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▲4話


「アン」

「あ! ろ、ロッテ……様」

「……なんだそれは?」

 ゲオルグ主催の、『どうすればロッテがその女の子を落とせるか』会議の翌日。心持疲れた表情を浮かべながら何時もの様に、昼御飯を食べに向かった定食屋。先に席に着いてるアンに声を掛ければ、今まで聞いた事のない、『様』なんて単語が飛び出した事にロッテが訝し気に顔を顰めさせる。そんなロッテをチラッと見た後、アンはツツツーと視線を外した。

「あー……えっと、こないだ本屋に行ったのね……じゃなくて、行ったんですけど……そしたらそこの本屋の御主人さんが、『アンちゃん、凄いね?』って言ったのよ……じゃなくて、言ったんです」

「話し難いな。まあ、良い。それで?」

「『ロッテさんって『あの』バウムガルデン商会の御曹司で、王府の次長だよ? フレイム王国でも……そうだな、十番目ぐらいまでに入る、凄い偉い人なんだよ? そんな人にあんな言葉遣いなんて』って」

「……ああ」

 アンの言葉に、ロッテが頭を抑えて軽く左右に振って見せる。その姿を見やり、アンが遠慮がちにロッテに言葉を掛けた。

「え、ええっと……そんな偉い人にあんな言葉遣いをして……本当に、申し訳ありませんでした」

 ペコリと頭を下げるアンにロッテが小さく溜息を漏らし、苦笑を浮かべながら形容しがたい表情を見せる。どう言ったら良いのか、少しだけ困った様な……それでいて、なんだか吹っ切れた様な表情を。

「……今更の話だ。それに、別段私が偉い訳ではない。私に与えられた『次長』という役職が……まあ、そうだな。『偉い』だけだ」

「……違うの……違うんですか?」

「今まで通りの喋り方で良い」

「……ロッテは偉くない、って事?」

 アンの、その頭に疑問符が浮かんだ表情にロッテは優しい微苦笑を浮かべながらどう説明したものか、としばし悩む。

「……王府、という組織は中々特殊な場所でな? その……なんと言えばいいか……『偉い』と云うのが分かりにくい場所だ」

「分かりにくい場所って……その説明が分かりにくいんだけど?」

「そうだな……例えばアン、君は裁縫屋だろう?」

「……へ? あ、ああ! うんうん! そ、それが?」

「裁縫屋で『偉い』と云うのは……ああ、これでは店主になるな。それでは、裁縫屋で『凄い』人とはどういう人だ?」

「裁縫屋で凄い? ええっと……凄く細かい刺繍が出来るとか、縫うスピードが早いとか……そんな感じ?」

「そうだな。概ね、普通の組織はそういうモノだ。私の実家のバウムガルデン商会にしたって……無論、役職上一番『偉い』のは会長である兄だが、それでも商品を売り捌く、或いは安く仕入れる事の出来る商人には一定の敬意を払っているし、待遇面でも優遇している。『商会で一番の権力者は代表者だが、偉いのは商人』という言葉もある」

「……」

「……私は……まあ、そうだな。王府に奉職して以来、ずっと日の当たる道を歩んで来た訳ではない。二十代の時に、退職間際の人間に宛がわれるポストに就いた事もあるんだ」

「……ええっと……それって思いっきり閑職って事だよね? そんな人が王府で三番目に偉い人まで登り詰めたって事?」

「運よくゲオルグ殿下に引き立てて頂いた為に王府の次長だと名乗っているが、それが無ければ……そうだな、今頃こうやって生きているかどうかも分からん。商人として独立しようかと思っていたからな。何処かでのたれ死んでいた可能性もある」

「……」

「無論、その頃よりも成長しているとは胸を張って言える。だが、私が今の地位に居るのは単純な巡りあわせに過ぎんのだよ。私が偉い訳では無く……ただ、運が良かっただけだ。そして、運が悪ければまた転落する事もあるという話だ」

「殿下に嫌われたらって事?」

「そういう好き嫌いで見誤る方ではない。ないが、まあ王府は言ってみれば魔窟だからな。私の今の地位と立場が気に入らない人間だっている。そうなれば、また閑職に回される事だって十分にあり得る。だから……まあ、私の立場は不安定であり、その不安定な立場でただ『偉い』とふんぞり返る事など出来ん、という話だ」

 ロッテが出世街道をひた走っていたならばまた話は別だっただろう。だが、ロッテは左遷の経験もある苦労人でもある。殿下の機嫌はともかく、ある種伏魔殿の様な王府だ。何時でも今の地位を追われる危険と覚悟は、なまじ一度経験した事があるだけにロッテには良く分かっているのだ。

「……そうなんだ」

「そうだ。だからまあ私自身、自分に物凄く価値があるとは思ってはいない。王府の中ではともかく、『王府の次長』だからという理由でお前に敬語を使え、というつもりはこれっぽちもない」

 まあ、年上に対する礼儀として敬語を使うのは構わんがな、とジト目を向けるロッテに、アンは可愛らしくペロッと舌を出して見せた。

「なに? ロッテは私に敬語を使って欲しいの?」

「……先程も言ったが、今更だな。もしお前が王府に奉職するのであればこき使ってやるが?」

「うへ。ロッテの下で働くなんてぜーったいイヤ。心労で死ぬわよ、私」

「一度ぐらいは死ぬほどの心労を患ってみろ。少しは真面な言葉遣いも出来る様になるんじゃないか?」

「十分、マトモな言葉遣いですー。私だって使う所ではちゃんと淑女っぽい言葉を使うのよ?」

「ほう?」

「ヲーッホホホとか言うし!」

「……それは真面なのか?」

 首を捻るロッテに、『にしし』と擬音が付きそうな笑顔を浮かべるアン。

「そうね。それじゃ偶には淑女っぽい言葉でも使って見せましょうか?」

「……アンが、か?」

「……なによ、その顔? 『あん? お前が出来るのかよ?』みたいな顔してるわよ? アンだけに」

「……済まない、私はあまりそう言った方面の知識が無くてな。もう一回良いか? アンだけに……なんだ?」

「…………なんでもない」

「ああ、あれか? 『あん?』という部分と『アン』が掛かっているという事か?」

「なんでもないって言ってるでしょっ! っていうか、ロッテ! カンジ悪いわよ、それ!」

 ぷくっとフグみたいに頬を膨らませるアンに、面白そうに頬を緩めるロッテ。そんなロッテの表情の変化に、ますます臍を曲げたのかツンとソッポを向くアンにロッテは小さく頭を下げた。

「悪かった。少し、揶揄い過ぎた様だな?」

「ふんだ。そんな事だからロッテ、部下に人気ないのよ!」

「待て。なぜ私が部下に人気が無いと分かる?」

「ロッテみたいに底意地の悪い人、絶対人気が無いに決まってるじゃん! っていうかロッテ、独身なんでしょ? まあ、そんな底意地の悪さでは結婚なんて出来やしないか」

「……ほう。言ってくれるな、アン。私は結婚出来ないのではない。しないのだ」

「へえ? なに? 『俺、モテるけどしないんだよ~』みたいな感じなの、ロッテ? うわ、自慢っすか! 流石ロッテさん、マジパネェっす!」

「……宜しい、今のは完全にバカにしているな? というか……そもそもだな? お前こそ、人の事が言えるのか?」

「私?」

「まあ、認めてやろう。容姿に関しては恐らくソコソコ良い。今までの話の内容から推測するに、頭の回転も悪くは無い。明るい性格でもあるし、笑顔の絶えない家庭にはなるだろう」

「……あ、あれ? な、なんだろう? その、物凄く褒められてるカンジ? や、やだな~、ロッテ? そんなに褒められると照れちゃうじゃ――」

「だが、ガサツだろう?」

「――ないって、おーい!? が、ガサツ? 誰がよ! 失礼な事言わないでよね! お淑やかでしょ、私!」

「……」

「な、なによ?」

「いや……私の知るお淑やかな女性は、屋根の上から飛び降りて泥棒を投げ飛ばさない」

「うぐっ! で、でもアレは……き、緊急事態だったし! 仕方ないじゃん!」

「泥棒を投げ飛ばしたのはともかく、屋根の上に上がったのは別に緊急事態でもなんでもないだろう?」

「そ、それは……そ、そうだけど……」

「加えて、料理も下手くそだろうしな」

「ちょっと待て! なーんで私の料理が下手くそだって分かんのよ! 貴方、私の料理食べた事ないでしょうが!」

「料理が得意な女性であれば、毎度毎度昼食を食べに定食屋に来るか? アンぐらいの年頃の娘であれば、弁当を作るのが普通だろう?」

「うぐぅ! そ、それは……」

「なんだ? 得意なのか?」

「……得意じゃない」

「だろう?」

「で、でも! 私だって出来るもん! お淑やかな女性!」

「嘘は感心せんぞ?」

「う、嘘じゃないし!」

「だから……ああ、分かった分かった。それじゃもう、それで良い。アンはお淑やかな女性だ。どうだ? これで満足か?」

 幾分面倒臭くなったのか、ロッテがハイハイと言わんばかりに右手をプラプラと振って見せる。その姿に『むきー!』と顔を真っ赤にさせる。その姿を面白そうに見やるロッテに、アンがコホンと一つ咳払い。

「……分かった。それじゃ見せてあげる」

「見せる? 何をだ? まさか、手料理とか言うなよ? 毒物処理など御免だぞ?」

「ほんっっっとうに失礼ね、ロッテは! 違うわよ!」

「ふむ。それでは何を見せてくれるんだ?」

 ロッテの言葉に、アンはニヤリと微笑むともう一度咳払いをし、その後姿勢をすっと正す。先程までの怒りで朱に染め上げた表情を何処に隠したのか、顔には穏やかな、まるで聖女の様な微笑を湛えて。




「――お帰りなさいませ、あなた。お帰りを、お待ちしておりましたわ」




 まるでプレゼントの包みを開ける前の子供の様な、純粋無垢な笑顔に思わずロッテが息を呑む。

「今日も一日、お勤めご苦労様でした。お食事にしますか? 貴方に喜んで頂きたくて、腕によりを掛けて作りました。さあ、召し上がって下さいませ。ふふふ。美味しいって、言って下さるかしら?」

 コクンと、首を右に傾げさせて不安と、それ以上の期待を浮かべた、とても、とても魅力的で、そして優しい微笑みに。

「……なんの茶番だ、これは」

「ちゃ、茶番!? 何言ってんのよ、ロッテ! これがアン必殺、『良妻版淑女』じゃない! どうよ! 私だってやれば出来るんだから!」

「それを淑女と……ああ、まあ呼ばない訳ではないか。だが……ああ、うん。なんだ? そもそも必殺とはなんだ?」

「『狙った男をオトす』って意味での必殺よ!」

「……ああ、料理でか。あの世にオトすと言う意味だな?」

「違うんですけどぉ!? っていうか、失礼じゃない!? ちょっとぐらいは照れなさいよね! 私、結構恥ずかしかったのに!」

「照れるなら最初からやるな、アホらしい」

 先程とは違い、羞恥で顔を真っ赤に染めるアンに。

「……ふん」

「え? どうしたの、ロッテ?」

「どうもせん」


 ――五月蠅いぐらいのスピードでリズムを刻む心臓の音が顔に出ていれば、きっと自分もアンと同じくらいに顔を真っ赤にしていただろうと、そう思いながら、ロッテはそれを誤魔化すように小さく溜息を吐いて見せた。


◆◇◆◇


「……ふう」

 何時もの様に――否、何時もより数段遅いペースで仕事をこなしていたロッテは、小さく溜息を吐く。向かって右側、机の上に置かれた一向に減る事のない未決済箱の中の書類の山に憂鬱な気分になりながらもう一度溜息を吐きかけた所で。

「……なあ、おい? そろそろその溜息、止めてくれねーか? 気になって集中できないんだけど?」

 と、そんなロッテに掛かる声。その声の方向にロッテは視線を向けて――部屋の中央に置かれた応接セットの上で、ひたすらロッテの仕事を手伝うカールの姿を見やった。

「……おい。手が止まっているぞ? 判子を押すだけの簡単なお仕事だろう? さっさとやれ」

「え? あ、ああ。すまな――じゃなくて! なんで俺がこんな事をしなきゃいけねーんだよ! お前の仕事だよな、これ!」

 激情のまま、机をバンと叩いて立ち上がるカール。そんな彼に、ロッテはわざとらしく――そして、イヤらしく首を左右に振って見せた。

「一々騒ぐな、喧しい。そもそもだな? 誰のせいで私の仕事が滞っていると思っているんだ?」

「え? 俺のせい? アレって殿下のせいじゃね?」

「……訂正しよう。なぜ、私が殿下にあれ程絡まれる事になったか、その原因を作ったのは誰か、と聞いているんだ」

 仮にも一国の王太子、しかも自身が仕える主に対しての言い草ではない。言い草ではないが、ロッテの言葉に少しだけカールも顔を顰めて見せる。

「……まあな。その辺りは俺にもちょっと責任があるかな、とは思う。でもな? あれ程殿下が今回の事に興味があるとは思わなかったんだよ」

 すまん、と頭を下げるカール。その姿に、ロッテが驚いた様な表情を浮かべて見せた。

「……えらく素直だな? どうした?」

「色恋沙汰ってのは外野があんまり口出す事じゃねーからな。横から口出せば巧く行くものも巧く行かねーし」

「そこまで気が使えるんだったら、なぜ殿下に話す? 黙っておけ」

「アホか。俺は近衛の団長だぞ? 職務上、殿下の側近の身辺に関しては報告する義務はあるんだよ」

「本音は?」

「本音だよ。まあ……面白そうだと思ったのもあるけどな」

 そう言って二カッと笑うカールにロッテ、もう溜息しか出て来ない。

「んで? どうなんだよ? 例の『裏通りの君』とは。なんか進展あったんだろ?」

「別段、進展など――待て。なんだ、その呼称は」

「俺と殿下で名付けた。昨日だって逢いに行ってたんだろ? そんで今日、溜息ばっかり吐いているって事はだ? 何かしら、二人の間で進展があったのかなって思うだろうが。しかも、悪い方で」

「……興味本位か?」

「バッカ、お前、心配してるに決まってんだろうが」

 そう言って、少しだけ怒ったように腕を組むとカールはロッテを睨む。

「あんな? お前、今日一日ずっと溜息しか吐いてねーの。ついこないだまで浮かれきって裏通りに繰り出していたお前がそんなんじゃ、そら心配するだろうが。一応俺、お前のツレだと思ってんだけど?」

「……すまん」

 何時になく真剣な表情のカールに、『こいつ、まだ懲りて無いのか?』と失礼な事を思っていたロッテは丁寧に頭を下げる。そんなロッテの姿に、カールは小さく溜息を吐いて見せた。

「別に謝って貰いたい訳じゃねーよ。ただ……なんだ? 飲みにでも行くか? 奢ってやるぞ? エレナと……そうだな、エレナの友達も連れてさ」

 勿論独身の、と付け加えるカールにロッテの口元が少しだけ笑みに歪む。この、バカで暑苦しく不器用で、それでも優しい友人に今度は胸中で頭を下げて言葉を継いだ。

「いや、それは良い。別にフラれた訳でも無いしな」

「ほえ? そーなのか?」

「ああ。それどころか……」

「それどころか?」

 しばし、言い淀む。

「……そうだな。それどころか、そもそも私はアンの事を……その、好意を持っているかどうか、それすら分からないからな」

 普段のロッテなら、絶対に口に出さないであろう、『分からない』という言葉。そんな、何時になく『弱った』ロッテに目を丸くし、カールは言葉を引き取った。

「……おい。流石にそれはねーだろうが。あんだけ頻繁に通っていて、それで『好きじゃないです』は無理がねーか?」

「ああ、いや。無論、好ましい人間であるとは思う。思うが……」

 一息。

「……『女性』として好ましいかどうか、それは分からないんだ」

「……おいおいおい。私塾に通ってるガキんちょだってもうちょっと進んでるぞ? イイ年して何言ってんだ、お前」

「そうだな。私自身もそう思う。そう思うが……」

 アンは良い子だと思う。容姿も、頭の回転も、性格だって悪くは無い。

「……なんだろうな?」



 そんな単純な事で、『好き』と言っていいのか。



「……私はもう、四十になろうとしている。対して、彼女はまだ十五歳だ。親子ほど年の離れた身で、愛だ恋だと現を抜かすのもどうかと思う」

「……珍しくないって言っただろう?」

「私の仕事は多岐に渡る。今だって忙しいが、殿下が即位された後はもっと忙しいだろう。そんな状態で、彼女に想いを寄せるのは彼女の迷惑にもなるのではなかろうかとも思う。そもそも、彼女と共にお互いを高め合って行けるか、それすらもわから――」

「ストップ」

「――な……なんだ?」

 訝し気な表情を浮かべるロッテをしばし見つめた後、徐にカールは指をピンと立てて見せる。ご丁寧に、小さく溜息を吐く仕草までするカールにロッテが眉根を寄せた。

「……なんだ、その態度は」

「睨むな、こえーから。そうじゃなくて……なんだ? お前、そんなしょーもない事で悩んでたのか、って思ってな?」

「……しょーも無い、だと? カール、それはどういう意味だ?」

「恋愛ってのはもっとシンプルで良いんだよ。釣り合うだとか、高め合っていけるとか、そんな話じゃねーの。つうか、ロッテ? そもそも、お前は色んな事を『足し算』で考えすぎなんだよ」

「……どういう意味だ? まさか、結婚は引き算だ、とでも言うつもりか? ある程度の妥協は必要だと、そう――」

「そうじゃなくて」

 言い募るロッテに、ヒラヒラと手を振って見せて。

「良く言うだろ? 『この人と共に人生を送りたいから、結婚した』って。でもな? んなもん、俺に言わせりゃ当たり前なんだよ。まあ、政略結婚はともかく……恋愛結婚だったら、普通は一生一緒に添い遂げようと思って結婚するんだよ。最初から離婚を前提に結婚する奴なんかいやしねーっての」

「……まあな」

「だからな? 本当にソイツの事が好きかどうかってのは足し算で考えるんじゃねーよ。引き算で考えるんだよ」

「……どういう意味だ?」

 訝し気な表情を浮かべるロッテに、カールは心持真剣な表情を向けて。




「――俺はな? エレナが他の男の所で笑ってる姿なんか想像するのも嫌だったから、エレナと結婚したんだよ」




 頭を金槌で殴られた様な、衝撃。

「……あ」

「お前はどうよ、ロッテ? その『裏通りの君』が誰か他所のヤツの所に嫁いで、冷静でいられるのかよ?」


 つまり、それは。


 アンに、自分以外の良い人が出来ると、そう云う事で。 


 ……一緒に御飯を食べに行ったり。


 ……手を繋いで、楽しく歩いたり。


 ……料理をしたり。


 ……読書をしたり。


 ……観劇に行ったり。


 ……何処かに、旅行に行ったり。


 ……夕飯の買い物に、二人で繰り出したり。




 ……口づけを交わし、肌を重ねると……そういう、事で。 




「……」


 ……アンが。



 ロッテの隣で、ロッテと食事をし、ロッテと話をし、ロッテと喧嘩をし、ロッテと仲直りし、笑っていたアンが、そのアンが。




 ロッテの知らない……ロッテ以外の男に。




 ――――その笑顔を、向けるという事。




「……現状、既に隣に居る人とずっと一緒に暮らしたいんです! って、簡単に言える様な奴ならともかく、お前みたいに面倒くさい奴は引き算で考えろよな? 一緒に暮らしたらこうとか、側にいたらそうとか、結婚したらああとか、そういう小難しい事は考えずによ? もし、隣に『居なくなったら』どうなるか、それを考えろよな、バーカ」

 心持、楽しそうに。

 呆然とするロッテに、カールはそう言ってウインクをして見せる。そんなカールに何か言葉を返そうとして喉に掛かり、その言葉を飲み込んでロッテは苦笑を浮かべる事で返答に代えた。

「……ま、答えは出たみてーだな?」

「……ああ。全く……私らしくない話だったな」

「ホントにな。お前、俺に感謝しろよな?」

 呆れた様に肩を竦めて見せるカール。その姿に一層苦笑の色を強くし、小さく頭を下げる。

「ホントにらしくねーな。ま、ロッテに頭を下げて貰うなんて滅多にねーし、有り難く受け取っておこうか」

「そうしろ」

 へいへい、なんて言うカールから視線を切り、ロッテは溜まっている未決済箱の山に視線を移す。その後、一つ頷いたロッテは未決済箱を机の引き出しに奥にしまう。

「お、おい? どうしたんだよ、ロッテ?」

「今日はもう店仕舞いだ。こんな気持ちで仕事をしても碌な事にはならんしな。ロート商会に行ってくる」

「……は? ろ、ロート商会?」

「アントニオの作るアクセサリーは若い娘に評判なんだろう? プレゼントに一つ見繕って置こうと思ってな。指輪……は流石に早いだろうし、そうだな……彼女の金髪に良く似合う、バレッタでも買うか。モノで釣る様な行為は趣味ではないが……殿下に倣うとしよう。背に腹は代えれんしな」

「ちょ、お、おい! ど、どうした?」

「誰にも渡したくないと思ったからな。ならば、直ぐに行動に移すのが一番だろう? 彼女は器量も良いし、何より優しいからな。ただでさえ、年も離れてる。うかうかはしておられんさ」

 そう言って、ロッテにしては珍しく快活な笑顔を浮かべる。何時にないそんなロッテの姿にポカンとバカみたいに大口を開けた後、カールがやれやれと首を振って見せた。

「……えらく行動的ですね、ロッテさん」

「当たり前だ」

「そんなお前、見た事ねーぞ、俺」

「そうだな。恐らく、私自身もこれ程気分が高揚するのは初めてだ。おかしいだろう?」

「いんにゃ。いんじゃねーの、そんなロッテも? キャラじゃねーだろうけど、俺は嫌いじゃない。ユリウス辺りは腰を抜かしそうだけど」

「ユリウスやお前よりはアンに好かれたいな、私は」

「……変わり過ぎだろう、お前。つうか『アン』っていうのか、その子」

「おい、気安く呼び捨てにするな」

「マジで変わり過ぎだろう、お前!?」

 そんなロッテに呆れた様な表情を浮かべた後、カールも手元の決済箱を手に取りそのままロッテの執務机まで歩みを進める。

「……ま、いいや。んじゃ、俺もこれで帰るわ。結果、楽しみにしてるぞ? 無論、良い方のな?」

「任せて置け。それと……その……なんだ? 今回は世話になったな。ありがと――」

 そう言って、カールから手渡された決済箱を手に取り、心持感謝の念を込めて深く頭を下げ。


「しっかし……なんだな? まさかロッテが『こんなん』になるとはな? 別に良いけど……でも、ちょっとがっつき過ぎじゃねえか? これからお前の事、『エロッテ』って呼ぶわ」


 ――下げ掛けた頭を止め、受け取りかけた決済箱をぐいっとカールに押し付け返す。

「……誰が終わって良いと言った? お前の仕事はまだ終わっていないだろう? これを片付けてから帰れ」

「…………は?」

「私は明日やっても十分終わる量だが、お前は終わらんだろう? さあ、頑張って働いてくれたまえ」

「……は? い、いや、ちょっと待てよ! お前、それはねーだろうが! おい……って、ちょっと! おい、ロッテ! お前、ちょっとま――」


 ドアを閉めて騒がしいカールの声をシャットダウンすると、ロッテは上機嫌に街へと繰り出した。


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