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第十話


 天英館女子高校から電車で五駅。乗降客数がそこそこ多いその駅で、一人の制服姿の少女が所在なさげにスマホをポチポチと弄っていた。時刻は午後六時少し前、何か気になる情報でもあるのか、と思えばさにあらず、視線はおよそスマホには集中しておらず、せわしなくキョロキョロと改札口に向けられている。その表情は切ない様な、ドキドキしている様な、不安そうな――それでいて、抑えきれないワクワクが端々から溢れ出すような……まあ、端的に言って『恋する乙女』そのものの表情である。少女が美少女のカテゴリーに簡単に属する程度には顔立ちの整っている事もあり、電車を降りた男性達……主に、少女と同世代の学生たちの視線が寄せられていた。

「――あ」

 そんな物憂げな彼女の表情が、改札から出て来る一人の男性を目に止めた途端、ぱーっと華やかなモノになる。が、それも一瞬。不機嫌そうな表情にその顔を変化させ、ずんずんと歩みを進めた。

「お兄! 遅いっ!」

「うおっ! あー、びっくりした……って、なんだ。梢かよ。あれ? 学校は?」

「何時だと思ってんのよ! もう授業どころか部活も終わったわよ!」

「部活って……ああ、絵里香と杏と一緒にやってるヤツか。なんだっけ? ボランティア部?」

「そうよ。っていうか、『梢かよ』じゃないわよっ! メール、送ったでしょ! 見て無いの!?」

 少女――まあ、梢だが、梢の言葉に男性がポケットからスマホを取り出す。視線を画面にやって、一瞬『不味い!』という表情を見せた後、申し訳無さそうに頭を掻いた。

「あー……ごめん。マナーモードにしてて全然気付かなかった」

「もう! 折角買い物断って来たのに! バカ!」

「ごめんって」

「ま、どーせそんな事だろうと思ったけどっ! 取りあえず、ホラ! これっ!」

 そう言って梢は学校の鞄から綺麗にラッピングされた小袋を取り出すと、『はいっ』と少しばかり乱暴に、それでも丁寧に男性に差し出した。差し出された男性は少しばかり首を捻りながらその小袋を受け取った。

「ええっと……ありがと?」

「なんで疑問形なのよっ!」

「いや……え? なんで? 今日、なんか記念日だっけ?」

「別に記念日でもなんでも無いけど……ちょっと家庭科の時間にクッキー作ったから、おすそ分けよ、おすそ分け!」

「いや、おすそ分けって」

「なによ! いらないって言うの!?」

「い、いる! いるからそんなに睨むなよ!」

 男性の言葉に『ふんっ』とそっぽを向く梢。その姿を認めながら、男性は苦笑を浮かべてラッピングを破かないように丁寧に開ける。

「ちょ、なんで今開けるのよっ!」

「いや、ちょっと小腹空いたからな。感想早く言わないとお前、怒るし」

 そう言って男性は小袋から取り出したクッキーを一つ取り出し、口の中に放り込む。止める間もないその早業に――というか、男性の感想を待つために梢は息を呑んで男性の口元を見つめ続ける。しばしの咀嚼の後、ごくりと飲み込んだ男性の喉元を見つめ、梢の喉元も男性と同じようにごくりと鳴った。

「……ん。美味い」

「よ、よか――あ、当たり前でしょ! 誰が作ったと思ってんのよ、このバカ兄貴!」

「悪い悪い。そうだよな? お前、お菓子作り得意だもんな」

「はー? 別にお菓子だけじゃないし! 料理だって得意だもん!」

「そうだった。いや、久しぶりに実家に帰りたくなったよ」

「え? 別に帰って来なくていいわよ。お兄の部屋、今は私の部屋になってるし」

「……あれ? お前、ちゃんと部屋あったよね?」

「物置にしてるの! い、いいでしょ、別に! お兄の部屋の方が広かったんだから!」

「いや、広かったって……間取り、一緒じゃ無かった?」

「き、気分の問題よ! 何よ? 文句あんの!?」

「ない! 文句はない! 無いから睨むなって! マジで怖いから!」

 ふんっとそっぽを向く梢に苦笑を浮かべ、男性は梢の頭にそっと手を置いた。

「ちょ、や、止めてよね! 此処、何処だと思ってるのよ! 皆、見てるでしょ!」

「悪かったって。だから、な? あんまり機嫌を損ねるなって」

「べ、別に機嫌なんか損ねて……え、えへへ……損ねて無いし! だから、もう止めてよね!」

 そう言って男性の手を振り払い、梢は男性の視線を避ける様に後ろを向いて――そして、だらしなく緩み切った頬を必死に手で上下左右に捏ねる。ようやっと元の表情に戻ったか、視線を男性に戻し、再び睨みつけた。

「それより! お母さんに聞いたよ? お兄、またバイト増やしたんだって? 大学生でしょ? ちゃんと勉強してるの! お兄にバイトさせる為に大学に行かせたんじゃないんだからね!」

「……いや、別にお前に大学に行かせて貰ってる訳じゃないんだが……まあ、ほら? 俺も今年で三回生だしな。単位の終わりも見えて来たから、ちょっとバイトを増やしたんだよ。何かと物入りだし」

「……物入りって何よ? なに? まさか女性関係とか言うんじゃないでしょうね? なに? か、か、彼女でも出来たとか言うんじゃないでしょうね?」

「ちげーよ! つうか言わすな!」

「ふ、ふーん! お兄、まだ彼女も出来ないの? まあ? お兄なんて真面目が服着て歩いてる様な人間だし? そりゃ、彼女なんて出来ないよね~?」

「……今日一のイイ笑顔を浮かべやがって……はいはい。どうせ俺はつまんない人間ですよ。悪かったな」

「べ、別につまんない人間なんて言ってないでしょ! ともかく! んじゃなんでバイトなんて増やしたのよ?」

「もうちょっと先だけど、就活もあるしな。何処まで行くか分かんないけど、まあ交通費とかホテル代も必要だろうし、ちょっと多めに用意してんだよ」

「ほ、ホテル代!? まさかお兄、関西の方の会社受けるつもりなの!?」

「まあ、一応候補にはある。金融系中心だけど、関西には結構大きな銀行もあるしな」

「関西なんてダメだよ! たこ焼きとウスタソースしかないんだよ、関西には!」

「……関西人に怒られろ。なんでもあるわ、関西には。まあ、そうは言っても第一志望は住越銀行だしな。関西にもあるけど、本部機能は東京だし……支店も多いから、出来りゃ最初は実家から通えれば最高なんだけど……」

「い、いいね! それ、イイよ! そうしなよ、お兄!」

「いや、でも俺の部屋がないんだろ、実家? だからまあ、一人暮らしは継続かな~とは思ってるけど……色々面倒くさいんだよな。食事とか掃除とか」

 男性の言葉に、梢の顔に分かりやすい『絶望』が浮かぶ。が、それも束の間、梢の頭にピコーンと電球が浮かんだ。

「も、もう! し、仕方ないな~。ま、まあ? そうなったら私がお兄と一緒に住んであげるよ! ちょうど私も大学生になるし? 私、料理も掃除も得意だし!」

「……どこの世界に女子大生の妹と二人暮らしする社会人がいるんだよ」

「別にいいじゃん。なんの問題もないわよ? お金だって浮くし」

「そりゃそうだけど……つうか、お前だってイヤだろうが。彼氏だって家に呼べねー……なんだよ? なんでそんな不満そうな顔するんだよ?」

「………………べつに。まあ、そんな事はどーでもいいわよ。とにかく、ホラ! さっさと行くわよ!」

「は? 行く? どこに?」

「お兄の家に決まってんでしょ! なによ? わざわざ私がクッキー渡す為だけに来たとでも思ってんの!?」

「え、ええ? 違うのかよ?」

「お母さんに頼まれたの! 『きっと浩太はロクなモノ食べてないだろうから、梢? アンタちょっと料理でもしてきてあげて』って! だから、料理しに来たの!」

「いや、イイよ! 別に料理なんかして貰わなくても!」

「はああ? 折角来て上げた妹になんて言いぐさよ! それとも、なに? 料理、ちゃんとしてるとでも言うの?」

「い、いや、料理はしてないんだけど……その、済まん。今日俺、バイトなんだ?」

「…………は? ば、バイト?」

「そう。バイトなんだ――」

「嘘ばっかり! 今日、シフト入って無い日でしょ!」

「――よ……なんで俺のシフトを知っているのかは、まあ置いて置く。いや、ちょっとバイト先の先輩が急用出来て欠勤なんだよ。そのピンチヒッター」

「聞いてないわよ、そんなの!」

「……いや、そりゃ確かに言ってないけどさ」

 明らかにずーんっと落ち込んで見せる梢。その姿に胸を痛め――まあ、若干『仕方ないな~』と言わんばかりの微苦笑を浮かべて、男性はもう一度梢の頭に手を置く。

「……折角来てくれたのに悪かったな? どうだ? 今度の土曜日にでも、遊びに来ないか?」

「……なによ。折角、折角、遊びに来たのに。お料理、一生懸命作って、お兄に美味しいって言ってもら――……え?」

「いや、だから土曜日。今日の埋め合わせも兼ねて、昼は奢るからさ。晩飯、作ってくれよ? ダメか?」

「……? ……?? ……っ!!!! し、仕方ないわね! 土曜日は予定があったけど、お兄がそこまで言うなら、き、来て上げるわよ!」

「いや、別にそこまで言ってはないんだけど……」

「そこまで言うなら! あ、で、でも! 私の予定にも付き合ってよね! ちょっと服見たかったから、一緒に行ってよ! デパートで勘弁してあげるから!」

「はいはい。なんだ? 夏物か?」

「そ。そろそろ出始めるからさ。ちょっと見ておきたいな~って」

「そっか。ま、バイトで懐も温かいからな。そんなに高くないモノなら買ってやるわ」

「……え? い、イイの!? ほんとにイイの!? お兄が私にプレゼントしてくれるの!?」

「うぉ! 食いつきが良すぎる! なんだよ? お前、金欠か?」

「そ、そうじゃないけど……で、でも! じ、自分のお金を使わなくて済むんだったら、そ、その方が良いじゃない?」

「……まあ、否定はせん。それじゃ土曜日……ええっと、どうする? 此処で十時くらいで良いか? 買い物行くんだったら、駅前の方が便利いいだろ?」

「ま、待ち合わせ!! う、うん! それでイイ!」

「それじゃ――っと、やべ! 済まん、梢! もう時間がヤバい! 詳しい事は後でメールするから!」

「う、うん! お兄、バイト頑張ってね!」

「さんきゅ!」

 そう言って、梢に背を向けて走る男性。その姿を、胸の前で小さく手を振りながら見えなくなるまで見送って、胸の中に溢れる暖かい感情に口元を綻ばしながら梢が帰りを急ごうと後ろを振り返って。




「「……………………あ」」




 ――手に本屋のロゴの入った紙袋を持ったロッテと、目があった。


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