第十一話
悪気は無かった、という言葉が決して免罪符に成りえるとはロッテだって当然、思ってはいない。思ってはいないがしかし、無理やり引っ張られて来られた喫茶店で向かい合って座るこの目の前で不機嫌そうに、或いは照れ隠し気味にそっぽを向く教え子に対して、他に掛ける言葉も見つからず、ため息交じりにロッテは言葉を吐き出す。
「……悪気は無かったんだ」
こんな言葉しか出てこない。
「……」
「……近場の本屋は概ね見たんだ。新しい発見もあるかと思い、少しだけ足を延ばしてみたんだ。そうしたらだな? 駅前で仲の良さそうなカップルを見つけてしまったんだ」
「……」
「……」
「……どこから」
「ん?」
「どこから、見ていたんですか?」
まるで絞り出す様なコズエの言葉。その言葉に、ロッテは本当に気まずそうに眼を逸らし。
「『お兄! 遅い!』のあたりから……だな」
「それ、最初からじゃないですか!」
ガタン、机を蹴る様に立ち上がるコズエ。時間帯もありまばらな店内の客が『なにごとか?』と視線を向けて来るのに軽く頭を下げる事で謝罪とし、ロッテは恨めし気な視線を向ける。
「……座れ、松代。目立っている」
「っ……はい」
しぶしぶ、と言った感じで席につくコズエ。その姿に溜息一つ、ロッテは言葉を継いだ。
「……こう言ってはなんだが、駅前であれ程大騒ぎをしていたら耳目を集めるに決まっているだろう?」
「……そこは見なかったフリをするとか、もう少し大人な対応が出来なかったものでしょうか?」
「……その点は反省するべき点ではある。が、まあ……正直、虚を突かれた感が大きかった。なんだったか……ああ、『ツンデレ』か? まさか、あの様な教科書通りの『ツンデレ』を松代がするとは思わなかったからな」
正気を疑うような光景に思わず反応が遅れた、といった感じだ。色んな意味で『酷かった』と言っても良い。
「だ、誰がツンデレですか!」
「君だ、君。私の目の前に座ってる松代梢、君だよ」
「ち、違いますよ! アレは……」
「アレは?」
「アレは……そ、そうです! 母に頼まれたんですっ! 兄は一人暮らしを始めて心配だから、ちょっと様子を見てきてって! し、仕方なくですよ、仕方なく!」
「わざわざクッキーを焼いてか? 家庭科で作ったと言っていたが、今日は国語、国語、数学、社会、国語、国語だろう? 一体いつ、家庭科の時間があったんだ?」
「ち、違うんですよ! それはですね、え、えっと……」
「……というかだな? あれ程綺麗なラッピングが施されているクッキーを『家庭科の時間に作りました』という戯言で騙されるのか? あんなもの、家庭科の時間に用意できる訳なかろう。普通気付くぞ? むしろそっちに驚いたのだが、私は」
「い、いや……あ、そうだ!」
「……そうだ?」
「あ、ち、違うくてですね! え、えっと……」
一息。
「……あ、あはは~。で、ですよね~? いや、まあね? そうは言っても一応、身内な訳じゃないですか? ただでさえロクな食生活を送っていないでしょうし、そ、それに昨晩、ちょっと小腹も空いたんで、家で作ったんですよ! そ、その余りです、余り! でも、それを言うとですね? あの兄、ちょっと調子に乗るんですよ。『余り? またまた~。俺の為にわざわざ作ってくれたんだろ?』とか、言っちゃったりするんですよ。だからですね? こう、わざわざ作った訳じゃないよ、というのを示す為にも家庭科の時間に作った事にしといたんですよ! ほら、調子に乗られたらウザいじゃないですか~!」
「ふむ」
コズエの言葉に、ロッテは小さく頷き。
「――あれか。『べ、別に貴方の為に作ったんじゃないんだからねっ!』というヤツか?」
正しくツンデレです。本当にありがとうございました。
「ち、違います! ついでです、ついで! 自分の夜食用です!」
「……まあ、君がそう言うなら何も言うまい。しかしあの御仁、勘は鈍そうだが、誠実で真面目そうだ――」
「分かりますか!」
「――な……なに?」
「そうなんですよ! お兄って本当に、真面目で努力家なんですよね! まあね? 確かに、勘は悪いな~とは思うんですよ? でもでも! そんな自分の弱点を正しく理解して、それを補う為の努力を全く怠らないんですよ! なんていうか、努力をする天才っていうか……ともかく、そんな才能を持って生まれたんじゃないかってぐらいの努力家なんです! 確かに、一回で完璧にこなす事は出来ないんですけど、お兄は自分がしたいと思った事は、どれ程時間が掛かっても必ずやり遂げるんですよ! そんな所が凄く格好良くて! しかも、そんな凄いのに全然偉ぶらないで、『まあ、俺は梢みたいに一回で理解出来ないからな』とか言うんですよ! アホかと。バカかと。私みたいな要領だけ良い人間じゃ無くて、お兄ちゃんみたいな愚直なまでのインプット派が最後は勝つんだって、何度も言いたかった――」
「……」
「――こ……と……か……」
「……」
「……」
「……途中、『お兄ちゃん』になっていたが?」
「……ち」
「ち?」
「……ち、ちゃうねん」
「……なぜ、関西弁?」
「ち、違います! アレですよ! 誰だって身内を褒められればうれしいじゃないですか! たとえ愚兄だとしても、ですよ!」
先程までは物凄い笑顔で語っていたコズエの顔が今は羞恥――と、怒りで真っ赤だ。そんなコズエに胡乱な瞳を向けながら、ロッテは小さく溜息を吐いた。
「……不毛な恋愛をしているな」
人の事は言えないが。
「れれれれれ恋愛ってなんですか! 違いますよ! 私は別に、お兄の事なんてなんとも思ってないんですからね! と、とにかく! わざわざ喫茶店に寄ったのはですね! 今日の事はくれぐれも内密にお願いします、とそれが言いたかったんです! そ、それじゃ、帰ります! 失礼します! ごちそうさまでした!」
そう言ってコズエは残っていた紅茶を一息で飲み干すと鞄を手に取り、一礼。そのまま回れ右をして脱兎の如くドアへ向かってダッシュ。後に残されたロッテはコーヒーを手に取り、ポツリと。
「……別に奢るとは言っていないのだが」
机の上に置かれた伝票を半眼で睨んで見せた。
――ちなみに、その夜。
『……ああ、アン? 遅い時間にすまんな。今、少しいいか?』
『ロッテ先生? 遅いってまだ九時じゃないですか。大丈夫ですよ。どーしたんです?』
『いや、不躾で申し訳ないが……松代の兄の事を知っているか?』
『松代の兄……ああ、浩太お兄ちゃんの事です?』
『知っているのか?』
『幼馴染ですよ。小さい頃は絵里香と私と梢、よくお兄ちゃんに遊んで貰ってましたよ?あ! もしかしてロッテ先生、浩太お兄ちゃんに逢いました?』
『いや、逢ったというか……今日、ちょっと遠出をしたらだな? その、なんというか……』
『……ああ、そういう事ですか』
『そういう事?』
『梢と浩太お兄ちゃんに逢ったんでしょ? あの駅、先生の家からちょっと遠いですもんね』
『……探偵か、君は? なぜ分かる?』
『え? だって今日、梢が買い物断って来ましたから。『ちょっと用がある』って、ウキウキした顔で。だから、『ああ、浩太お兄ちゃんに逢いに行くんだな~』って。そしたら浩太お兄ちゃんの大学の最寄り駅、あそこですし』
『……なあ、少し聞くんだが……松代はこう……なんというんだったかな、ああ言うの』
『ブラコンでしょ?』
『それだ。そのブラコンを隠そうと必死だったのだが……』
『……先生も知っての通り、梢って頭の良い子なんですけど……浩太お兄ちゃんが絡むと途端にポンコツになるんです。アレで隠し通せてる、って思ってるみたいですけど……クラス中、みんな知ってますよ、梢のブラコン』
『……ポンコツって』
『まあ、そういう所が可愛いな~とは思うんですけど。あのクールな梢が、絵里香と浩太お兄ちゃんが絡むと熱くなるんですよ』
『アンが絡むと? 君も幼馴染だろう?』
『……なんか、お母さんみたいになります。私、そんなに子供っぽいですかね?』
『放っておけない、という意味だろう。愛されてるな、アン。私にも』
『さらりと最後の台詞で愛を告白しないでください。なんだか少しずつ慣れてきている自分が怖いですので。っていうか先生、良いんですか? 梢と浩太お兄ちゃんに逢ったって事は、梢に『黙っとけ』って言われませんでした?』
『内密に、とは言われたな。だが、承諾した覚えはない。アンに電話するいい口実が出来たと思ったぐらいだ。紅茶を奢らせられたんだ。これぐらいは役得があっても良かろう?』
『……歪み無いですね。梢がブラコンなら、先生はロリコンですか?』
『バカな事を言うな。年下が好きな訳ではない。好きな人が年下なだけだ』
『……ロリコンは皆そう言います。用件はそれだけですか?』
『そんな冷たい事を言うな。そうだ! アン、今日の遠出で美味しそうなケーキ屋を見つけたんだが、どうだ? 今度一緒に――』




