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10 ジョン・テイラード


 エレクトラが兄を迎えに行ってしまったので、霧香はひとり取り残された。我先に挨拶に行くのは礼を失すると思ったので、またしばらく待つしかないようだ。

 5分ほどすると、並んで歩く兄妹の姿が廊下の奥にちらりと見えた。男性はたしかにジョン・テイラードだった。

 メイドが現れ、霧香に一礼すると階下の応接間に案内された。テイラードはすでに居て、霧香を迎えた。といってもさして歓待されたわけではない。

 何歩か近づき、霧香を上から下まで眺めた。握手はしなかった。片手に持ったカットグラスに注がれた飲物を一口飲んだ。

 「わたしはジョン・テイラード。ここの家主だ」

 「はじめまして、セイラ・ブルースです」

 「妹に付き合ってくれたそうだな」

 霧香は小さく頷いた。

 「コーヒーかなにか?」

 「ありがとう、けっこうですわ」

 「まあ座ってくれ」

 霧香は豪華なソファーに腰を下ろした。驚くほど深く身体が沈み込むが、これもブリタニアの旅で慣れはじめていた。身を起こして話し合うには不向きな調度だ。しかし偉そうに踏ん反り返ったままお喋りするのもまた慣れはじめていた。

 テイラードは立ったまま、どっしりした大理石の暖炉に片腕をおいていた。

 「セイラ・ブルースといったな……あまり聞かない名前だが?」

 「今日、グラッドストーンにやってきたばかりよ」

 「旅行者なのか?客船で?」

 「ええ、気ままな旅なの。〈ブリタニア〉を降りてデルローのホテルに宿泊中なの」

 「到着早々ずいぶん遠出したものだ……この星をひとりきりで動き回るのは危険だよ」

 「その点、妹さんに教えてもらって知ったばかりなの。わたしは今はホテルを転々としているれど、タウ・ケティ=地球圏に住まいを探している。だからいろいろ見て回りたいのよ」

 テイラードは妹と同様、あまり感心がなさそうな様子で、グラスをちびちび傾けていた。霧香としては明確な方向性を見出せないまま、できるだけ話を長引かせようとしていた。

 「まあ着いて早々、この星はつまらないからやめたほうがいいと、妹さんに助言されたけど……」

 「地球よりはマシかもしれんな」

 「そう?わたしは行くつもりだったんだけど……」

 「あの星は逆移民は原則お断りだ……高い「帰還税」を収めても許されるかどうか。そうしてまで住む価値もない」

 「すると、ここかタウ・ケティマイナー、バーナードしかないわけ?」

 「無難な選択ならバーナードをお奨めするね」

 「バーナードには馬がいるの?」

 「いるさ」グラスの向こうで笑みを浮かべた。「アラブ人の星だ。いるに決まっているだろう?」

 「日本人の星かと思ってた」

 「日本、イギリス、アラブ、インド人……そんなところだ」

 「そう。ところで、わたしは馬も欲しい。あなたから売ってもらえないかしら?」

 テイラードは首を振った。

 「あいにくと売り物じゃない……商売はしていないんだ」

 「売買する必要がないくらい裕福なのは、分かりますわ」

 「だいたい、なんでここで馬を売ってもらえると思った?」

 「テンポラリーネットで検索して、星系内の牧場施設を当たってみようと思ったの……馬だけじゃなくて、いろいろな家畜を分けてくれそうなところを……」

 「いろいろな家畜」という言葉にテイラードは少し警戒したようだ。

 「なんだ、農場でも始めようってのか?あんたが?」

 霧香は曖昧にかぶりを振った。

 「そんな大げさなものじゃないけど……せっかく邸宅を構えても、馬がいない生活って片手落ちだと思わない?今日ここを見学させていただいて、ますますそう思ったわ」

 「ますます話にならない。『風と共に去りぬ』でも読み過ぎたんだな。あんたは、どこか酪農ギルドか馬の競市でもあたるべきだ。俺は余った子犬を分けるようにあんたに馬を譲ったりしない」

 「そう、当てが外れたわね」霧香は肩を竦め、右も左も分からない世間知らずな娘の困惑の演技を続けた。

 霧香を見る目つきからして、どうやらテイラードは軽蔑を抱いたようだ。警戒されるよりずっと良い。

 「残念だが、無駄足のようだ。俺はあんたみたいな客がのこのこやって来るのを望んでいない」

 最後通牒だ。引き上げる潮時である。霧香は立ち上がった。

 「帰るわ。最後にひとつ、この星でほかに見るべきところはないか、教えてくださらない?」

 テイラードは無言で首を振った。

 メイドが現れ、丁寧な態度で退出を促した。すべてじつに優雅である。


 玄関に出ると、車回しに霧香のリムジンローバーが止められていた。

 べつのメイドが「クリーニングしております」と言って、化粧箱に収めた霧香のジャンプスーツを差しだした。テイラードは見送る手間もかけなかったが、妹はぶらりと玄関に現れて霧香にお別れらしき言葉を述べた。

 「せっかくいらしたのに無駄だったようね、残念」

 ちっとも残念がっていない口ぶりだ。

 「そういうこともあるわ」それから付け加えた。「ああ、お借りした服はあとでお返ししたい。送り先のアドレスを教えてくださる?」

 エレクトラは笑った。

 「べつにいいわ。それよりあなた……何日かデルローに滞在されるの?」手首を振りながら、何気ない感じで聞いてきた。

 霧香は慎重に答えた。

 「わたしが乗ってきた船はあした出航してしまうけど、ほかのお客がうるさくて再乗船手続きはしてないのよね。でもつぎの船の寄港予定は調べていないの。だから何日か滞在せざるをえない……かも」

 「ふうん……」なにか考えるように霧香を見据えている。

 メイドがローバーのドアを開け、霧香が乗り込むときに手まで貸してくれた。霧香が窓越しに一礼すると、エレクトラは軽く手を振った。

 霧香はローバーを上昇させてテイラード邸をあとにした。


 帰りは自動運転にセットした。GPSが無くとも行きのルートを辿って帰ることはできる。巡航高度に達すると、霧香はのんびりシートに保たれ、テイラードとの邂逅を思い返した。

 時間をかけてメイドとして潜入すべきだった……あんなに従業員を抱えているとあらかじめ知っていれば。だが後の祭り。

 しかしそれでは捜査ができるよう周囲に馴染むまで数週間か、数ヶ月かかるはず。本来潜入捜査は気の長い作業なのだ。それに本来は、任官二ヶ月あまりのルーキーが任される仕事ではない。霧香のアドバンテージはマフィアに面が割れていない、ただその一点のみである。

 (いっそこのローバーに発信器や爆弾を仕掛けてくれたりしたら、分かりやすいのに)

 だがそんなに簡単に尻尾を掴ませてはくれまい。

 こんな辺境でも登録された市民がひとり消えれば騒ぎになる。

 それに「セイラ・ブルース」がちゃんとした市民なのか裏付けを取るには、たくさんの時間とおカネがかかる。政府機関でもなければそんな手間はかけないから、マフィアはよほど怪しまないかぎり、正体不明人物を看過することを選ぶ。従っていまのところ霧香が暗殺されるいわれはないのだ。

 まあ常識的に考えれば。

 だが候補生時代、霧香たちはローマ・ロリンズ教官によって、人間の後ろ暗い面についてみっちり仕込まれていた。その講義はあまりにも生々しく、意思の弱い人間であれば一生ものの対人不信のトラウマを背負い込みかねない内容だった。そしてその結論は「人間はつねに筋の通った考えをするわけではなく、犯罪者は道徳観念の欠如とともにしばしば論理的思考の欠落が見られる」ということだった。

 グラッドストーンはそういう人間の巣窟だ。

 言い換えれば数世紀ぶん先祖返りした社会のまっただ中に、霧香はいる。

 詐欺師、ソシオパス、レイプ犯……地球やタウ・ケティマイナーでは即座に罰せられてしまうので、はみ出し者たち――「自由」という言葉を独自解釈する犯罪渇望者たちがこの星に集まるのだ。

 そういう状況に放り込まれ、霧香にもようやくそのスリルがしみこんできた。疑心暗鬼は毒であり、じんわりと意識をむしばんでゆく。いやな感覚だ。


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