第一話
「……あ! 六手せん――じゃない、六手さん! こっちです!」
「待たせたな、アン。今日はよろしく頼む」
そこそこの地方都市の郊外には必ずあるであろうショッピングセンター。バス停の前にある入り口の柱に寄りかかっていた結城杏――アンは、待ち人の姿を見つけると片手を挙げてぴょんぴょんと飛び跳ねて見せる。そんな彼女の姿を少しだけ――訂正、とてもとても嬉しそうに見つめた六手誠ことロッテ・バウムガルデンは足早に彼女の下へ歩みを進めた。
「は、走らなくてもイイですよ! 病み上がりなんですし!」
「問題ない、すこぶる快調だ。むしろ心配して貰って悪いな、アン」
「いや、そりゃ心配しま――……え、ええっと……六手さん? どうしたんですか、そんな満面な笑顔で」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべるロッテとは対照的、アンは訝し気な表情を浮かべて見せる。『まるでデートみたいだ』なんて心の中で思い。
「なに、まるでデートみたいだ、と思ってな。嬉しくて仕方ない」
そして、口に出す。これがロッテ・クオリティ。
「で、デートって! そ、そんなんじゃないです! これは!」
「ああ、分かってる。これは記憶に混濁の見られる私の為にアン、君が用意してくれた機会だ。此処でデー……ではなく、一緒にショッピング・モールを回る事で『こちら』の世界の常識――ではなく、記憶の混濁を元に戻そうというな」
「……です。で、デートとかじゃないんですからね!」
そう。
病院で意識を取り戻して早々、『運命の人だ』なんてのたまう目の前の男性にとてつもない不信感を覚えたものの、冷静になってアンははたと気付いた。
――これって、頭を打ったせいじゃない? と。
まあ、事故の後に記憶喪失やら記憶の混濁やらがみられるのは良くある話っちゃ良くある話である。当然、アンは青ざめた。だってそりゃそうだろう。明らかに事故の被害者と加害者、加えて起き抜けにチンに強烈な一発である。アンじゃなくても気にするという話だ。再び意識を取り戻したロッテに殆ど狼狽し、泣き出しそうな顔で謝罪と自分に出来る事はなんでもすると頭を下げるアン。女性の弱みに付け込む……というと言葉は悪いが、かつてフレイム王国を支えた頭脳をフルに働かせた結果、ロッテが提案したのが今回のこの『デート』である。そこ、頭脳の無駄遣い、とか言わないように。
「分かっているさ。ただな、アン? 私としては出来得る限り罪の意識になど苛まれる事なく、普通に楽しんで頂ければ嬉しい。それぐらいの我儘は許されても良いだろう?」
そう言って少しばかり悲しそうな表情を見せるロッテに、アンの胸がトクンと鳴る。恋? いいえ、罪悪感です。
「そ、その! た、楽しむと言われてもあ、アレなんですが……で、でも、六手さんがそう言うなら――」
「ロッテ、と呼んでくれないか?」
「――……ろ、ロッテさんがそう言って下さるなら、私も……その……が、頑張ります」
「頑張る必要はない。普通通りで良いさ」
「……分かりました」
小さく息を吐き、少しだけ吹っ切れた様に大輪の笑顔を見せるアン。そんなアンの表情の変化に合わせる様、ロッテの表情が変化した。
「…………え?」
苦痛に。
「ろ、ロッテさん! どうしたんですか! 具合でも悪いんですか!」
まるで百面相の様に表情を変え、慌ててロッテに駆け寄ろうとするアン。そんなアンを、ロッテは右手を出して制して見せる。
「……それ以上近寄るな、アン」
「ど、どうしてですか! そんなに苦しそうな顔をして――」
「それ以上近寄られると、抱きしめてしまいそうになる。あんな可愛らしい表情は反則だろう」
「――…………私の心配を返せ」
胸を抑え、意思の力で自らの欲望を抑え込もうとするロッテをアンは半眼で睨みつけた。
◇◆◇◆
「あれはなんだ、アン?」
「あれはエスカレーターって言って……まあ、アレです。全自動階段みたいなモノですね」
「エスカレーターと言って全自動の階段だな。よし、覚えたぞ。あっちの扉はなんだ?」
「あれはエレベーターですね。ええっと……全自動……なんだろ? 人を運ぶ部屋?」
「エレベーター、全自動で人を運ぶ部屋だな。部屋ごと移動する分、エスカレーターの上位に位置する物体という解釈で間違いないか?」
「いや、エスカレーターとエレベーターの間に上位互換の関係性は無かったと思うんですが……アレですよ。すぐ上の階に行きたい場合はエスカレーターの方が早かったりするんですけど、何個か上の階に行く場合はエレベーターの方が早いんですよ」
「用途に寄って使い分ける、という事だな。分かった、ありがとう」
「……そうですか。それは良かったです」
ショッピングモールに入って――否、入る前の自動ドアの段階からロッテの興味は尽きない。こっちの世界でいう所の中世ヨーロッパ風の世界からいきなり現代日本に転生である。科学技術に一々驚き、アンに一から十まで説明を求めるのだ。最初こそ、罪悪感も手伝って懇切丁寧に教えていたアンであったが、流石に入店一時間で十メートル程度しか進んでいなければそろそろ疲れもピークに達しつつある。
「あの……ロッテさん? 気になるのは分かるんですが、流石に入店一時間でまだ入り口をうろうろしてたら、此処を一周するのに十年ぐらい掛かると思うんですよ? ちょっとだけ、ちょっとだけ我慢して先に進みません?」
申し訳無さそうなアンのセリフに瞬き一つ。後、ロッテは苦笑を浮かべて見せた。
「興味を惹かれる事が多すぎてな。ついつい、君に頼りっぱなしになってしまったな、済まない。今度はアン、君の好きな所に連れて行ってくれ」
「い、いえ、謝られる程の事じゃ……でも、そうですね。ちょっと上の階に……と、その前にATMに寄ってもイイですか?」
「ATM?」
「ああ、済みません。ええっと……なんて言えば良いのかな? 全自動でお金が出せる機械、というか……」
「……」
「……なんです?」
「いや……全自動ばかりだな、この世界は。人間など要らないのではないか?」
「……そうですね。良く考えれば全自動ばかりですね」
ロッテに言われ、アンも気付く。自動ドア、エスカレーター、エレベーター、ATM。確かに、言われてみれば全自動ばかりだ。
「それに、全自動でお金を出せる機械か……凄いな。この世界では貨幣は自動で出せるのか? そんな便利な世界なら、誰も働かないのではないのか? あちらこちらの店に人間が見えるが、彼らや彼女らは何をしているんだ?」
まるで奇妙なモノでも見る様な視線でショップ店員を見つめるロッテ。自身の奇異さを棚に上げたその行動に思わずアンが突っ込みそうになって、そしてロッテの勘違いにピンときた。
「……ああ、別にATMは幾らでも無限にお金が出せる訳じゃないんですよ。銀行に預けた残高までしか下ろせませんので、結局働かないとダメなんですよ」
「ふむ、なるほど。つまり、家の外に自身の金庫が置いてある、という事だな?」
「ええっと……まあ、当たらずとも遠からずですかね? 銀行って所がありまして、そこにお金を預けておくんです。それで、必要な時に預けた金額を上限にして引き出させる、っていうか……」
「銀行?」
「はい。あ! 銀行に何か引っ掛かるものがあります?」
心持期待をした様な瞳を浮かべるアンにロッテは左右に首を振って見せる。
「……いや、まあ知らない訳では無いが……そこまで重要な事ではない」
「……そうですか」
先程の表情から一転、肩を落とすアンの頭を苦笑交じりにポンポンと叩きロッテはその手の親指を一角――喫茶店に向けて指す。
「まだまだ興味は尽きないが、如何せん小腹が空いた。どうだ、アン? 少し休憩しないか? 心配するな、勿論私が奢らせて貰う」
「わ、悪いから良いですよ! お金はATMで下ろしますから!」
「遠慮するな、今日のお礼だ。それに、ATMなんかに行ってみろ? ますます私の興味が引かれる事は請け合いだぞ? その前に少しだけ休憩を取ろうじゃないか」
少しばかりの思案顔、後、アンは遠慮深げにコクンと首を縦に振って見せた。そんなアンの姿に、ロッテの顔にも笑みが浮かぶ。
「そうか。それは良かった。では行こうか」
「は、はい。あ、でも! やっぱり自分の分は自分で払いますから! そもそも、今日だって私からのお詫びですし、むしろロッテさんの分も奢らせて――」
「私に奢らせてくれなければこの場で『アン、君こそ運命の人だ!』と大声で叫ぶぞ?」
「――……ゴチになりまーす」
失うものが何も無いって、強い。
そんなしょうもない事を思いながらジト目を向けるアンに、ロッテはカラカラと笑って見せた。
◆◇◆◇
「それで良かったのかね?」
「あ、はい! 好きなんですよ、此処のケーキセット!」
連れだって入った喫茶店――中世ヨーロッパ風の異世界情緒漂う、なんだかロッテ的には少しばかりのなつかしさを覚えるそこで向かい合わせに座りながら、紅茶とモンブランを前にホクホク顔を浮かべるアンを微笑ましいものを見る様に見つめるロッテ。その視線に気付いたのか、アンはフォークを口に加えたままで首を傾げて見せた。
「えっと……クリームが顔に付いていたりします?」
「いや。そんな事はない。無いが……それっぽっちで足りるのかな、と思ってな?」
アンなら、もっと食べるぞと口にしかけてその言葉を飲み込み、ロッテはブラックコーヒーを口に運ぶ。口内に広がる苦さが自身の気持ちと連動している様で、なんとなく寂寥感を覚えたロッテはカップを置いて少しだけ目を伏せた。そんなロッテに、意味深な表情を浮かべながら、アンはモンブランをもう一切れ口の中に放り込んだ。
「その、私、結構小食なんですよ。あ! 別に女子ルールの『私、小食なんだけど~』アピールとかじゃないですよ? 本当に小食なんです!」
「……なんだ、そのルールは。そんなものがあるのか?」
「ほら、大食いの女の子は可愛くない! って風潮があるじゃないですか?」
「そんな事はないぞ? 『よーし、ロッテ! 今日は大食い勝負よ!』と目をキラキラさせる女の子だって十分可愛い」
「……なにその局地的な需要。そ、そりゃ大食いの女の子が好きな人もいるでしょうけど……やっぱり、ちっちゃいお弁当箱でご飯食べてる方が女子力高いって言われるんですよ!」
照れくさそうにそう言って見せるアンを眺めながら――そして、ロッテは胸中で溜息を吐く。
無論、分かっていた。
可愛いとは、思う。
愛しいとも、思う。
それでも目の前で恥ずかしそうに、それでも嬉しそうにケーキを頬張る少女が、自分の愛した少女と、その少女と違うなんて事、ロッテだってわかっているのだ。
髪の色が違う。
目の色が違う。
喋り方だって、ロッテに対する態度だって、なんだって違う――『アンジェリカ・オーレンフェルト・ラルキア』とは、何もかも違うことぐらい。
「……そんな事、『アン』は気にしなかったがな」
「へ? なんです?」
「なんでもないさ」
この少女は『アン』と、ロッテの知っている『アン』とは別物だって事ぐらい、ロッテにも分かる。この少女は、単に姿かたちがアンによく似た、別の少女である事ぐらい、ロッテには分かっているのだ。
「……なんでもないさ。それよりアン、君の通う――ああ、この言い方は正確ではないか。私が教鞭を取る『高校』について教えてくれないか?」
自身の身勝手な失望に対する軽い罪悪感を抑え、話題を変える様にロッテは首を左右に振って笑顔を浮かべて見せる。そんなロッテの表情に少しだけ首を捻り、アンは口を開いた。
「えっと、私の通う高校は私立天英館女子高校って所です。ロッテさんはそこで国語の教師をする予定ですね」
「天英館女子高校、か」
「はい。通称『天女』って呼ばれてます」
「天に住まう美少女達の園、か?」
「あー……まあ、そんないいもんじゃないですけどね? 偏差値も普通ですし……強いて言うなら、部活動がちょっと有名ですかね?」
「部活動?」
「バスケ部がソコソコ強いんですよ。全国とかにも行っちゃうぐらいで……だから、スポーツ推薦とかがあるんですよね」
「……ふむ。良く分からんが……バスケ? 部活動?」
そもそもフレイム王国には『バスケ』や『部活動』という単語は無い。
「バスケって言うのは一つのボールを使って二つのチームでゴールにボールを入れるスポーツで、部活動って言うのは……なんだろう? 学校が終わってから仲間内でする……活動?」
「なるほど、理解した」
「え? 今の説明で分かったんです? 自分で言うのもなんですけど、結構無茶苦茶な説明なんですけど」
「玉入れゲームと残業の事だろう?」
「……絶対ダメですよ、バスケ部の前で『玉入れ』とか言ったら。後、残業って。いや、確かに課外活動ですから残業っちゃ残業……なのかな?」
しかもお金も出ないサービス残業である。辛うじて、エンドの時間が決まっている分ブラックよりはマシだろうが。
「ま、まあ! ともかくバスケ部がそこそこ有名って所ぐらいですかね? あとはもう本当に普通の高校です。別にマンモス校って訳でもないですし、不思議な生徒会とか、特殊な能力を持つ生徒だけを集めた特別学級とかもないですし」
「なんの話だ、それは?」
「変な学校の一例? まあ、意味が分からなかったら良いですよ」
照れくさそうにはははと笑いながら手を振るアン。そんなアンの動作にロッテもさして興味も無いのかブラックコーヒーを口に運び。
「そう言えば」
「はい?」
「アン、君はその『部活動』に所属していないのか?」
「私ですか? 入ってますよ、部活動。バスケ部じゃなくてボランティア部ですけど一応、こう見えて部長です! しかも初代部長ですよ!」
まあ部員は三人ですけどと、恥ずかしそうに、それでも心持胸を張って見せるアンに今度はロッテが首を捻って見せる。
「ボランティア、とは?」
「ボランティアっていうのは……ええっと、無償で奉仕活動を行う部活、ですかね? 街の清掃活動とか、保育園のお遊戯会で劇をしてみたりとか……そんな事してます」
「……ふむ」
アンの答えに腕を組んで瞑目する事、しばし。
「…………その部活動は、なんの目的があるのだ?」
「……へ?」
「先程の『バスケ』というスポーツをやっている部活動は試合に勝つことを目標としているのだろう? だが君のその『ボランティア』とかいう部活動は無償で他者に奉仕を行う部活動なんだろう? なんだ? なにか罪を犯して罰を受けているのか?」
「ボランティアを全否定!? ち、違いますよ! 別に罪――は、まあ、ロッテさん轢いたりしてるんで、ある意味では罪深い人間ですけど……そ、そうじゃなくて!」
「しかも初代部長だろう? という事は、君が、君の意思で作った部活動という事だろう? なんだ? 理由があるのか?」
「……」
「……」
「……」
「……言い難いなら無理には聞かないが?」
「え、ええっと……言い難いっていうか……ちょっと恥ずかしいかな~って……」
「性的な事か?」
「ちょ!? なんで恥ずかしいがイコールで性的な事なんですか! 違いますよ! そうじゃなくて……」
「では、なんだ?」
「そ、その……いや、こう、結構恥ずかしいんですけど……」
明後日の方向を向き、ポリポリと頬を掻きながら。
「その……私、ですね? こう……人の笑顔が大好きでして」
「……なに?」
「だ、だから! 小っちゃい頃から特段理由は無いんですけど、なんだか人の笑顔が大好きなんですよ! じ、自分でもどうかしてるな~とは思うんですよ? 思うんですけど、こう、ボランティア活動して『ありがとう!』って笑顔を向けて貰えると、こう、心の中がポカポカするって言うか! と、ともかく、なんだか凄く嬉しくなっちゃうんですよ! あ! も、勿論、『全世界の人を笑顔に!』みたいな大それた事を考えてる訳じゃないんですけど! で、でも、誰かがこう、笑ってくれて、皆が幸せになれたらこっちまで幸せになるな~って。皆、そんな考えだったら、多分世界は平和だろうな~って……そ、そんな事を思ってですね! それで、一応、こう……ボランティア部なんか作ってみちゃったりしたんですよ、ハイ……」
「……」
「ほ、ほら! そんなポカンとした顔してる! だから言いたくなかったんですよ! 何がいい年して『皆の笑顔が好きだよ!』とか思いますよね!? わ、私だってなに青春ドラマみたいな事言ってんだよ! って思いますよ!? お、思いますけど……」
そう言って、一息。
「――皆が笑って暮らせたら、それってきっと素敵な事だと思うんですよね?」
「――あ」
照れくさそうにしながら――それでも、はっきりと、意思の強いその瞳に。
『だ、だから! 皆が笑える国がイイって言ったの!』
アンの、アンジェリカの面影を、見る。
「……そうか。『皆が笑える』か」
「あ、あ、あ! な、なんですか、その表情! なんだか呆れた顔してますよね!?」
「そんな事はないさ。まるで砂糖とハチミツでコーティングした様な甘い甘い考えだな、と微笑ましく思っていたんだ」
「それ、絶対バカにしてますよね!?」
言うんじゃなかったー! とテーブルに突っ伏し耳まで赤くするアンを見ながら。
「――そんな事ないぞ。本当に素晴らしい思想だと思うさ」
本心から、本当に本心から、ロッテはそう言って見せた。