第三十話
ロッテの言葉に喫茶店が凍り付いたかのよう、まるで出来の悪いレリーフの様に固まった三人の内、初めに声を上げたのはエリカだった。
「ちょっと! アンタね!」
「君には聞いていない、エリカ。私はアンに聞いているんだ」
「アンに聞いているんだ、じゃないわよ! アンタ、自分が何を言っているか――」
「やかましい」
「――っ!」
ついぞ見た事の無い様なロッテの険しい視線。その視線を受けて口籠るエリカを詰まらなそうに見やり、ロッテは再び視線をアンに向けた。
「……どうだ、アン? 松代は君に付き合ってレベルを落とした高校に通っている。自分が勤務をする高校をこういうのもなんだが、わが校は決してレベルが高いとは言い難い。良くて中の上程度の実力しかない。だが、松代はどうだ? 彼女は上の上とは言わないまでも、近しい実力を持っている。そんな彼女が君の為にわざわざ天英館女子に通っているんだぞ? どう思う?」
「それ……は……」
「先生、言葉は正確に。私は杏の為にわざわざ通っている訳ではありません。そこの所を訂正して下さい」
言葉に詰まり俯くアン。そんなアンに助け舟が出された。コズエだ。
「……君にも聞いていないのだが?」
「そうでしょう。ですが、先生? 私には口に出す権利と義務があると思います」
「権利と義務?」
「そうです。私は自分で、自分自身の考えで天英館女子を選んだんです。勿論、そこには杏や絵里香がいるという要素がありました。いいえ、その要素しかありませんでした。ですが、それは全て私が選んだことです。その責任は、その権利は全て私にあります。ですから、先生に杏が私の足を引っ張っている、なんて決めつけて貰いたくないです。此処を選んだのは私の権利。そして、それに責任が発生するのであれば、それは私自身が負うべき義務です。杏が背負う必要なんてないものです」
そう言ってコズエはロッテを睨む。その視線にきょとんとした表情を見せた後、ロッテは大袈裟に溜息を吐いて首を左右にやれやれと振って見せた。
「……なんですか、その態度は? まるで呆れた様な態度ですが?」
「言葉は正確に使いたまえ。呆れた様な、ではない。実際、呆れ果てているのだよ、松代」
そう言ってロッテはもう一度深く溜息。
「君はもう少し頭の良い子かと思っていたがな?」
「……どういう意味でしょうか?」
「お勉強のできる子でしか無かった、という意味だ。なんとも情けないな。君やエリカがアンの親友を名乗るなど烏滸がましいぞ? それなら……もう名前も忘れたが、先程の小娘の方が余程アンを理解しているさ」
「……どういう意味でしょうか?」
「ちょ、それ、どういう意味よ!」
ロッテの言にコズエ、エリカの両名から声が上がる。そんな二人を軽くスルーし、ロッテは視線を再びアンに向けた。
「それこそアンに聞いて見れば良いじゃないか。どうだ、アン? 君は松代の足を引っ張っている自覚があるか?」
そのロッテの問いかけに、静かにアンは首を振る。
「ちょ、杏!」
「杏!?」
縦に。やがて、俯いていた顔を上げたアンの眼は今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
「……だって、そうじゃん」
「杏?」
「だって、そうじゃん! 梢は折が丘だって受かっていたのに、天英館女子に来たじゃん! それって私のせいでしょ? 私が天英館女子しか受からなかったから、こっちに決めたんでしょ!」
「そ、それは……」
「嬉しかったよ? 有り難かったよ? でも……でも、やっぱり悲しかったよ! 本当はもっと良い高校に行けた梢を巻き込んじゃったって、本当に本当に悲しかったよ! 自分が惨めで、自分の不甲斐なさが情けなくて、もう消えて無くなりたいって、そう思ったよ!」
言いながら、ボロボロと涙を零し。
「……もう……ヤだよ……皆に、迷惑かけるの……」
アンの眼から零れた涙が、テーブルの上のクロスを濡らしそこに小さなシミを作った。
「こういう事だ。自分の責任? 自分の権利? ふざけるな、松代。これはアンの、アンだけの問題だ。君が、君たちがどう思うかは関係ない。アンがどう思い、どう感じているかが重要で、それだけしか問題はない。君たちがどれだけ慰め、君たちがどれだけ大丈夫と言おうが、アンに取ってはそんなもの、何の気晴らしにもならん。これはアン自身がどう考えるか、そういう問題だからだ」
「……」
「……」
「……まあ、君たちの考えも分からんでもない。アンと共にあろうとした君たちの想いは美しいと、嫌味も嘘もなく言いきってやろう。無論、松代の言った様に高校のレベルではなく得難い友と共に過ごす為に進学先を選んだというその意思を否定するものでもない。というか、むしろそれの方こそが素晴らしいと思う。所詮、高校レベルの勉強など自助努力でどうとでも挽回できるからな。必要なら予備校に通うなりなんなりすれば学力自体はなんとでもなる」
教師の言う事ではないが、と笑い。
「環境、という面も馬鹿には出来んが、天英館女子ならその辺りも問題なかろう。なにより、松代は誰かに流される様な性格でも無いしな。だから、アン、松代の言う通り、別に君が松代の足を引っ張っている等と気にする必要はない。彼女は彼女で選んだ。その選択の責任を、君が奪うのは如何なものだろうか?」
「で、でも! 先生も言ったじゃないですか! 私のせいで、梢は天英館女子に……」
「そうだな。どう言い繕おうとその事実は事実だ。だがな? 私が言いたいのはそうではない」
「……そうじゃ、ない?」
「なぜ、折が丘高校に行かなかっただけであれ程悪しざまに罵られ無ければならん?」
「え……っと?」
ロッテが何を言いたいのか分からない。そんな表情を浮かべるアンの視線に、ロッテは自分の視線を合わせて。
「……証明してやれば良かろう? 天英館女子は――『我々』の高校は、それほど悪いモノではない、とな」
そうして、不敵にニヤリと笑う。
「あの小娘が言っていただろう? 偏差値が全てと言うなら、偏差値で捻じ伏せてやれ」
「……え?」
「分からんかね? だから――」
紅茶のカップを片手で持って。
「――叩き潰してやれ。次の模試でな?」




