第十八話
「オーホホホ! よく来たわね、梢!」
デフォルトで『オーホッホ』なんて笑う少女が一体どれくらい居るのか。そんな疑問を浮かべつつ、コズエはじとっとした目をその少女に向けた。
「……いや、よく来たも何もただ家に帰ってただけなんだけど……っていうか、何してんのよ、絵里香?」
通学路の帰り道。いつもは猫が寝そべっている塀の上で、私立天英館女子高校の制服姿のままで仁王立ちになっているエリカを前に、コズエは首を捻る。そんなコズエに笑顔を浮かべたまま、エリカは言葉を継いだ。
「何してんの、ですって? 貴方を待っていたに決まってるじゃないの!」
「……どうでもいいけど、そんなミニスカートでそんな所に立ってたら、パンツ見えるわよ? その蜂蜜を狙う目つきが怪しいクマさんプリントの」
コズエの言葉に、ポカンとした顔を浮かべたのは一瞬。後、顔を真っ赤にしながらスカートの端を押さえたエリカは、若干涙目でコズエを睨んだ。
「このドスケベ! 地獄に落ちろ! 変態! 死ね!」
「……注意してやった人間にそこまで言うのか、アンタは。っていうか、そんな所にずっと居たらそれこそ変な人と間違われて、職務質問されるわよ? 感謝して欲しいぐらいなんだけど?」
「くう! 減らず口を!」
そう言って地団駄を踏んだ後、やおら顔に微笑を浮かべたエリカはコズエに向き直る。
「ふん! まあいいわ! 私のこの姿を見ても同じ事が言えるかしら!」
そう言うと、エリカは塀の上から高々とジャンプ。三メートル程飛び上がった所で、不意にエリカの体が黒い光に包まれる。
「……」
「ふふふ。私のこの姿を見て驚きで声も出ないようね!」
地上に降り立ったエリカの姿をみて、コズエが絶句して見せる。
「……絵里香?」
「大沢絵里香とは世を忍ぶ仮の姿! 私の本当の名前は……ダーク星からやってきた、ダークナースメイド・セクシーエリカ!」
真っ黒なナース服(もの凄く縁起が悪い)に、真っ白なエプロンドレス(もの凄くミスマッチ)、頭にはとても大きなヘッドドレス(もの凄くアンバランス)を身に付けたエリカを、コズエはただただ呆然と見やる。
「……絵里香」
「だ・か・ら! 絵里香じゃなくて、ダーク星からやってきた、ダークナースメイ――」
「ああ、それはもういい」
「な、何よ! 最後まで名乗らせないよ!」
「ええっと……なに? その格好? コスプレ? つうか、何処が『セクシー』なんだ、このド貧乳」
「ド貧乳言うな! っていうか、コスプレじゃないわ! ダークナースメイドよ!」
「……余計、意味がわからないんだけど。なに? イタイ子? イタイ子なの? 残念だ残念だと思っていたけど、そこまで残念だったの?」
「失礼な事を言うな! 違うわよ! 私は――」
「梢!」
喋りかけたエリカを制する様に後ろから聞こえた声にコズエはゆっくりと振り返る。息を切らして走りよって来たのは。
「梢! 大丈夫?」
アンだ。いつも通りの天英館女子高校の制服を着こんだ彼女に、半眼を向けて。
「……だいじょうばない」
「え!? 絵里香に何かされたの!?」
「いや、物理的にはダメージを受けていないけど……精神的にダメージを受けたと言うか……」
「何ですって! 絵里香……貴方……梢に使ったわね! ダークヒストリアを!」
「……なにそれ?」
「幼少時代の過去の傷を穿り返すっていう上級精神攻撃魔法よ!」
「………………は?」
「よく、親戚のおばちゃんとかが使うわ! あと、結婚式の時にスピーチを任せた友人代表なんかも優れた使い手ね!」
「……ああ、『黒歴史』の事?」
「『これ、絶対ウケる!』とか思って新郎の過去話を喋ったら、会場ドン引きになって友人自身にも跳ね返る可能性もある、正に諸刃の剣! 素人にはお勧めしない!」
「……」
「……そんなダークヒストリアを……良くも梢に! 許せない!」
「いや……そんな攻撃はされてないんだけど……」
梢の言葉もどこ吹く風、アンはきっとした視線をエリカに向ける。
「貴方、どんなダークヒストリアを使ったの! 小学二年の時、『私、将来はお兄ちゃんと結婚します』って、淡々と作文発表した時の事? 絵里香の家のお泊り会で、夜に梢が『お兄ちゃんが居ないよ~』って鼻水たらしながら泣いた事? 小学校五年の時に、夏休みの自由研究で『理論上は可能なのよ、アインシュタインによれば』ってタイムマシーンを作ろうとしたこと? それとも小六の体育のバスケの時に、顔面にボールが当たって鼻血を出した事? それとも……」
「待って、杏。貴方が今、ダークヒストリアを絶賛発動中よ。そしてダークヒストリアの優秀な使い手には幼馴染を加えるべきだと私は思うわ」
主に精神的に大ダメージを受け、死んだ魚の様な目をしたコズエに対しアンが寂しそうに眼を伏せる。
「……ごめんね、梢。こんな事に巻き込んで」
「うん、私、完璧に巻き込まれ事故だよね、これ?」
「ごめん。本当に……ごめん」
「うん、だからさ? 謝るぐらいならやらなければ良いんじゃないかと私は思うんだ?」
「絵里香……いいえ、セクシーエリカ! 梢をこんな目に合わせて、許せない!」
「いや、主に私のダメージは貴方からだからね?」
「今日こそ決着を付けるわ!」
「いや、だからさ? ちょっと話をき――」
「とうぅ!」
そう言うと、アンも高々と宙を舞う。こちらも三メートル程飛び上がった所で、体を光らせた。
「……梢」
「……」
「……貴方に……梢に、この姿を……見せたくなかった」
「……同感ね。私も幼馴染のそんな姿を見たくなかった」
今日何度目かの呆然で、いつもより少しばかり短いスカートに、子供の頭ほどありそうな大きさな髪飾り、足元にはニーソックスとブーツを履いて、手にはカラフルなステッキを持ったアンの姿を見やるコズエ。赤と白を基調としたその衣装はどことなく『巫女さん』を連想させるが……ともかく、そんな事はどうでも良いぐらい、言葉もない。
「……絵里香! 今日こそ……今日こそ決着をつけるわよ!」
そう言って、エリカに向かって飛び上がろうとするアンの襟を、思いっきりコズエが引っ張った。
「痛い! 今、首がグキってなった!」
「あ、ああ、ごめん」
「もう……それじゃ、コズエ。私……行くわ!」
「うん、ちょっと待とう? 『私……行くわ!』じゃないわよね? 普通、少し状況を説明してから行かない?」
「えー」
「えーじゃない。杏?」
「『杏』じゃないわ……私は……シスター星からやってきた魔法少女、プリティ・リズよ!」
「……突っ込みたい所が山ほどあるんだけど。なに? 突っ込んだら負けるゲームなの?」
「手短にしてよ」
「あ、そこは律儀に付き合ってくれのね……取りあえず、なによ? 魔法少女、プリティ・リズって」
「シスター星からやってきた、正義の魔法少女よ!」
「魔法少女なのよね? 巫女さんじゃ無いのよね? じゃあなによ、その衣装は? 明らかに巫女さんに寄せてない?」
「いや、でも……人気でしょ? 魔法少女も、巫女も。一粒で二度美味しいわ」
「やり方があざとい。あと、何よ、シスターって。どの辺に修道女の要素があるの?」
「あ、そっちのシスターじゃない。妹のシスター。最近、『義妹』と書いて『いもうと』って読ませるの人気でしょ?」
「いちいちやり方があざといわよ。それじゃあ何? シスター星は妹だらけの星だとでも言うつもり?」
「ああ、そっちは修道女の方よ」
「面倒くさいわよ! この上なく面倒くさいわよ! 大体なによ、シスターって! 人気か! ……いや、人気は人気なんだろうけど……じゃなくて! そこまであざといなら、CAとかメイドさんとかあるでしょうよ、他にも!」
「『そこに一部のマニアが居る限り、我々は見捨てる事は無い!』って死んだじっちゃが力説してた」
「貴方のおじいちゃん、生きてるから! 勝手に殺しちゃだめ!」
「もう! ともかく……梢?」
そう言って悲しそうに微笑むアン。
「――貴方に、この姿を……見られたくなかった」
「いや、無理やり感動系に持っていこうとしてるみたいだけど、無理だからね? 私、この状態で泣けないからね?」
「……それでも、私はやらないといけない! 絵里香を……いえ、セクシーエリカを倒さないと! この国に未来は無いわ!」
「……あの頭悪そうな奴のせいで、この国はピンチなの?」
「セクシーエリカを馬鹿にしてはいけないわ! 彼女は……この国に眠る秘宝、『ルミア』を狙っているの!」
「……『ルミア』?」
「この国の根幹をなす、奇跡の鉱物よ。ルミアが無くなれば……この国は滅ぶわ」
「……ええっと。そんな重要な鉱物なの? そのルミアとかっての」
「……ええ。この国で最も流通している硬貨に使われている鉱物よ」
「……アルミの事か! アルミで国が滅ぶ訳ないでしょ!」
「滅ぶわ! 『ルミアを笑う者は、ルミアに泣く』コレこそがその証左でしょ!」
「ルミアじゃない、一円よ! 確かに言うけど!」
「セクシーエリカは、ルミアを強奪する為に、日夜ドブの中を漁ったり、目を皿の様にして道を見つめ続けたり……そうやってこの国から少しずつルミアを奪っていったわ!」
「小さい! 余りにもスケールが小さい! それは、確かに少しずつだ!」
沈痛な――色んな意味で沈痛な表情で頭を抑えるコズエ。と、上空から声が響いた。
「……お喋りはそこまでよ、プリティ・リズ!」
「セクシーエリカ!」
「さあ……私たちの長い戦いに決着をつける時が来たわね! 来なさい!」
余裕綽綽な笑みを見せるエリカを睨みつけた後、アンはゆっくりコズエに振り返る。
「梢……」
「……」
「私は……この街が好きだった」
「そう。この街は多分、アンタの事が嫌いだと思うけど」
「……出来れば……ずっと今のままで居たかったのに」
「奇遇ね? 私も出来れば、そんなイタい貴方の姿は見たくなかった」
「でも……私は、戦う!」
「ああ、そう。好きにしてくれる?」
「梢……私たち、住む世界は別でも……ずっと、親友だよね?」
「いますぐ私はアンタとの縁を切りたい」
「ありがとう。梢。梢は……やっぱり、私の親友だね?」
「いや、だからさ? もうちょっと人の話を聞いてくれない?」
「うん……その言葉だけで、私は……強くなれる!」
「……おーい」
「それじゃあね、梢!」
そう言って、すぱーんとエリカに向けて飛び立つアン。
「行くわよ! セクシーエリカ!」
「来なさい! プリティ・リズ!」
そうして、二人の少女の壮絶なバトルが幕を開けた。
◆◇◆◇
「……どうだ? このシーンがクライマックスだ」
そう言って台本から目を上げたロッテの視界に、物凄く微妙な表情を浮かべたアン、エリカ、コズエの姿が映る。そんな三人に少しだけ首を捻るロッテに、代表する様にコズエが手を挙げた。
「……先生」
「どうした? ああ、アレか? 『気持ちはリリカル! 思考はロジカル! 素直になれない私はアイロニカル! 街の平和を愛と勇気とお菓子で守るため、魔法少女プリティ・リズ! 華麗に綺麗に、さっくり参上!』というプリティ・リズの決め台詞が抜けているという話だな? だがな? どうやっても――」
「そうじゃなくて。っていうか、それはこの際どうでも良いんですが」
「――入れれなくて……なに? ではなんだ?」
「この私が絶賛瀕死のダメージを受けているダークヒストリアの部分ですが、ソースは誰発信ですか?」
「エリカだ」
「ちょ、アンタね! 情報ソースは秘匿するのが筋でしょ! なに勝手にばら――こ、梢? や、やだな~。そんな怖い顔しないでよ? ほ、ほら! 梢は笑った顔がいちば――」
「正座」
「――…………はい」
大人しく正座したエリカの顔が、恐怖に引き攣る。向こうを向いているから分かりかねるが、きっと般若の様な顔を浮かべているんだろうとアタリを付け、アンはロッテに視線を向けた。
「……先生? これ、本当にやる……んですね、はい、分かりました」
真剣な目で台本を見つめて赤ペンを入れるロッテの姿に抗議の無駄を悟ったか、アンは小さく溜息を吐いて首を左右に振った。




