文章力の高い人がくれると嬉しいもの
行間です、行間ください。台詞でもいいです。
小説を書くにあたって、文章力というものは切っても切り離せないものだと思う。
しかし、文章力の高い作家さんが書く作品が絶対に高評価という訳ではない。
もちろん、高い文章力を持っている作家さんの表現は素晴らしい。そして羨ましい。その脳ミソ分けて、と言いたくなる。
だが、文章力のある作家さんだからこそ陥り易い穴がある。それは何か。
描写が行き過ぎてしまう、ということ。
文章力が高いからこそ様々な表現や語彙を持っており、色々な描写をブチ込み過ぎてしまうのである。
様々な描写を投下し過ぎると、それだけ文字数が増える。そして話の進みが遅れて「テンポ悪い」と言われてしまう。一話に文字数を詰め込み過ぎれば「長い」とも言われる。
そして、行間や台詞を間に挟まないと文字が詰まって目が滑ってしまうのだ、読んでいて結構つらい。
こうなってしまっては、折角の作品も読まれずに埋もれてしまう可能性が非常に高くなる。
時に高い文章力が仇となり、特別凝ったものではないごく普通の表現の方が「読み易い」と好まれることも多いのだ。
あまりにももったいない。
以下例文、流し読みした方が目に優しい。
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少年がこの世に生を受けて十六年目となるこの日、空からは記念すべき今日という日を祝福するかの如く陽光が惜しみなく降り注ぐ。
魔王バ○モスを倒すという使命を背負った少年は今日から勇者と呼ばれ、苦楽を共にする仲間と共に過酷な旅に出る。アリ○ハンの街中は誰もが歓喜に湧き、勇者たる少年の名を声高らかに叫ぶことで鼓舞していた。
現在この世界は魔王バラ○スの脅威に晒されており、嘗て少年の父オ○テガが魔王討伐に乗り出したが、火山の火口へ転落してしまい帰らぬ人に。その父の意志を継ぎ、少年が勇者となり魔王討伐の旅に出ることになったのである。ア○アハ○の国王を始め、街の者は誰一人の例外もなく彼のその勇気を称賛した。
勇者の母は目に涙を溜めて、魔王討伐に赴く愛息子の背中を見つめている。愛する夫を亡くしただけでなく、まだ年端もいかぬ息子まで危険な旅に出さなければならない運命を内心で嘆きながら。けれども言葉に出さないのは、母である彼女の心の強さなのだろう。
勇者となった少年は国王に命ぜられるまま、苦楽を共にする仲間を求めて酒場へ足先を向ける。真昼間だと言うのに、酒場からはアルコールの芳醇な香りが漂ってきた。
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BBAの文才じゃこの程度が限界だけれども、これがこの先もずっと続くと読むのに疲れないだろうか……。
書籍と異なり、スマホは縦読みにしない限りは横読みである。間に台詞や行間を挟むのであればまだしも、延々と地の文が続くのは読んでいて結構辛いもの。
更にこれでは、文字数ばかりが多くて全く話が進んでいない。勇者が旅にも出ていない、まだアリ○ハンを歩いているだけ、やっと酒場に向かったところだ。
色々な作品を読んでいて「この人めっちゃ文章力高いなぁ!」と思う人の中には、こうなってしまっている人が割と多い。
もちろんBBAはこういった傾向の作品や描写は嫌いではないし、事細かな描写が必要な部分もある。故に悪いことではないと思う。
それでも、毎回描写が行き過ぎてしまうと、読んでいて流石に目がやられてしまう。
とは言え、書いている側としてはなかなか気付けないのも事実。時間があれば、一度作家さん自身が「読者目線」になって読んでみると、新しい発見が出来るかもしれない。
お前が言うなと? 全く以てその通りです……。
文章力が高い作家さんは、表現が本当に綺麗。細かな部分まで書かれていることが多いので、具体的な光景を想像出来て読んでいてとても楽しい。
だからこそ「読者が読み易いか、読んでいて疲れないか」を考えてみると、ブクマや読者がもっと増えるかもしれない。
文字は詰まっていないだろうか。
回りくどい言い回しばかりではないだろうか。
中身は最高に面白いのに、そういった部分で損をしている作家さんもいらっしゃるのではないだろうか。
なぜ例文をドラ○エにしたか? 単純に好きだからです……。