第二十九話
中川の言葉に、場が凍った様な静寂が響く。そんな静寂の場面をぶち壊したのも、また中川だった。
「だって、そうじゃない? 試合だって体調が悪いなら悪いって言えば良いのに。百歩譲って言わないんだったら言わないんで最後まで頑張るべきじゃない? 高校にしてもそうじゃん。受けるのは杏ちゃんの自由だよ? でもさ? 松代さんだってレベルの高い高校に行った方が良いじゃない。松代さん、もしかして大学まで杏ちゃんに『合わせて』上げるつもりなの? そんなの変じゃない?」
「変か変じゃないか、貴方に言われる筋合いは無いわね。それに、私が杏と一緒に居たいと思って大学を選ぶのよ? 何か問題があるの?」
「問題なんて無いよ? 私的にはむしろラッキーだし。どうせ杏ちゃんの学力なら、私が受ける様な大学を受けれないでしょ? 所詮、天女の子な訳だし? なら、一人ライバルが減る訳だしさ」
「ライバル? 貴方と私がライバル? それこそ、釣り合いが取れないでしょ、学力的に」
中川の言葉に冷たい視線を向けるコズエ。その視線に一瞬怯むも、それでも中川は不敵な笑みを浮かべてコズエを見やった。
「……ま、そうかもね。でもさ? どうせ松代さんは土俵にすら上がらないんでしょ? んじゃ別に問題ないし」
杏ちゃんのせいで、と意地の悪い笑顔を見せて。
「本当に助かるよ、杏ちゃん。わざわざ松代さんの足を引っ張ってくれて。そのお陰で私は自分より優秀な人と志望校が被ることが無いんだもん。一つ席が空くってのはそれだけ受験では有利だし。ホントにアリガトー。もしかしたら杏ちゃんとは親友になれるかも~?」
完全にバカにしきった表情を浮かべる中川の言葉に、エリカが逆上した様に噛みつく。
「アンタね! 何言ってるのよっ!」
「杏ちゃんに対する感謝の言葉だよ? あはは、そんな事も分からないの、大沢さん?」
「何が感謝の言葉よ! アンタ、杏の事バカにしてんの!?」
「バカにはしてないよ? むしろ、バカにしてるのは松代さんの方だし。わざわざレベルの低い子に合わせる必要なんかあるのかな~って思ってるから。ま、それもどうでも良いけどさ~」
そう言ってエリカ、コズエ、そしてアンを順々に見つめた後、勝ち誇った顔を浮かべる。
「何してるか知らないけど、ま、貴方達はそうやって仲良しこよしで遊んでればいいんじゃない? 私、これから予備校に行ってくるから。今度模試もあるし、貴方達と違って私達『折が丘』の生徒は遊んでいられないの。じゃあね~」
ひらひらと手を振りながら、中川は心底楽しそうに――歪な笑顔を隠すように背を向けて街の雑踏に消えて行った。
◆◇◆◇
流石にあんな事があった後、ボランティア活動を継続する気にもなれなかった四人は近場の喫茶店に会談の場を移した。視線を下げるアン、不満そうな顔でドーナツに被りつくエリカ、何とも言えない顔でカップを傾けるコズエの三人を見渡しながら、ロッテが声を掛ける。
「……なんだ、アレは?」
「……」
「……」
「……」
「……流石に黙ったままだと少々厳しいモノがあるのだが」
「……中川凛。私達の中学校の同級生で……まあ、クラスでも有名な『ヤな奴』よ」
渋々、といった感じでエリカがそう口を開く。そんなエリカの仕草を見ながら、ロッテは胸中で小さく溜息を吐いた。
「……まあ、確かに感じの良い人間では無さそうだな」
「感じの良い人間では無さそう? ハッ! あれは『感じが悪い』って言うの! 底意地の悪そうな顔してたでしょ!」
「……まあ、否定はせんが」
「むかっしからああなのよね、アイツ! 自分ちがちょっと金持ちだからって鼻に掛けてお嬢様っぽい顔してさ!」
「……私の記憶が確かならエリカ、お前だって結構なお嬢様じゃなかったか?」
「……そうですね。それで絵里香に喧嘩吹っ掛けて、コテンパンにされたんですよ。絵里香の家の方が全然お金持ちだから。それで……まあ、『ああいう』子なんでそれから何かと絵里香を目の敵にして。お金で勝てないって分かったら今度はスポーツで絡んで来たんですけど……ほら、杏が居るでしょ、こっち? それで杏が今度はバスケ勝負でコテンパンにして」
「……なるほど。最後は勉強で勝負を挑んで松代にコテンパンにされた、と」
「まあ、有体に言えば」
エリカの言葉を引き取ったコズエの説明にロッテも一つ頷いて見せる。まあ、気持ちはわからないでもない。ないが、である。
「……執念深いな、中々に」
「……です。なんで卒業以来、ある意味避けてた所もあるんですが……」
そう言って、チラリとアンに視線を向けるコズエ。
「……バスケでコテンパンにされたからかどうかはわかりませんが……あの子、杏が試合に負けた時に誰よりも喜んでいたんですよ。『杏ちゃん、バスケも出来ないんだったら一体何が出来るの?』って。周りの友達にも楽しそうにそう言って」
「……中々穏やかではないな、それは」
「まあ、杏自体は人気もありましたからそこまで大事にはならなかったんですが……それでもやっぱり、ある程度の誹謗中傷はあったんです。人気者ですが……いえ、人気者だからこそ、その分」
「有名税みたいなものか」
「そうです」
「……ふむ」
コズエの話を最後まで聞くと、ロッテはアンに向き直る。未だに頭を下げて項垂れているアンに優しく、それでも何処か威厳のある声で声を掛けた。
「アン」
「…………はい」
ゆっくりとした緩慢な動作。その動作のまま、顔を上げるアンに対して。
「先程『足手まとい』と言われてバカにされたな」
「……」
「なるほど、確かに松代の成績であればもっと上のレベルの学校にだって進学も出来ただろうし、その方が彼女に取ってメリットだってあっただろう。それをわざわざ君のレベルに合わせて天英館女子を選んだ。なるほど、確かにそういう意味では君が松代の足を引っ張っているとも言えるな」
何時になく辛辣なロッテの言葉に、アンの瞳に涙が浮かぶ。そんなアンの姿を見て『ちょっと!』と声を荒げるエリカを制し。
「……それで、どうする? あれだけ言われっぱなしで……君は悔しくないのかね?」




