第十四話
今日から五月!
エリカやアンのみならず、ロッテですら固まる様なそんな雰囲気。自身で招いたそんな空気であるが、そんな事は意に介さずコズエは言葉を続ける。
「確かに貴方の演技は決して上手では無いわ。でもね? 時間はまだあるでしょう? 諦めるのは簡単だけど、少しは努力をしてみたらどうなのよ?」
「で、でも……そ、そんな事しても……絵里香の方が、じょ、上手だし……」
「まあね。確かに杏が今からどんなに練習しても絵里香には勝てないかも知れない。でもさ? それってそんなに重要なのかな? 別に、お金取って公演する訳じゃないじゃない? 単純なボランティア部の部活動の一環でしょ? 演技が巧かろうが下手だろうが、そんなのそんなに問題になるのかな? 貴方が一生懸命頑張ってやる方が価値があるんじゃないの?」
「……っ……」
「そりゃ、巧ければ巧い方が良いでしょうよ。でも、別に誰もそこまでのクオリティって求めて無い訳じゃない? だったら貴方が頑張って練習した方が良いんじゃないの? ねえ、私が言ってる事ってそんなに間違ってるかな?」
「で、でも! わ、私が……私が主役なんかしたら……し、失敗しちゃうかもだし……」
目を伏せ、ボソボソと喋るアン。その姿にコズエは大きく溜息を吐いた。
「だから、言ってるでしょ? 別に失敗してもイイじゃないって。たかだかボランティア部の部活動よ? そんな事で誰が目くじら立てるのよ? それとも、なに?」
そこまで、喋り。
「――貴方はまだ、怖がってるの?」
「梢っ!」
コズエの言葉に、慌てた様にエリカが音を立てて椅子から立ち上がる。そんなエリカを横目でチラリと見つめ、それでもコズエは――顔面を蒼白にさせたままのアンに言葉を続けようとして。
「わ、私! 帰るっ!」
そんなコズエの言葉を遮る様に、アンが鞄を持って立ち上がると扉に向けて走る。そんな姿を呆気に取られた様に見つめていたエリカだったが、はっと何かに気付いた様に鞄を手に持ってアンの消えた扉に走る。
「梢!」
「分かってる。フォロー、よろしく」
「~~っ!! ああ、もう! 今度びーどろ亭のケーキ奢りなさいよね!」
「お小遣い入ってからね~」
「それで良い! それじゃ!」
続けざまに開けられ、それに閉められる扉。廊下の方から『アン! ちょ、待ちなさい!』なんて聞こえるエリカの声とドタバタと走る足音を聞きながら、ロッテは視線をコズエに向けた。
「……教師として廊下を走るな、と言うべきだろうか?」
「どちらでもいいですけど、多分、意味は無いと思いますよ? 聞こえないでしょうし……聞こえても、言う事を素直に聞く様な子じゃないですし」
「然りだな。それで? 説明はあるのかね?」
「女子高生同士の喧嘩ですよ、ただの」
「ならば、尚の事教えて貰わなければならないな」
「なぜ?」
「女子高生同士がボランティア部の部員であり、そして私がそのボランティア部の顧問だからだ」
「なるほど。聞く権利はある、と?」
「どちらかと言えば義務、だがな。紅茶でも?」
「頂きます」
コズエの言葉に一つ頷き、ロッテは部室備え付けのポットとティーパックで紅茶を二つ入れると一つをコズエの前に、もう一つを持って椅子に腰かける。
「先生手自らの紅茶ですか」
「希少価値は高いぞ。自分で言うのもなんだが」
「本当ですね。自分で言うのもなんですよ、それ」
クスクスと笑いながら、コズエは自身の紅茶に一口、口を付ける。『ほう』という感嘆の息を漏らした後、視線をロッテに向けた。
「……杏と私と絵里香は、小さい頃からの知り合い、所謂幼馴染というヤツです」
「知っている。前にも聞いたな」
「今でもですが、小さい頃から良くお互いの――っていうか、絵里香の家に泊まりに行っていました」
「なぜエリカの家?」
「あれ? 知らなかったんです? 絵里香、社長令嬢なんですよ?」
ロッテの眼が点になった。
「…………なんだと? 令嬢? アレで?」
「……言いたい事は分かりますが……まあ、そこそこ儲かってる会社らしいです。駅前にも何個かビルも持ってるし、家も大きいんですよ。だから、必然的に広い家に……みたいな流れですかね。絵里香のお父さんとお母さんも凄くいい人なんで、私達の事も絵里香と同じように可愛がってくれるし」
話がそれましたね、ともう一口紅茶に口を付ける。
「まあ、そんな訳で正直お互いの親よりもお互いの事に詳しい自負があるんですよ、私達は。そして……まあ、別に狙った訳じゃないですけど、三人それぞれが『役割』を持って行動してたんです」
「役割?」
「絵里香が熱血なリーダータイプ。私がクールな参謀タイプ。杏が――」
そこまで喋り、コズエは視線をロッテに向ける。
「――杏はなんだと思います、先生?」
「……そんな二人を宥めるバランサータイプ、か?」
今のアンを見れば良く分かる。エリカとコズエが喧嘩をしている所を『まあまあ』と宥める役割がアンには良く似合い、そう思って口にするロッテにコズエは首を振る。
「はずれです。正解は、『向う見ずに突っ込んでいく』アタッカータイプです。まあ、本当のアタッカーは向う見ずに突っ込んでは行かないんでしょうけど」
横に。
「……信じられんな」
「今でこそ『ザ・女の子』みたいな感じですけど、小学校までは本当に近所の悪ガキって感じでしたよ、杏って」
「それは……ああ、だが、なんとなく分かる気もするな」
アンジェリカもそうだった。向う見ずで突っ走る、そんな『近所の悪ガキ』だったと思いなおし、その懐かしさに少しだけ頬を弛め――そして、気付く。
「……では、なぜアンは今の『アン』の様になったのだ?」
「今でも決して悪くは無いんですが、当時の杏は本当に運動神経の塊みたいな子でした。絵里香のお父さんは社長って言いましたよね? アメリカにも事務所があって、ちょくちょく出張に行ってたんです。それで、良くお土産を買ってきてくれたんですけど……その中に、バスケットボールがありました。ご丁寧にNBAのDVD付きで」
「……」
「杏は直ぐに夢中になりましたね。近所のミニバスのチームに入り、そのまま進学した中学校もバスケ部に入りました。身長こそそんなに高くはないんですけど、持ち前の運動神経とセンスもあって直ぐにレギュラーになりましたし、三年の時は県の選抜チームにも選ばれるぐらいの選手になっていたんですよ」
「……なんというか……凄いな、それは」
「凄かったんですよ、杏は。私達も……少しだけ杏が遠くに行ってしまった様で寂しい反面、それでも嬉しかったんです。なんせ姉妹の様に過ごした子の活躍ですもん。嬉しく無い訳、無いじゃないですか」
「……そうだな」
「試合の度に応援に行ってました。絵里香は大声で杏の応援するんで凄く目立って、一時は『応援団長』なんて渾名も付いてましたし」
「簡単に想像できるな、それは」
「生意気にも『美少女』なんて枕詞がついてやがりました。まあ、そんなこんなで、寂しい反面そこそこ楽しかったんですよ」
そう言って、懐かしそうに眼を細めるコズエ。嬉しそうで、楽しそうで、幸せそうなそんな表情が、しかして少しだけ曇る。
「……杏が三年の最後の大会、私達の中学校は県の決勝まで行きました。次勝てば全国という大舞台、絵里香は張り切っていましたし……私も、柄にもなくテンションが上がっていました。相手のチームもまあ、決勝まで上がってくるぐらいだし弱くはないんですけど……大会直前の練習試合でも危なげなく勝ってましたし、下馬評ではウチの中学校が有利で、普通にやれば勝てる相手だったんです」
「……勝てる相手『だった』?」
「……熱出したんです、杏。39度の」
「……」
「コートに立った杏を見た瞬間、私も絵里香も異変に気付きました。だって、明らかに何時もの杏じゃないんですから。それでも、他の子には笑顔を振りまいて、『いつも通り』に振る舞っていました」
「……黙っていたのか?」
「そうです。杏自身が試合に出たかったのもあるんですけど……それ以上に、皆と一緒に全国に行きたかったんですよ。辛い練習を過ごした仲間と、笑い合いたかったんですよ。皆の笑顔が見たかったんですよ」
そう言って、痛ましそうに眼を伏せる。
「……あの子、昔っから人の喜ぶ事、好きだから……」
「……そうか」
「幾ら下馬評有利だと言っても、杏がそんな状態で勝てる程甘い相手ではありません。それでも試合は一進一退の攻防を繰り広げていました。私達も、杏の体調がおかしい事も忘れて応援していました」
「……」
「……後半が始まってすぐ、ですかね? 相手のボールをスティールした杏が走り出した瞬間、そのままコートに崩れ落ちたんです。熱がある中で無理をし続けた結果でしょうね」
「……それで、どうなった?」
「そこから先は一方的な展開ですよ。控えの選手は杏ほど上手ではないですし、加えてチーム内の柱である杏が倒れた動揺もありました。前半が嘘の様な、ボコボコのワンサイドゲームでしたね」
「……」
「……試合後、杏は泣き続けました。今まで見た事のない、憔悴しきった表情で『私のせいだ』と自分を責め続けました。見ていて可哀想になるぐらい、抱きしめたくなるぐらい……変わってあげたくなるぐらい、後悔しきった表情で涙を流し続けました」
「……そうか。それで、杏は『変わった』のか」
「いえ」
「……なに?」
「バスケ部の面々は本当に良い子ばかりでした。そんな泣き続ける杏を、ずっと励まし、貴方のせいじゃない、むしろ貴方のお陰で此処まで来れたんだから、と慰め続けました。杏の代わりにコートに入った後輩は、むしろ私のせいで済みませんと杏以上に泣き続けていました」
「……恵まれていたんだな、アンは」
「良い子ですから、アンは。幼馴染を見れば分かるでしょう?」
「……コメントに困る質問はするな」
それは失礼、と笑って見せコズエは空になったカップを手に持ってポットまで歩く。
「……だから、杏が変わったのはコレではないです。いえ、正確にはコレも原因の一つですが……でも、それだけじゃないんです。先生、紅茶は?」
「あ、ああ。頂こう」
「それじゃ、はい」
ポットに向かいがてらロッテのカップを貰い、そのまま紅茶を二つ淹れ直し片方をロッテ渡すとコズエは再び自身の席に腰を下ろし。
「――本当に杏が変わったのは、此処からなんですよ、先生」
そう言って、真剣な瞳をロッテに向けた。




