第二十六話
「……」
「……」
「……どうしてくれる」
「……いや、知らないし」
「知らないだと!? エリカ、君のせいで!」
アンとコズエが去ってから、しばし。
呆然と二人の消えた先を見つめていたロッテは油の切れたゼンマイ人形のよう、『ギギギ』と音が鳴りそうな程の緩慢な動作でエリカを振り返り、上述の台詞を放つ。いい年をした男性の言うような言葉ではなく――そしてそれはエリカも重々感じているのだろう、面倒くさそうな表情を浮かべて見せた。
「うっさい。つうかさ? イイ大人が何人のせいにしてんのよ。そもそもアンタが最初っから真面目にボランティア部の活動を手伝えば良かったんでしょ?」
「だから――っ! ああ、もういい! 取りあえず私はアンを追う! 君はココで大人しくしてろ!」
言うが早いか座っていた椅子から立ち上がり、未だに座っているエリカを置き去りにせんばかりにアンの消えた雑踏に歩みを進めようとするロッテ。と、その手をエリカが掴んだ。
「離せ!」
「落ち着きなさいよ。『ああ』なった杏には何言っても無駄なの。怒ってるときは無理に言い訳なんかせず、杏が落ち着いたらごめんって謝るのが正解なの」
振り払おうとする腕を強い力で握ったまま、まるで諭すようにそう言うエリカ。そんなエリカに少しばかり呆然として、唖然とした表情を浮かべた後、それを憮然に変えてロッテはエリカの隣に腰を下ろす。
「……どうした? イヤに冷静じゃないか。幼馴染の勘か?」
「勘って言うか、経験? ま、杏や梢とは長い付き合いだしね。あの子も昔は良く怒ってたから」
そう言って髪をかき上げるとエリカは地面に置いていたペットボトルを口に含む。
「今はあの子もあんな感じだけど……ま、昔は色々あったのよ」
「……バスケを辞めた事か?」
ロッテの言葉に、エリカは驚いた様に目を見開いて見せる。
「……知ってたの?」
「松代に聞いた。アンからも……まあ、それとなく、だが」
「そっか」
そうつぶやいて、エリカはもう一口ペットボトルに口を付ける。
「……ま、知ってるんならいっか。昔は杏、結構我が強かったのよ。ああ、別に我儘とかとは違うんだけど……なんていうのかな? こうと決めたら全然譲らないっていうか」
「芯が強いという事だな。ぶれない、と」
「……なんで杏の時だけどそんだけポジティブに変換するのか意味が分かんないんだけど。っていうか、ぶっちゃけちょっとキモイ」
「愛ゆえだな」
「ごめん、訂正する。キモイじゃなくて気持ち悪い」
体を抱くようにして身震いして見せるエリカ。そんな仕草も一瞬、呆れた様に肩を竦めた。
「でもまあ、最近は全然そんな事無くなって来たんだよね。顔色伺うって訳じゃないけど……あんまり主張とかしなくなったんだよね。だからまあ、今日みたいに私に『怒る』って事も随分久しぶりな気がするのよね」
何かを懐かしむよう、そう言ってエリカは目を細める。
「良いか悪いかはともかく、まあ私的にはちょっと嬉しいって所もあるのよね。あんまり自己主張しなかった杏が、昔みたいに言いたい事言えるようなそんな杏に戻ったとすれば……ま、私に取っては嬉しい事なのよ」
「……なるほどな。だからアンが怒っていても冷静なのか?」
「ま、なんだかんだ言ってこんぐらいの事じゃ杏が私から離れて行くわけ無いって思ってるからね。離れて行くんだったらもっと前に離れて行くわよ」
そう言ってペットボトルのお茶を最後まで飲み干すと、空になったペットボトルをバックの中に押し込めた。
「……あんまり言いたかないけど、まあアンがあんな風になったのは先生のお陰かな、とは思ってるのよ。だからまあ……なんだろう? 先生にはちょっとだけ感謝もしてるの」
「感謝?」
「そ。杏は高校上がってからずっと楽しそうじゃ無かったからね。笑ってはいるけど、どっか寂しそうって言うか……目標が無いって感じでさ。でもここ最近、ちょっとずつ昔の杏に戻って来た気がするから」
「……そうか」
「ま、時間が解決する類の問題でもあったんだろうけど……でも、それでも私や梢の二人じゃどうしようも無かった事を為してくれた先生には……正直悔しい気持ちもあるけど、それでもちょっとだけ、感謝もしてる」
照れくさそうにそう言ってそっぽを向くエリカ。その姿に、ロッテの目じりが下がった。
「……幸せ者だな、アンは」
「そう?」
「そうだろう。君や松代の様な得難い友人を得たんだ。幸せ者以外の何物でも無かろう?」
「うへー。先生にそう言われるとなんか気持ち悪いんですけど?」
「素直に受け取って置け。褒めているんだぞ、珍しく」
「だからそれが気持ち悪いんだって」
苦笑しながら、それでも『よいしょ』とおじさんの様な声を上げてエリカが立ち上がると、見下ろすように視線をロッテに向けた。
「さ、先生? それじゃ杏の機嫌を直す為にも真面目にボランティア活動にでもいそしみましょうか?」
「……ふん。仕方ないな」
軽口を叩きながら、ロッテも椅子から立ち上がり募金箱を手に取る。そうして、視線を駅の改札口に向けて『募金お願いします』と声を出そうとしたところで。
「――あれ? もしかして、大沢さん?」
そんな声が、ロッテの耳朶を打った。




