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第三話 


 一週間の傷病休暇明けの月曜日。

 自身の勤め先である天英館女子高校に初登校した応接室で、頭頂部がすっかり寂しくなったウミガメみたいな面容の副学園長に過剰な心配をされ、『なにかあったら遠慮なく言ってくれ』という有り難い言葉と、学園長室に向かう指示を受けたロッテは職員室の最奥にある扉に足を進める。職員室を横切る形で歩くロッテに刺さる興味津々な視線に軽く頭を下げる事で応え――女子高だからか、女性教師の割合が多い事に少しばかり驚き、ドアの前で軽く三回ノック。『どうぞ』という言葉を受け、ロッテは扉を開けた。

「――失礼します」

「待ってたわ、六手先生。ソファにでも座って」

 年の頃は二十代半ば。美しい黒髪を背中まで伸ばした、口元に黒子のある美女がにこやかに笑みかけていた。

「……学園長、でよろしいですか?」

 少しだけ、意外。そんなロッテの表情の変化を敏感に感じ取ったのか、女性は笑みをより一層深くして見せる。アレだ。悪戯の成功した悪ガキみたいな顔だ。

「立ったままする話でも無いわ。どうぞ」

 応接セットを指す女性に少しばかり困惑しながら、それでもロッテは黙って腰を下ろす。

「びっくりした?」

「なにに、でしょうか?」

「学園長が若かった事。学園長が女だった事。学園長が……キュートだった事に」

 悪戯めかして笑う学園長に肩を竦めて見せるロッテ。そんなロッテの姿におかしそうにもう一度笑い、学園長は言葉を継いだ。

「災難だったわね」

「いえ……そんな事は。お心遣い、痛み入ります」

「いいのよ、気にしなくて。事情は聴いてるから。ウチの生徒がご迷惑をお掛けしました」

「お気になさらないで下さい。有意義な時間でしたので」

 断っておくが、これはがっつりロッテの本心である。

「そう? それじゃ、お言葉に甘えるわ。まあ、それも含めてなんだけど……貴方はまだ試用期間中なの。本来ならクビになる所をなぜ、私が初日から一週間も欠勤した貴方を待っていたか分かるかしら?」

 そう言って机の上に肘を立て、組んだ手の上に顎を置いて『ん?』と首を傾げて見せる女性。年齢を感じさせない、どちらかと言えばかわいらしいその姿に。

「契約だからでしょう?」

「……」

「第十三条の『休暇』の項に書いてあります。心身に異常が発生した場合、二週間の特別休暇を与える、と。試用期間内である事を勘案しても、自身の生徒に轢かれたんだ。これで懲戒免職はあまりに酷では?」

「……いや……ああ、うん。そうなんだけどね?」

 そういう事を聞きたかったんじゃないのに! と言わんばかりに顔をしかめる目の前の女性。

「……まあいいわ。えっと、私の名前は理瀬。六手理瀬。この天英館女子学園の学園長をしているわ。どうぞよろしく」

 握手を求めるかの様な学園長の手を握りかける様に手を出し、そしてロッテはその手を引っ込める。

「……六手?」

「そ、六手。六手理瀬」

「失礼。私は先日の事故以来、少しばかり記憶に混濁が見られます。その……ご親戚、でしょうか?」

「ま、珍しい苗字だしどっかで血が繋がってる可能性はなきにしもあらず、だけど……私自身は貴方を見た事はないわ」

「そうですか」

 少しだけ残念そうに肩を落とすロッテ。その姿を見て学園長は少しだけ茶目っ気たっぷりに笑んで見せた。

「なに? こんな美少女と親戚じゃなくて残念?」

「貴方が見目麗しい女性である事は認めましょう。ですが、美少女というご年齢では無いのでは?」

「……端的に言うと?」

「面の皮が厚い」

 そんなロッテの言葉に怒るでもなく、学園長は苦笑を浮かべて言葉を継ぐ。

「面接のときにはもうちょっと従順かと思ったんだけど……ま、いいわ。確かに少女ってワケでも無いし、少女って呼ばれて喜ぶ年でも無いしね。それでも私が……まあ、学園長としては結構年齢が若いのは事実よ。まだ二十六歳だし」

「同い年、ですか?」

「そう。それで、さっきの質問に戻るの。『なぜ、私が初日から一週間も欠勤した貴方を待っていたか分かるかしら?』」

「派閥の形成ですか?」

「……」

「違いましたかな?」

「……ううん、正解。良く分かったわね? でもさ? 普通『もしや同じ苗字だから?』とか、『同い年だから?』とかじゃ無いの? なんで一発で当てちゃうのかな~?」

 少しだけ驚いた様な、そして残念そうな理瀬の顔。そんな理瀬に、ロッテは首を左右に振って見せた。

「貴方の年齢、学園長という職位、教員の平均年齢を総合して考えればある程度は容易い事です。そうなると……その地位は血縁、ですか?」

「ぶっちぎりで私が優秀、って線は無い訳?」

「無い訳ではないですが、それでも精々学年主任程度でしょう。年功序列らしいですからな、この国は」

 まあ、ロッテにとって驚くほどの事ではない。前世――という言い方が正しいかどうか、ともかく『ロッテ・バウムガルデン』時代に何度も経験して来た事である。所謂、『縁故』というヤツだ。

「ま、そういう事。私のお爺ちゃんがこの天英館女子を含めた『天英館学園』の理事長なの。それで、私は大学卒業と同時にこの天英館女子学園の学園長になった、ってわけ」

「なるほど。それで? 派閥、とは?」

「まあ、そうは言っても私なんてまだまだ小娘だからね。やっぱり年齢的に学園長って役職が『気に入らない』って人も結構いるのよ。私を追い落とそうとする人とかね? でもまあ、そんなに簡単に追い落とされてやるつもりは私にはサラサラ無い訳。悔しいじゃない、簡単に白旗上げるのも」

 学園長の言葉にロッテは素直に頷いて見せる。そんなロッテに、学園長は一つ頷いて言葉を継いだ。

「良かったわ。『派閥争いなんか止めて下さい』とか言われなくて」

「言いませんよ。人が三人集まればグループが、派閥が出来るのが世の常です。むしろ――」

「むしろ?」

「……まあ、これは良いでしょう」

 明確な敵を作った方が組織運営はやりやすい、と言いかけロッテは言葉を止める。別に聖職者が権力争いに血道を上げるのは、なんて考えた訳ではない。単純に、面倒くさかっただけだ。

「簡単に言えば、私に貴方の派閥に付けという事ですかな?」

「より正確には、私と一緒に派閥を作りましょう、という話よ。私と派閥を作って……それで、私の地位を盤石なモノにしてほしいの」

「盤石、とは?」

「この辺りに有名な女子高が二校あるわ。一つは聖ヘレナ女学院、もう一つは東桜女子学園高等部。通称『セイジョ』と『オウジョ』ね」

「ふむ」

「セイジョもオウジョもお嬢様学校。片や本物、片や成金とか呼ばれてるけど……まあ、良家の子女が集まる学校なの」

「続けて下さい」

「両学校とも歴史も伝統もある学校よ。まあ、だからこそその二校に良家の子女が集まる訳だけどね。親子二代とか親子三代なんてのもあるかな?」

「それで?」

「対して我が天英館女子はそこまでの歴史も伝統もない。良家の子女が集まる様な――まあ、いわゆる『お嬢様学校』じゃないの。でもね? 大学と違い、高校には『名門』になる為の方法が一つだけ、あるの。それが――」


 ――進学実績よ、と。


「……ふむ」

「今からお嬢様学校になるのは難しい。ならば、私達天英館女子高校は『進学』をメインに据えるわ。難関国公立や私立の有名大学を目指す子たちを受け入れる、そんな学校にしたいのよ、私は。セイジョとオウジョに並ぶ――『天女』として、空に昇れるような、そんな学校に」

 瞳をキラキラさせながら、ずいっと机越しに体を乗り出す学園長。たわわに実ったその双丘がむにゅっと潰れた。

「そのために貴方にお願いしたいのは生徒の学力の底上げよ」

「それは、教師として当然なのでは?」

「話は最後まで聞いて。その後、貴方が『これは』と見込んだ子を集めて欲しいの。そして来年、その子達で『選抜クラス』を作るわ」

「……ふむ」

 ロッテは手を顎に置いてしばしの間、瞑目。その後、その眼を開いて学園長の顔をじっと見つめる。

「事情は概ね理解しました。ですが、分からない点が数点」

「どうぞ」

「まず、この学校は『私立高校』でしょう? ならばいくらかのウリが……先程の様に

進学実績を作るのは当然でしょう? それは学校としてのメリットにはなっても、派閥のメリットになるのですか?」

 国益よりも省益を考えるのが官僚、とよく言われるが、サラリーマンだって同じだ。会社全体の利益よりも自身の部署の利益を優先するのはままある。そんなロッテの質問に、学園長は苦々し気に顔を歪めて見せる。

「副学園長辺りは気に入らないのよ、私の考えに」

「ほう?」

「『のびのびと育てるのが当校の方針』ってね。進学実績はとびぬけて良い訳じゃないけど、それでもまずまずの数字を残してるから。逆に管理教育をされて良い大学に進学したいのであれば、よその高校を受ければ良いではないか、という考えよ」

「……なるほど。一理あります」

「まあ、単純に私のする事が気に入らないってだけだけどね。なまじ正論なだけに反論しにくいのよ」

 溜息一つ。

「……知ってると思うけど、ウチの高校はこの辺りでは中堅程度の進学校なの。公立の有名校……例えば折が丘高校とか一条高校、私立なら桐生高校なんかの進学校を落ちた子が第二志望で入ったりする高校なの」

「……ふむ」

 初耳である。が、そんな事はそぶりも見せず、ロッテは続きを促す。

「彼女たちはある種のコンプレックスを持って学校生活を送ってるわ。私はそれを変えたい。少しでも、彼女たちが胸を張ってこの高校を卒業できる様にしてあげたい」

「勉強だけが全てではない、と言われそうですな」

「副学園長辺りは言うわよ。でもね? 勉強以外に何か秀でたモノがあるのならともかく、それが無いなら取りあえず勉強ぐらいはしておけ、と思うのよね。将来何かをなしたい、って思っても、大学名で差別されることはあるのよ、絶対。だったら『良い大学』ってヤツに行っておいた方が無難ではあるの。お金と学歴はあって邪魔になる事はないんだから」

「確かに」

「なら、その環境を少しでも整えてあげたいのよ、私は。基本的な方法については貴方に一任します。法に触れる方法以外、どんな方法でも取って貰って構わないわ」

 そう言ってにこやかに笑う学園長。その表情に『作り物』の気配を感じたロッテの眉がピクリとあがる。

「なに?」

「いえ。流石に『法に触れる以外』などという単語が飛び出すとは、と思いまして。余程信頼されているのですか? 殆ど初対面の私を」

「そこまでお人よしじゃないわよ。さっきも言ったけど小娘の私の立場は非常に危ういの。溺れる者は藁をも掴むって言うでしょ? 単純に取れる方法が無いの。アレよ、『破れかぶれ』ってやつね」

 そう言って溜息を吐く学園長。その姿に、ロッテの口元に苦笑が浮かぶ。

「……理解しました。それでは私もその『派閥』とやらの形成に一役買いましょうか」

「……良いの?」

「逆に『良いの?』とは?」

「その……まあ、はっきり言っておくけど副学園長は私よりも長くこの学園にいるし、『派閥』という点ではあちらの方が一日の長があるわ。つまり、貴方に取ってメリットがないワケ」

「逆でしょう、それは。今更『副学園長派』になった所で、大した利権に預かれるわけでもないですし」

 強い所に付けば安泰だが、その代り目立った恩恵には預かれない。別段預かりたい訳でも無いが……まあ、そうは言っても一国のトップまで昇りつめた男だ。今更下っ端生活は勘弁したいというのも本音である。

「円滑な人間関係の形成も出来るわよ? 仕事の面で良いんじゃない? 分からない事とか難しい事、誰かに助けて貰った方が楽よ?」

円滑な人間関係は組織内で重要な役割を果たす。だから飲みにケーションもまだまだバカに出来ない風土ではあるのだが。

「要りませんよ、そんなの。必要なら自分でしますから」

 能力が高ければ必要ないのだ、そんなものは。気負いなくそう言って見せるロッテに一瞬呆気に取られた表情を見せた後、学園長はふんわりと笑んで見せた。

「……ふふふ。分かったわ。それじゃ、よろしくね、六手先生」

「ええ。分かりました、学園長」

「……」

「なんですか?」

「私、小学校から高校までアメリカに居たのよね」

「それが?」

「同い年でしょ? 『学園長』って呼ばれるのもアレだし、どうかしら? フランクな感じで行かない? リーゼって呼んでくれたらいいから。貴方の渾名は『ロッテ』でしょ? 私もロッテって呼ぶわ」

「リーゼ?」

「アメリカでの私の渾名。リゼ・ロクテだから、リーゼ」

「ちなみに私の渾名の件は? お教えした記憶は御座いませんが?」

 そんなロッテの言葉に。


「良い子だと思わない? 結城杏ちゃん」


 そう言ってニヤリと笑う。

「……良かったわ、『切り札』使わなくて。あまりよろしく無いでしょう? 年頃の教師の所に、女子高生が通うのは」

 そんな学園長――リーゼに、ロッテは肩を竦めて。

「あれはアンが悪いです」

「……なに? 勝手に俺の所に遊びに来ただけ、って? やだわ。もてる男はつらい、とでもいうつもり?」

 一気に白けた表情を浮かべるリーゼに、ロッテはもう一度肩を竦めて見せる。

「そうではありません。常識的に考えてあまり宜しく無いのは私とて良く分かっています。先程リーゼが仰った通り、彼女は高校生で私は教師だ」

「……ごめん、意味が分かんないんだけど? それが杏ちゃんが悪い事に繋がるの?」

 そんなリーゼの言葉に、ロッテはにっこりと微笑んで見せて。

「アンが可愛すぎるのが悪いのですよ。あんな天使の様な子が我が家に通ってくれるんですよ? それを断るなど出来ますか? 誰だって快く迎え入れる。私だってそうする」

 自信満々、そう言い切るロッテにリーゼの頬が『ひくっ』と上がる。控えめに――ごくごく控えめに言っても、ドン引きだ。

「……そ、そう。分かった――まあ、正直あんまり良く分からないんだけど……と、ともかく、分かったわ。その、あんまり問題行動になる事だけは控えてくれる?」

「善処はしましょう。私だってアンと過ごせる環境を無くすのは惜しい」

「……杏ちゃんのクラスの担任任せようかと思ったんだけど、止めといた方が――」

「一生ついていきます、リーゼ。それだけで、貴方の派閥に入った甲斐がある」

「――いいって、はや! 食い気味で来たわね! ちょ、本当に止めてよ? 女子高生と教師の禁断の恋なんて、昭和のドラマじゃないんだから!」

「大丈夫ですよ」

「そ、そう? それじゃ――」

「私は懐古主義者なので」

「――全然安心できないんだけど! ともかく! あんまり無茶はしないで!」

 そう言ってリーゼは何かを誤魔化す様にコホンと一つ咳払い。

「ともかく……六手誠先生。これから貴方にはこの天英館女子高校で教鞭を取って貰います」

 素晴らしい笑顔を、浮かべて。




「――さあ、六手先生? 私の可愛い『天女』達にどうか、貴方の力で羽衣を与えて――天に昇らせてあげて?」




 そんなリーゼに、ロッテも微笑んで見せて。

「……済みません、リーゼ。その、『天女に羽衣を与える』とは、どういう意味でしょうか?」

「…………は?」

「『天女に羽衣を与えて――天に昇らせてあげて』。ふむ、なんだかすごく得意げに、巧い事を言った感じで言っておられましたが、一体どういう意味なんですか? 何かの隠語か何かですか?」

「は? あ、いや……ほ、ほら! 天女の羽衣伝説ってあるじゃん? こ、こう、天女が羽衣を貰って、それで、その、天に帰る時が来たのだー! みたいな、ほら!」

「いえ……寡聞にして知りませんが……なるほど、それで『天女に羽衣を与える』ですか。ふむ、巧い事を仰られますな?」

 ――想像して欲しい。どや顔で『巧い事言ったった!』とか思ってるときに、冷静な顔で分析して突っ込まれる気持ちを。

「~~~っ!! もういい! 早く教室に行きなさい!」

 耳まで真っ赤にしながらそうのたまうリーゼに肩を竦め、ロッテは学園長室を後にし。

「――ああ、そうそう。あの伝説は男にも非があるとは言え、流石に天女も酷すぎると思いますよ? 一緒に暮らした男を捨てて天に帰るって、どれだけ冷たい人間だと思います。まあ、天界人の気持ちは分かりかねますが……そんな人の気持ちを斟酌しない様な生徒には育ってほしくはありませんな」

『知ってるんじゃないのーーー!!』というリーゼの言葉を背にしながら、ロッテは静かに学園長室の扉を閉めた。


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