第九話
余りにも空気が――まあ、ロッテとエリカのせいではあるが、余りにも空気が重い部室の中、キリキリと痛む胃を抑えながらアンは無理やりに顔に笑顔を貼り付け見渡すように室内を睥睨して見せた。
「えーっと……ロッテ先生登場! で話が途中になっちゃったんで話を戻すね? 今回ボランティア部に付属の保育園から依頼が来ました。新年度のお楽しみ会で何か劇をして欲しいっていう話です。日時は……ええっと、再来週の日曜日。今回はこの依頼を受けようと思うんですけど……いいです、ロッテ先生?」
「ああ、無論構わないさ」
「ありがとうございます。それじゃ早速演目を決めようかと思うんですけど……何が良いかな? なんか案があるひとー」
そう言ってエリカとコズエ、二人に視線を送るアン。そんなアンの視線を受けて、エリカが勢いよく手を挙げた。
「はいはーい! どうせやるならさ? こう、『感動』みたいな? 話が良いと思うのよね?」
「感動?」
「そ、感動! なんか見た後に、ほっこりするって言うかさ? 『ああ、いい話だった』みたいな、そんな気持ちになる様な演目!」
「あー……なるほどね。んで? 絵里香は何が良いと思うの?」
アンの言葉にエリカが一つ頷く。
「私、『賢者の贈り物』が良いと思うのよね! あれ、感動するしいい話でしょ?」
ニコニコとそんな事を言って見せるエリカに、コズエが溜息を吐いて見せる。
「アレ、クリスマスの演目でしょ? 今の時期じゃないんじゃない? まあ、確かにイイ演目ではあるとは思うけどさ」
「えー! でもさ、でもさ? あれ、凄くいい話じゃない? 私、感動したもん! 胸がきゅんきゅんしたわ! 先生達も好きじゃ無い、ああいう話?」
「……O・ヘンリーも女子高生にキュンキュン来たと言われるとは思ってもみなかったでしょうよ。まあ、いい話だと思うし、短編って考えは悪くないけど……同じヘンリー短編なら『よみがえった良心』とかが良いと思う。寓話的な話だし、感動もある上に情操教育になると思うんだけど」
「なにそれ?」
「『よみがえった改心』とも言うわね。ざっくり言えば金庫破りが改心して真面目に生きるんだけど、人の為にもう一度金庫破りする話。今度短編集貸すから、読んでみなさいな」
「ん、分かった。なんか面白そうね! きゅんきゅん来る?」
「……人による、としか。っていうかその『きゅんきゅん』って止めてよね? なんか頭が悪そうに見えるから」
「えー!」
ぶーたれながらも少しだけワクワクした様な表情を見せるエリカの姿に、アンの頬が少しだけ緩む。その表情そのまま、ロッテに視線を向けた。
「どうです、ロッテ先生?」
「寡聞にしてその短編を知らないので判断のしようが無いが……面白いのか、それは?」
「面白いのは面白いですよ。どっちかって言うと道徳的な話ですが」
「ふむ」
アンの言葉に、しばし視線を中空にさ迷わし。
「…………本当に面白いのか、それは?」
「……え? お、面白いですよ? 本当に、いい話ですし」
「質問を代えよう。それは『園児』に取って、本当に面白い話か?」
「そ、それは……」
「別に道徳的な話がいけない、というつもりはないが……保育園児とはまだほんの幼い子供だろう? そんな子供に道徳的な話をして理解出来るのか?」
「え、ええっと……」
「なんだろうな? 君たちは本当に『園児』の為の劇を選んでいるのか? いや、別に構わんが……先程から聞いている限り、『園児』の為の劇というより、自分たちがただやりたい事を考えている様に思えるが? 感動? 情操教育? それを園児が求めているのか?」
「……」
「ボランティア、というより奉仕活動全般に言える事だが、基本は『望む人に、望むことを』だ。無論、善意を否定するつもりは毛頭ない。無いがしかし、食料が無くて困っている熱帯の国の人に冬物のオーバーをプレゼントしてもそれになんの意味がある? 自己満足以外の何物でも無かろう? 君たちのしている事はそれと同じではないか、と思うぞ?」
「そ、そんなつもりは無いです! その、本当に……」
「……済まん、少し言い過ぎたな。だがな、アン? 君の理想は『皆の笑顔』だろう? 今の話では、園児たちが笑顔になれる気はしないんだ」
そう言って本当に済まなそうな顔をして見せるロッテに、アンが唇を噛み締める。ロッテの言わんとしている事を理解しているであろうその反応に少しだけ心が痛み、何かフォローを入れようとして――そんなロッテより先に、エリカが口を開いた。
「ふんだ! なによ、えらそーに! んじゃ、先生? 先生は何が良いの? どんなことをしたらいいの? 人に意見するぐらいなら、ちゃんと対案があるんでしょうね!」
吠えるエリカに、ロッテがじとーっとした視線を向けて小さく息を吐く。その仕草に若干カチンと来ながら、それでもエリカは黙ってロッテに続きを視線だけで促す。
「先程も言った通り、奉仕活動の基本は『望む人に、望むことを』だ。ならば答えは簡単だろう? 園児たちが本当に望み、楽しみ、そして笑顔になる演目を演じてやれば良い。情操教育や感動も大事だろうが、それは専門家に、つまり園児の本当の先生たちに任せたまえ。君たちは単純に、子供たちが望む演劇をしてあげれば良い」
「だから、その演劇って何よ! なんか演目があるんじゃないの!?」
「君たちの子供時代を思い出したまえ。子供の時、君たちは何をして過ごした? 何を見て喜んだ? どんな遊びをした? 時代が変わっても、変わらないものがあるのではないか?」
ロッテのその言葉に、エリカが『うぐっ』と言葉を詰まらせて見せる。そんなエリカを見やり、コズエが口を開いた。
「……そう言えばエリカ、『魔法少女になりたい』って言ってなかった? ほら、あのプリティでキュアキュアなやつのテレビ、良く見てたでしょ?」
「ちょ、いつの話よ! それ、ほいくえ――」
一息。
「…………あ」
「そういう事だ。いつの時代も子供の好きなものは女の子なら『魔法少女』、男の子なら『戦隊ヒーロー』と相場は決まっている。もっと言えば、男の子の好きなものは特撮であり、バトルだ。なら、その二つの要素を混ぜたオリジナルの演目をすれば良いと思わないか?」
「そ、それは……で、でも! そんなの、簡単に出来ないし!」
「物語の基本は起承転結だ。三十分程度の演劇であれば、十分に尺は足りる。脚本は私が書こう。国語教師だしな」
「で、でも! そんなの!」
「なんだ、エリカ? 対案があるのなら、ぜひどうぞ」
攻守逆転、先程のエリカの言葉を返すかのようなロッテの言葉に、エリカの顔が般若に歪む。その表情を面白そうに見つめ、ロッテは言葉を続けた。
「……無い様だな? それでは演目は『魔法少女モノ』で決定だ。ある程度のバトル要素を混ぜた脚本を明日までには書く。特段決める事が無ければ、今日の所はこれで解散とするか? アンはこれから買い物に行くのだろう?」
「……え? あ、は、はい!」
「夜道は危険だからな。あまり遅い時間にならない方が良い。さあ、早く帰りたまえ」
ロッテの言葉になんだか釈然としないものを覚えながら――それでも、ロッテの言う通り、特段決める事も無いと思い返し、アンはエリカを促して帰り支度を始める。支度、と言っても鞄を持つだけ、ロッテに『じゃあ先生、失礼します』と声をかけ、扉に手を掛けた所で。
「……そう言えば先生?」
「ん? なんだ?」
「その、魔法少女モノの演目って、結局何になるんですか? プリティなやつです?」
「オリジナル、と言っただろう? 題名も配役も、既に頭の中にある。明日には披露するが……そうだな、題名ぐらいは言ってもイイだろう」
そう言ってロッテはアン、エリカ、そしてコズエに視線を順々に送り。
「演目は――『魔法少女プリティ・リズ ~躍動編~』だ」




