第四話
天英館女子高校二年A組。本日から自分が受け持つ教室の前に立ち、ロッテは小さく深呼吸を――
「……遅くなった。出席を取る」
する、訳はない。人前に立つのも、これから若人達の将来を受け持つその責務を感じる緊張も取り立てて無い。これは別に教職を軽く見ている訳ではなく、単純に大勢の前で話す経験も、それ以上の責務を――フレイム王国宰相として、国民の将来に責任を持って臨んで来た経験もあるからだ。まあ、要は慣れているのである。
「「「…………」」」
が、生徒の方はそうではない。なんと言っても始業式から一週間登校していなかった教師の初登校だ。ある程度『身構え』ていた生徒はとんだ肩透かしを食らった様に一様にきょとんとした顔を浮かべるが、そんな事はお構いなし、ロッテは出席簿を開く。
「相沢」
「……」
「相沢、欠席。井上」
「……は! あ、相沢います! 出席です」
「そうか。次からは直ぐに返事をする様に。井上」
「は、はい!」
「上原」
「……はい」
「大沢」
「……」
「大沢は欠席か?」
「…………いるし」
出席簿に落としていた目を上げる。と、ロッテの眼前で不満そうな表情を浮かべる女性と目があった。服装はイマドキの女子高生らしく短いスカートに気崩した制服、緩くカールした茶髪の下にある顔の中の眼は、まるでロッテを射殺しそうな程の眼光を見せる。
「いるのなら返事をしろ。欠席扱いにするぞ」
「……」
「……なるほど。大沢、欠席か」
「だから、いるって言ってるでしょ!」
「ならば返事をしろ。こんな所で無駄な時間を使いたくは無い。それとも何か不満なのか?」
「……不満っていうかさ……あのさ? アンタ、今日から初出勤な訳じゃん? もうちょっと自己紹介とか謝罪? そんなのがあって然るべきじゃないの? なに? 超上から目線なんだけど?」
そんな憎まれ口を叩く彼女をロッテはしばし珍しいモノを見る様な視線で見つめて。
「……ああ、なるほど。ギャルという奴か」
「はあ? 別に私、ギャルじゃないし!」
「違うのか? ギャルとかヤンキーとか云う輩は理由なくキレる現代の若者の総称だろう? 本で読んだぞ?」
「どんな偏った本よ、それ! じゃなくて! 私は別に理由がないワケじゃないじゃん! ちゃんと名前ぐらい言いなさいよって話でしょ!」
「不要だろう? 私の名前を知らないのか?」
「知ってるわよ! でも、そういう問題じゃ無くない? アンタが始業式から欠席してるからウチらの国語の授業、随分遅れてるんだけど? なら、謝るのが筋じゃないか? って言ってるの!」
「一週間の休みの間に、国語の授業の代替えとして他の教科をして貰っている筈だ。一週間の遅れは一週間で取り戻す。それで問題ないだろう?」
「そういう問題じゃない! 誠意が無いって言ってるの!」
机をバンッと叩き睨みつける少女。その少女の行動に教室中が静まり返り。
「……流石、『天英館のエリカ様』」
「ああん? 誰がエリカ様よ、誰が!」
何処からかぼそっと声が聞こえる。その声の方向に睨みつける様な視線を向ける少女。そんな少女の行動にロッテは首を捻って。
「……ああ」
主席簿に書かれた『大沢絵里香』の文字に頷く。なるほど、エリカ様、か。
「……私の知っている『エリカ様』とは随分違うな」
「だから、誰がエリカ様だ!」
「やかましい。静かにしろ」
そう言ってロッテは手に持っている出席簿で教卓を叩いた。『バン』と予想以上に響いた音に、眼前の大沢絵里香をはじめとした生徒が一瞬動きを止める。静寂が響く教室をぐるりと見まわし、ロッテは大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「……何か勘違いをしている様だから、最初に言っておく。私の仕事は君たちの『しつけ』ではない。此処は動物園ではないのだろう? 高校生、しかも二年生ともなれば自分の行動は自分で判断しろ。特に大沢。君の行動は一社会人としてどうかと思うぞ。ああ、『社会人ではない』とかいう戯言を言うなよ。君たちの年齢なら社会で働いていても可笑しくない年齢だ。たまたま、君の両親が君に『高校生』という肩書と『高校生活』というモラトリアムを与えているに過ぎんのだからな。そもそも、この社会で生きて行く以上は会社人ではなくても立派な社会人だ」
「……ふん」
「怒られたら拗ねてそっぽを向くのか? 十七年も人間をやっていて、叱責を受けた時の対応がソレというのは些か情けないとは思わんかね?」
そう言ってじろりと大沢を睨むロッテ。
「別に突っかかって来るな、とは言わない。だが、一度噛みつくのであれば最後まで噛みつき通せ。自分の意思が通らず、拗ねてそっぽを向くぐらいなら、はなから噛みつこうなど思うな。まあ正直、突っかかって来られるのも面倒くさいので可能であれば黙って私の言う事を諾々と聞く方が良いがな」
「はん! なに? 先生だから敬えとでも言うつもり? 『俺の言った事は黙って従え!』とでも言うの?」
小馬鹿にした様な表情を見せる『天英館のエリカ様』に、ロッテも小馬鹿にした様にふんっと鼻を鳴らす。
「そんなバカげた事を言うつもりはさらさらない。私は君たちに指導する立場だが、別に君たちが選んで私に師事している訳ではない。だから尊べとも敬えともいう訳がない。年長者だから無条件に敬語を使え、とも言わん。そんなもの、欠片も欲しくは無い」
「……」
「私としても不本意だ。隠しても仕方ないから正直に言おう。私は教師という立場を聖職者だとはこれっぽちも思っていないし、可能であれば問題など無い方が良い。従順で愛らしい、私の言う事を良く聞く生徒ばかりであれば、それに越した事はない」
「ふん! 悪かったですねー? こんな生徒で!」
「全く同意する。しかし、これもビジネスだ。致し方あるまい」
「び、ビジネス!? アンタね!」
「ともかく、だ。大沢、君のやっている事は今後の人間関係の構成の上では全く無意味な反抗にすぎん。むしろデメリットしかない行動だ」
「デメリット?」
「私は教師で、君は生徒だ。私の一存で、君の成績が変わると言っても過言ではない。そのことを君は十分に理解しているのか?」
「……なに? 脅し? サイッテーね?」
「バカか、君は。普通の教師なら表では猫撫で声で機嫌を取り、裏で内申点を下げる。それをわざわざ注意してやっているんだぞ? そんな義理も義務も無いのに」
「……」
「先程も言ったが、別に私に反抗的でも一向に構わん。面倒くさいだけで、生活の糧を得る為と思えば別段、目くじらを立てる必要もない。君たちの仕事は此処で修学し、いずれは外の世界に出る事だ。欲を言えば一角の人物になって欲しいが」
「……なに? ビジネスだからって話? 学校の名声がーとか言うの?」
「有体に言えばそうだ」
「ふん! それじゃ、そのビジネスで言えば私達は『オキャクサマ』じゃないの? お客さまは神様でしょ? 敬いなさいよ!」
「それならばなおの事、静かにしたまえ。他の神様にご迷惑だからな。それと、勘違いするなよ? 私の仕事は君たちの学力を上げる事であって、君たちに媚びを売る事ではない。義務教育じゃないんだ。君はケーキ屋に行ってラーメンを頼むのか? 『同じ『食品』を扱う店じゃないか。融通を利かせてラーメンを売れ』とでも言うのか? ならば、そう言ってくれたまえ。遠慮なく、バカにしてやる」
ロッテの言葉に、大沢が不満そうに顔を背ける。
「折角だから最後まで言っておく。この場所は確かに『学校』だが、国家や自治体の経営する『公立学校』ではない。純然たるビジネスである『私立学校』だ。私立学校の責務は君たちの『成績』を上げる事だ。ざっくばらんに言えば、君たちを偏差値の高い大学に送り込む事にその責務がある。君たちが成績を上げればそれは学校の実績にもなるからな。無論、君たちにインセンティブも用意しよう。成績さえ上げれば多少髪を染めようが、バイトをしようが、授業中に携帯電話を弄っていようが、それどころか授業に出ようが出まいが私は一切関知しない。他の勉学に励む生徒の迷惑にならなければ好きな事をしてくれて構わん。その代り、成績の上がらない生徒にはそんなものは一切許す気はない。仮に成績の悪い生徒が許可なく髪を染めたりバイトをしたり、或いは私の授業に出席をしない場合、退学まで視野に入れた対応を取らして貰う」
シーンとした教室をもう一度睥睨。
「分かるか? 私は明確に『差別』をすると言っている。成績の良い生徒にはそれなりの待遇を与えるし、優遇もする。ただし、成績の悪い生徒に関しては徹底した管理教育を施すと、そう言っているのだ。それが嫌なら成績を上げろ。その為の手段は、まあ、用意してやる」
仕事だからな、と一言、それ以上言い募る気も無いのか、ロッテはそのまま出席を取る。
「金沢」「はい」「佐伯」「はい」「鈴木」「はい」「立花」「はい」「広瀬」「はい」
順々に出席を取っていくロッテ。と、その声がある一点で止まった。
「……松代?」
「……はい? なんですか?」
出席簿から視線を上げ、まじまじと返事があった方を見やる。黒髪を肩口で切り揃えたボブカットの少女。およそ、美少女と言っても誰からも異論は出ないであろうその少女にロッテの視線が釘付けになる。
「……なにか?」
「いや……私の知り合いに『松代』という御仁がいたからな。すまん、余談だったな。松代梢、出席と」
ロッテの言葉に、今度は少女――松代梢の眉が上がる。
「どうした?」
「いえ……先生は俺様系で、生徒に頭を下げる事などしないのかと思っていました。先程のエリカ……じゃなくて、大沢さんとの会話を見る限り」
「悪いと思えば素直に頭ぐらいは下げる。大沢のアレは」
一息。
「一方的に大沢が悪い」
「……確かに」
『なんでよ!』と噛みつく大沢を軽く無視し、ロッテは出席簿に再び目を落とす。松代梢の下に刻まれた、一種神々しさすら生み出しそうなその文字列にロッテは知らず知らずの内に頬を緩め、視線をあげる。視線の先、少しだけ慌てた様にあわあわと口元に手を当てて『しー!』なんて愛らしい姿をしているその美少女にロッテは満面の笑みを浮かべて。
「――アン。結城杏。制服姿の君は初めて見たが……今日の君も、一段と綺麗で、愛らしいね」
静寂は、一瞬。
「「「「…………はぁああああああああああああああああああああ!?」」」」
――教室内に絶叫が響いた。




