第三十二話
ロッテの言葉に目を二、三度パチパチと瞬かせた後、リーゼはゆっくりと息を吐く。
「それ、無理」
「理由を」
「アンタね? 新学期始まって何日経ってると思うのよ? 今更特別学級の編成なんて出来るワケ無いでしょ? 学校運営ってのは思いついたから『はい、それじゃ!』で進むワケじゃないのよ? 加えて一か月間だけの特別クラス? 無理無理! 出来るワケ無いじゃん。これ以上、教頭の毛根を死滅させたいの?」
私的にはそれもアリだけど、と付け加えてフンっとそっぽを向いて見せるリーゼ。その姿にふむ、と一つ頷きロッテは口を開いた。
「ある程度、協力はして貰えるという認識だったが?」
「全面的に協力はするわよ、そりゃ。でもね? だからと言って『空を飛べ』とか出来ると思う? 物理的に無理なものは無理なの。」
「なるほど、今回の件はその『出来ない』という括りに入る、という認識だな?」
「そう言う事よ。まあ、補習程度なら出来ない事も無いけど……それでも、結構厳しめね。他の先生だって用事もあるだろうし」
「それに関しては問題ない。今回の模試は国・英・数の私大文系型だ」
「なに? 先生の数が少なくて済むって話?」
「いや、そうでは――ああ、まあそう言う事か」
「アテでもあるの? その補習を手伝ってくれる様な先生の?」
何かを探る様なリーゼの視線。その視線を受け、ロッテは首を横に振って見せる。
「いいや。私もこの学校に来て日も浅い。流石にこの様な急な案件をお願いできる程の貸し――ではなく、人間関係を構築している教師は皆無だ」
「さらりと怖い事言わないでよ、貸しって。それじゃなに? 私に先生探せって事?」
「そうではない。そんな事をしなくても適任がいるだろう」
此処に、と。
「………………は?」
「国語と英語と数学だろう? その三教科程度なら、私が教えられる。だから、教師の都合をつける必要はない、という話だ」
なんでもない様にそう言って見せるロッテ。そんなロッテに、先程同様二、三度目を瞬かせるとリーゼは呆れた様に額に手を当ててやれやれと首を左右に振って見せた。
「……アンタね? アンタ、国語の教師でしょう? 数学とか英語、教えられるの?」
「高校生レベルの数・英程度なら何ら問題はなかろう。そもそも、よく考えて見ろ? この国の人間は英語、英語と有り難がっているが、そもそも語学はそれをネイティブで喋る人間からすれば子供でも出来る教科だぞ? 特に、この国の英語は基本『暗記』科目だからな」
「いや……そりゃ、そうかも知れないけど……」
単語と文法、それに発音だけを覚えていればそこそこ点数が取れるのが『英語』だったりするのだ。無論、それが海外に言って真に通用する英語かと問われれば甚だ疑問ではあるが、少なくともテストの点数を上げるのであればそれで何とかなったりするのが英語という科目の面白い所であったりする。
「それじゃ数学は?」
「同じだ。むしろ、数学こそ暗記科目の最たるものだろう。今度の模試では東大京大レベルのアカデミックな問題が問われる事も無いしな」
「なんで分かるのよ?」
「傾向と対策だ。過去五年分の模試を見直した所、ある程度公式を丸暗記しておけば解くことは難しくない問題ばかりだったしな。死ぬ気で公式を覚えれば対策としては十分だ」
「今年は急に難化したらどうするのよ?」
「模試を難化させる必要性を感じえないが……だが、そうだな。それならそれでも別段構わん」
「構わないの? 解けないんでしょ?」
「先程も言った通り、私大文系型の試験だぞ? 受けに来る人間が数学大得意です、みたいな人間ばかりだと思うか?」
「……思わないわね」
「別に百点満点を取れとは言わん。要は折が丘の生徒に勝てる程度の点数であれば良く、その為の勉強をすればよい、という話だ。国語と英語で点数を稼ぎ、数学はまあ、足を引っ張らない程度に点数が取れればそれで良い」
受験生に陥りがちな事の一つに『完璧』を求めすぎる、というのがある。日本の最高峰を目指すのであればともかく、本来試験は合格点を通過する程度取れれば問題はなく、何も百点満点を目指す必要はない。頭で理解し、『数学は捨て教科だから』とか『日本史は受けるけど本命は現代社会』なんて口に出したりしながら、数学のミスを引きずり、日本史の勉強を必死にやったりするのである、受験生というイキモノは。受験に必要なのは確かに学力だが、それと同様にメンタルも軽視できないモノはあるのだ。
「なるほど。理には叶ってるわね。それで? それをすれば折が丘の生徒に……まあ、それはどっちでもいいわ。ウチの可愛い生徒達が、自分に自信を持てるようになるの?」
そう言って試すような視線をロッテに向けるリーゼ。その視線を受け、ロッテは自信満々に首を振って見せた。
「知らん」
横に。その仕草に、思わずリーゼがずっこける。
「あ、アンタね! 此処まで説明して置いて『知らん』は無いでしょ、『知らん』は!」
「知らんものは知らん。もしかしたら自信が付くかも知れんが、それを『自信』と取るか『過信』と取るか、あるいはただただ慢心するかは本人次第だ。そもそも、松代ならば折が丘の生徒に勝ったり模試で全国上位を取ったとしても自信にも何にもならないだろうしな。彼女にとっては模試で上位を取る、などは自信につながらん。ただの事実確認に過ぎん」
ただ、とロッテは言葉を続け。
「少なくともアンに取っては自信にはつながるだろう。自身が落ちた高校に通う学生に学力で勝った事に喜びを覚える事はあっても、過信や慢心をする様な愚かな少女ではないからな」
「へー。信頼してるの?」
「まさか。愛しているんだよ」
「……問題発言、やめてくれる? 頭痛くなるから」
そう言ってリーゼは頭を左右に振って。
「……流石に、新たにクラスを編成するのは難しいわ」
「……ふむ」
「だけど……そうね、五人程度ならば『特別補習』って名目でクラスから離れて勉強させる、って事も出来るかも知れない。先生が貴方一人でやってくれるなら、それで問題無さそうだし。貴方が元々持っているクラスの授業はしっかり出て貰うけど――」
「その間に、他の教師に普通クラスの授業を付けてもらう、か?」
「そうね。その方法がベターかな。無論、本人の努力も必要だと思うけど」
「分かった。それで行けばボランティア部の三人のみ、別クラスで特別補習を施すとしよう。あの三人ならば問題なかろう」
「松代さんには必要なさそうだけどね?」
「まあな。だから彼女には旗艦の役目でも果たして貰うさ」
「女子高生にあんまり無理させないでね。ま、ともかく、そういう方向で調整してみるわ」
「助かる」
「良いわよ。私の為でもあるし」
そう言ってひらひらと手を振るリーゼに一礼、ロッテは学園長室を後にする。その後姿をまるで眩しいものでも眺める様に眺めた後、リーゼは自身の手元に目をやって。
「――あーーーーーーーーーーーーーーー!!!!???? 私のラーメン、すっごい伸びてるーーーーーーーー!!!」
そんな、間抜けな絶叫が学園長室に響き渡った。




