▲5話
「ロッテ、居るか?」
何時もの様に執務室で筆を取っていたロッテは、ノックもせず、ごくごく当たり前の様に入って来る男性に思わず眉を顰める。
「これはこれは。この様な所へ何の御用ですかな?」
顰める、ような事はせずに、そのまま執務机から立ち上がると片膝を突いて臣下の礼を取った。そんなロッテの仕草に鷹揚に片手を振って部屋に入って来た男性――フレイム王国王太子、ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムは言葉を継いだ。
「楽にしろ。急に訪ねて来たのはこちらだ。それより、少し所用があってな。どうだ、ロッテ? これから俺の部屋に来れるか?」
「殿下のお誘いとあればこのロッテ、何を差し置いても馳せ参じる次第では御座います。御座いますが……」
そう言って、ゲオルグの言葉通りに臣下の礼を解きロッテは突いていた片膝を上げてジロリとこの敬愛する主君を睨む。主君にする態度ではないが、ゲオルグは気にした風もなくロッテの言葉の続きを待った。
「……殿下、何度も申し上げている通り、貴方は次期フレイム国王になられる御方です。わざわざ臣下の部屋を訪ねる事などせず、側仕えの者でも寄越せば宜しいでしょう」
「相変わらず口煩い奴だな。私のする事に一々文句を言うのは不敬だぞ、ロッテ?」
「これは失礼。ですが、殿下? 殿下が仰ったのですよ? 『悪い所があれば、遠慮なく指摘をしろ』と」
ロッテの言葉に、ゲオルグは降参の意を示すように両手を挙げて肩を落として見せる。
「……分かった。だがな、ロッテ? 一つ訂正させて貰おう。俺だって、誰にでもこの様に接する訳ではない。お前じゃ無ければ臣下の部屋をわざわざ訪ねようとは思わんさ」
そう言って肩を竦めて見せるゲオルグに、ロッテは小さく溜息を吐く。
ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイム。
フレイム王国第五十代国王、エーリッヒ・オーレンフェルト・フレイムの長子にして、次期フレイム国王の最有力候補。誰あろう、閑職に落とされて無駄飯を喰らっていたロッテを引き上げてくれた張本人で――そして、恩人でもある。
「……分かりました。それで? 殿下のお部屋にお邪魔するのは良いのですが……一体、なんの用ですかな? 時間が掛かりますか?」
「そう手間は取らせないし、内容については来れば分かる。用事が無いのなら行くぞ」
まるで、嵐の様。要件だけをさっさと伝えると、ロッテの返答も聞かずにゲオルグは背を向けて歩き出す。慌ててその背を追い、斜め後ろ、失礼にならない程度の距離まで足を進めると黙ってその背中を見つめながらロッテは歩みを進めた。
「何も聞かないのか?」
「来れば分かる、と仰ったのは殿下ですぞ? ならば黙って付いて行きましょう」
ロッテのその言葉に、ゲオルグが小さく喉奥を鳴らす。
「流石、ロッテ」
「はい?」
「他の臣であれば喧しく問いかけるからな。何処に行くのですか、何をするのですか、どの様な御用でしょうか、とな。五月蠅くて敵わん」
「……殿下、普通はそうなのですよ? 誰だって急に殿下に『部屋に来い』と言われれば、少しぐらいは情報を仕入れようとするものです」
「ならば、ロッテが普通ではないという事だな。普通でない俺と、良いコンビではないか」
そう言ってもう一度ゲオルグはおかしそうに笑い、視線を前に向けたままで言葉を継いだ。
「時にロッテ。ファンデルフェンドを知っているか?」
「ファンデルフェンド……というと、ラルキアから南に高速馬車で二日程ある、あのファンデルフェンド領の事ですか? ノーツフィルト領の隣の……子爵位の?」
「そうだ」
「知っているも何も……殿下が先月、表敬訪問された領地ではないですか。誰があの計画を立案したか、殿下はお忘れですか?」
フレイム王国の景気は決して芳しくはない。国家の最も大事な仕事の一つは、国民全員に職と、その日の糧を与える事にあるが、現状ではそれも儘なっていない。尤も帝国から王国に看板を掛け変えて以来、数百年慢性的に財務状況は良くは無いのだから、ある意味ではそれが常態とも言えるのではあるが。
「そうだったな。あの計画を立案したのはロッテだったな」
「ファンデルフェンド、ノーツフィルトの両家は海沿いに位置し、交易にて財を為しております。これも、ご説明申し上げたと思いますが?」
「覚えている。慢性的な赤字体質のフレイム王国とは違い、あの二つの領地にはまだまだ余裕がある。だから、今度の国債の引受を内々に依頼しに行け、だろう?」
「行け、とは言っておりませんが……ですが、まあそうですね。折角の王太子殿下ですから。使えるものは使わないと勿体ないです」
「……俺を小間使いに使うのはロッテ、お前ぐらいのモノだよ」
「不敬ですかな?」
「いいや。使えるものはなんでも使う姿勢は嫌いではない。私が頭を下げる程度で国家の財政が潤うなら幾らでも下げてやろう。尤も、王太子の内は、と注釈は付くがな」
「国王陛下に即位為されれば私も無駄に頭を下げてきて下さいとは言いません。それはともかく……それで? なにか事件でもありましたか、ファンデルフェンド領で?」
「……」
「……殿下?」
「あー……事件と言う訳では無いが……」
そう言ってゲオルグは小さく息を吐くと、少しだけ迷う様に中空を見つめ、その後ポツリと言い難そうに声を漏らした。
「あー……その、なんだ? 実は、だな? その……ファンデルフェンドの家に、だな? その……一人の淑女が居てだな? その……ええっと……」
どちらかと言えば歯に衣を着せずに言いたい事を言うゲオルグらしからぬ、奥歯に物が挟まった様な物言い。長い付き合い、何が言いたいかを概ね察知したロッテは忠臣らしく先回りしてゲオルグの言葉を引き出す事にした。
「……お名前は?」
「…………リーゼ。リーゼロッテ」
「……リーゼロッテ……ああ、確かにファンデルフェンド家におられましたな。確か、年が……二十? 二十一?」
「……俺の三つ下だから、二十二歳だ。その……笑顔が素敵な、とても優しい人でな……料理も上手くて……その、か、可愛らしい人なんだ」
少しだけ照れた様に、そう言って見せる。
「……ふむ」
いつの間にか足を止め、こちらを窺う様な表情を見せるゲオルグ。その姿に、ロッテはしばし瞑目して腕を組む。一瞬とも、永遠とも取れる時間の果てにゆっくりとロッテが目を開けた。
「確認ですが……よもや、正室として迎えたい、という話では無いでしょうな?」
「……冗談を言うな、ロッテ。正室はラルキア王国の王女を迎え入れる事で既に決着が付いているだろう? その……側室で、だ」
「……ファンデルフェンド家の子女はリーゼロッテ様だけでしたな?」
「そうだ。ファンデルフェンド子爵は連れ合いを早くに亡くされて、それから側室も取らずに過ごしておられる。リーゼの事を、目の中に入れても痛くない程可愛がっているらしい。というか、物凄く可愛がってる」
「……」
「……問題があるか?」
「……爾来、国王の外戚が権力を握った例はそれこそ枚挙に暇がありません。そう言った点でもファンデルフェンド家にリーゼロッテ様以外のご兄弟がおられないのであれば、その心配も薄いとは存じます。加えて、ファンデルフェンド家がフレイム王家と縁戚になれば、これから先の国債の引受の見通しも明るいかと」
「そうか?」
「娘の嫁ぎ先ですからな。ある程度の援助は期待できます。特に、目の中に入れても痛くない程に可愛がっている娘であれば」
「……では……良いか?」
「……そうですな。ファンデルフェンド子爵は欲の少ない方とお聞きしておりますし、恐らく問題は無いでしょう」
「ラルキア王国との関係性はどう思う? これから娘を嫁がせようとする先が、いきなり側室を見繕っていたら? 悪化の心配はないか?」
「親としての心象的にはともかく、例が無い事では無いですしな。それに、向こうだってその辺りは重々承知しておられるでしょう。所詮、政略結婚ですし。まあ、『血のプール』は王家に取って大事な仕事でもありますから、正面切って文句をいう事は無いでしょう」
「……そうか。では、問題はないな?」
「ですが、殿下? お忘れなきように。正室はあくまでラルキア王国の姫君ですよ? リーゼロッテ様可愛さに、ゆめゆめ――」
「……それ以上言うな、ロッテ。私とて分かっている」
「――これは失礼を」
「構わない。次期国王だと言っても、中々儘ならないものだが……その点については致し方ないな」
そう言って、ゲオルグは胸のつかえが取れたような表情で快活に笑う。その表情に安心と……そして、少しの呆れを込めてロッテは肩を竦めた。
「殿下。不敬ながら、この程度の案件であればご自分でご判断出来る事でしょうに。わざわざこのロッテめにお聞きになられなくても」
「そう言うな。俺も概ねで問題は無いと思っていたが、俺一人の判断だけでは誤る事もあるからな。言ってみれば答え合わせだ、これは」
「そうでございますか」
「後、純粋にお前にも賛成して欲しかったと言うのもある。リーゼを側室で迎える以上、王城内で顔を合わせる事もあるだろうから、あまり良く思っていなかったらお互いに――」
そこまで喋り、口を閉じる。そうして、少しだけ照れた様に頬を掻いて見せた。
「――まあ、単純にお前に祝福して貰いたかったんだ。お前に反対されても諦めるつもりは無いが、それでもやっぱりお前には賛成をして貰いたかったんだ。言ってみれば、お前は私の師匠の様な物だしな」
「……有り難き幸せに存じます」
「これからも頼む、ロッテ」
「はい。この命に変えましても」
余程照れ臭かったのか、耳を赤くしながらソッポを向くゲオルグ。一回り以上下の、この若き主の信頼に、ロッテの中で少しだけ温かいモノが流れ……そして、気付く。
「殿下? 話はこれでお終いですか?」
部屋に来い、と言われたので付いてきたが、既に話は終わった感がある。そんなロッテの視線に、ゲオルグが『うっ』と言葉を詰まらせてもう一度ポリポリと頬を掻いた。
「……その、だな? 先程はあれ程偉そうに言ったのだが……」
「言ったのだが?」
「……実は、断られたんだ」
「…………は?」
「ファンデルフェンド子爵に。『恐れながら殿下、殿下はこの度華燭の典を迎えるとお聞きしております。その様な状態で、我が娘が輿入れなどしたらフレイム王国に取っても良きことにはならんでしょう』とな」
「……」
「……リーゼにも言われた。『殿下、失礼ながら『側室』で来いとは些か私の事を馬鹿にしているのではありませんか?』と、まるでゴミを見る様な目でな」
深い――本当に深い、溜息。
「……なあ、ロッテ? 俺、王太子だよな? こんなにすげなくフラれるのか、王太子って」
「……不敬ですな、流石に。なんでしたら、リーゼロッテを召し上げますか? 罰則の意味も込めて」
「それは止めて置こう。そんな事をしたら、今後ファンデルフェンドに国債の引受を頼みにくくなるし……なにより、私は権力や地位でリーゼロッテを手に入れたい訳では無い。リーゼロッテに、自身で納得して、このラルキア城に来て貰いたいのだ。私と共に人生を歩んで欲しいんだ」
「……ふむ」
「だから――と、着いたな」
喋りかけたゲオルグは自室……真の意味でのプライベートルームであるその部屋の扉を開ける。流石は王太子殿下の私室、絢爛豪華な装飾品や絵画の数々が王城内でも一、二を争う大きさのその部屋に納められて――
「よー、ロッテ。遅かったな~」
――なぜかその部屋の真ん中のテーブルの椅子に腰掛けたカールと目が合った。
「……なにをしている、貴様は」
「うん? いや、殿下がちょうどロート商会を呼ぶって言ってたからよ? ついでに俺も嫁さんの――エレナの分も見繕って置こうかなって思ってな? 来月、アイツ誕生日だし」
「仕事はどうした、仕事は!」
「次期国王の居室に出入りの商人が来ているんだぞ? 護衛だよ、護衛。これも立派な仕事だって」
何でもない様にそう言って、カールがロッテから視線を外す。その時、ようやくロッテはテーブルの前に座った年若い青年の二人組と、机の上に所狭しと並べられたアクセサリーが目に入った。
「……殿下?」
「ロート商会の次期会長であるアントニオと、その弟のエンリケだ」
言われ、小柄な青年が恐縮し切った様子で頭を下げ、大男の方はそれ程でもなく、それでも幾ばくか緊張した様子で頭を下げた。
「……私は王府で次長職を拝命しているロッテ・バウムガルデンだ。それで……」
一息。
「……なんですかな、これは?」
「先程も言ったが、こっぴどくフラれたからな。リベンジも兼ねて、今度もう一遍、ファンデルフェンド領に行く。その時の為に、リーゼロッテに贈り物を見繕って置こうと思ってな。ああ、心配するな。きちんと私財から出す」
「いえ、それは心配していない……というか、国家財産から出すなどと言われれば是が非でも止めますが……」
ジトッとした目をロッテはゲオルグに向ける。
「…………物で釣る様な姿勢はどうかと思いますが?」
「ぐぅ! せ、正論を……だ、だがな、ロッテ? アクセサリーを贈ると言うのは別段、物で釣ろうとしている訳では無い! これは……そう! 私の『想い』を受け取って貰いたいからだ! 別に物で釣ろうとか、そういう意味ではない!」
自身でも思う所があったのか、なんだか無駄に焦ってそんな事を言うゲオルグに少しだけ呆れた様に『はあ』なんて返すロッテ。まあ、ゲオルグがそれでイイなら良いかと思い直し、その後テーブルの上に所狭しと並べられたアクセサリーに歩みを進める。
「……ほう。良い品だな。これは、ハインリヒ殿の作品……ん? いや、待て。何処となく繊細な印象を受けるが……ハインリヒ殿、作風が変わったか?」
ロート商会現会長、ハインリヒは当代きっての一流の装飾品職人だ。母が気に入って付けていた指輪より、少しだけデザインが洗練された様に見えるその指輪を見つめるロッテに、目の前で並んだ兄弟が顔を見合わせた。
「……へえ。王府の次長って言うから、目利きの能力なんかねーと思っていたけど……違いが分かるんじゃんか、ロッテ様」
「あ、兄上!! た、大変申し訳御座いません、ロッテ様。仰る通り、これは我が父ハインリヒの作品ではありません。これはこの兄、アントニオの自信作です」
不遜な態度でそう言う兄に、慌てて頭を下げる弟。対称的な二人に苦笑を浮かべながら、別段気にした風もなく、ロッテは小さく首を振って見せる。
「不敬だと騒ぎ立てるつもりはないから、気にするな。それに、これでもバウムガルデンの三男坊だからな。ある程度、目利きは出来るつもりではあるが……しかし、これ程の作品をその年で作るか。これはロート商会も安泰だな」
感嘆するようにそう口にするロッテに、横からカールが賛同の声を上げた。
「おう。おめーは知らねーかも知れねーけどな? このアントニオってのはわけー癖に良いデザインを描くんだよ。最近の若い娘はきゃーきゃー言ってるぞ?」
「親父のデザインは確かにすげーと思うけど……でもまあ、今の時代には古くせーとこもあるからな。これからは俺……じゃなくて、私がロート商会のアクセサリーを一手に引き受ける時代が来ますぜ!」
「はん! 偉そうな事言うな、アントニオ。おめー、オンナをとっかえひっかえしてるって評判だぜ? 時代が来る前に、誰かに後ろから刺されるなよ?」
「ちょ、か、カール様!? 違いますよ! 何時も言ってるでしょ! あれは、その、アレです。最近の流行りを把握する為ですってば! 芸の肥やしですよ、芸の!」
「既知か、カール?」
「俺は良く行くからな、ロート商会。有名なんだよ、『悪童』アントニオは」
「カール様! 誤解ですって!」
焦ったように口を開くアントニオに、横から茶々を入れるカール。なんだかんだで愛妻家なカール、伴侶であるエレナに贈る為に足繁くロート商会に通っているのはロッテも知っている。
「なるほどな。いや、だが素晴らしい腕だな。一層の精進を期待する、アントニオ。ああ、女遊びの方では無いぞ?」
「ロッテ様まで!?」
最早味方がいないと云った顔を見せるアントニオを面白そうに見やり、ロッテは視線をゲオルグに向けた。
「この腕は確かでしょう。それで? 私が此処に来た理由はなんですか? 仮に意見を求められているのであれば、申し訳ございません。目利きはともかく、女性の流行についてはあまり私は詳しくありませんよ?」
どちらかと言えば、こういう仕事はカールの方が適任である。そう思い、首を捻るロッテにゲオルグが『にやー』っとした笑顔を浮かべて見せた。
「……カールから聞いたぞ、ロッテ?」
「? カールから、ですか?」
一体何を? と、もう一度首を捻るロッテに。
「『十五歳』、らしいな?」
ゲオルグの言葉に、ロッテが『ピシッ』と音を立てて固まった。
「あの堅物のロッテに、恋人だぞ? いや、これは目出度いと思ってな? 折角だからロッテ、お前もその貴婦人にプレゼントするアクセサリーを選べ。アントニオの腕はお前も認める通り、素晴らしいからな。しかも十五歳の若さならば丁度よい。アントニオのアクセサリーがぴったりの年齢だ」
ニヤニヤとした笑顔を浮かべたまま、首を捻ったままの体勢で固まるロッテの首にゲオルグは腕を回す。
「うーん? ロッテ? さっきお前が言ったんだぞ? 『血のプール』は王族としての大事な仕事だって。ロッテ、お前は王族では無いがこのフレイム王国一の忠臣だと俺は思っている。そんなロッテに子息が生まれれば、フレイム王国も安泰だと思うが……どう思うかな、忠臣殿?」
心の底から愉快だ、と言わんばかりのゲオルグのその言葉で、固まっていたロッテが再起動。視線をゲオルグに向けて……直ぐに逸らし、興味深げにこちらを見つめるロート兄弟から避け、呑気にアクセサリーを見繕っているバカに固定。その視線に気付いたカールが、しばし何かを考える様に視線を中空に彷徨わせる。それも一瞬、ポンと手を打って舌をペロッと出して見せて。
「殿下に喋っちゃった。ごめんね? てへぺろ」
「――――カールぅーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
ロッテの絶叫が、ゲオルグのプライベートルームに響き渡った。