがあるの?」

 「そうではないが、多少イライラする」

 「食事は済ませた?」

 「今日はまだだ」

 「それでは、食べながら話しましょうか……」


 部屋で食事を注文した。

 霧香用にニューコロナドグレンディービーフのフィレステーキ。ハードワイヤー用に室温まで戻した生鮭の切り身を4ポンド。ソイソースとホースラディシュ……それとバター半ポンド。

 ふたりともしばらく眈々と食事を取った。

 イグナト人はだいたい一日に一度……より正確には30時間に一度くらい食べればいいらしい。それで霧香の食事時間とかち合う機会は少なかった。人間のように一日3度、ちびちび食べて過ごすのはできれば避けたいという。

 生粋の傭兵民族だから食生活なんて彩りもなく質素か、というとそうでもないそうだ。

 「おれたちも料理はする」

 「それは知らなかった」

 「もちろんナマがいちばんだが……」そう言いつつ、動物の角でできた容器から香辛料とおぼしき粉を鮭に振りかけていた。大きな切り身にバターを載せて食べると、満足げに眼を細めながら咀嚼した。

 「おれたちはあらゆる惑星に出向き、当然ながら食糧は現地調達する。おまえたちも知ってるようにたいていの異星分子構造体を消化吸収できるのだ」

 それこそひと昔まえのまじめな科学者が困惑した事実だった。人間に絡み付く触手付き宇宙人に人食い宇宙人。そんな三文SFの怪物(トラツシユモンスター)が実在するわけないだろ?

 でも彼らは間違っていた。

 「――だが時にはちっとも栄養が摂れなかったり、不味くてどうしようもないこともある。だから調理を上達せざるえない」

 「なるほどねえ」霧香は香辛料の容器を指さした。「鮭に振りかけたそれも不味いから?」

 「いや、地球産の肉はたいてい旨いぞ。これはもっと美味しくいただくためだ」

 霧香は自分のステーキにちょっと振りかけてもらい味見した。

 「うっ!キツイ……」霧香は鼻をつまんだ。ようは辛子の強烈版だった。しかし独特のうま味を伴っていて、慌ててワインを流し込むのを留まった。「でもこれ……慣れたら病みつきになりそう」眼を瞬きながら言った。

 ハードワイヤーはまたバターを載せた切り身を食べると、満足げに頷いた。

 「おまえたち人間は味覚的刺激に弱い。誘惑的というのか、我慢できずに暴飲暴食に陥る傾向があるな」

 「よくご存じで。正確には麻薬的という。依存性の高い禁止薬物って意味」

 人類の快楽中枢の脆弱さは宇宙的に知れ渡っている……いつでも食べて飲んで発情しているから隠しようもない。

 「太ったイグナト人はいないの?」

 「まあ、そんな奴はおれたちのあいだでは盾にしかならんから」

 耳が痛いお言葉だ。

 (でも食べてしまったものは仕方ない)食事に満足した霧香は高級パルプを模したメニューを開いてデザートを物色した。

 「まだ食うのか?」

 「まちょっぴり……。あなたはデザートいらない?」

 ハードワイヤーは断った。「契約前ならシントクレヴィの目玉でもポリポリ食いながらのんびりするところだが、いまはな……おまえは平気か?」

 「え?健康そのものだけど……?」

 「出発前より2.5ポンド体重が増えてる」

 霧香は硬直した。

 「いっ」穏やかな笑みを浮かべようとしたが、ややこわばっていた。「いくらなんでもそんなに増えてない……」

 「いや、おれの目は確かだ。前より肉付きが良くなって……言うなれば食べ頃に見える」

 霧香は異星人を凝視しながら、静かにメニューを畳んだ。

 「ン?地球のマナーに抵触してしまったか?」

 「そうね……いえ!気にしないで」

 ハードワイヤーの鮭を思いだしていた。(あの大きな塊が4ポンド……あの5/8……?)

 結局コーヒーだけ頼んだ。

 「やっぱり抵触してるな」

 「してない」


 霧香はコーヒーを飲んだ――香りも塩気のある苦みも素晴らしい。(砂糖とミルクを落とせばもっと美味しかろうに……)すこしだけもの悲しい。

 「俺が潜入を試みてもいいかもしれんな」

 「え?どういうこと?」

 「ここの連中におれを売り込むのだ。おまえがやって見せたように、おれたちを用心棒に雇いたい、と思うやつはいるかもしれん」

 「異星人嫌いの連中を相手に?」

 「厳密には奴らはそうじゃない。見下せる立場であれば安心できるのだと思う」

 「なるほど……」霧香は考え込んだ。

 数世紀も退行した病的な格差社会……ハードワイヤーははやくもそれに付け入る隙を見つけたらしい。

 基盤がだらしない社会はつねに特例措置を作り上げ、自ら土台を弱めてゆく。

 「それで、具体的にはどうする?」

 「売り込みだな。いつもやってることだ」


 今週もこれでおしまい。


 次週より不定期更新。

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