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としあきが台所に戻ってくると、ピンクブロンドの娘が手招きをしている。
竈までとしあきが来ると娘にお盆を手渡された。
「これ持ってて」
娘はそう云うと一等綺麗な茶碗を一つばかり茶箪笥から取り出して、お釜で炊けたご飯のちょうど中心部をくり抜くと茶碗に装う。
「ご飯の一番おいしい部分はお釜の真ん中だから、この部分をご先祖様にお供えするのよ。
それで残りの部分はこうやって混ぜて……っと」
としあきがなるほどと思いながら見ていると娘はお釜の縁に沿って杓文字を一周させてご飯を切るように混ぜ合わせる。
「……できた」
娘はご飯をお釜からお櫃に移す。彼女はお櫃に蓋をすると近くにいた青い髪の娘に言った。
「これを運んでおいてね」
「いいわよ」
青髪の娘がにっこりと笑ってお櫃を受け取る。
ピンクブロンドの娘はとしあきから受け取ったお盆の上に、ご飯の一番おいしい部分を装った茶碗を乗せるととしあきに振り返った。
ついて来いと云われたとしあきが彼女の後ろについて行くと二人がたどり着いたのは仏間だった。
「先生、いらっしゃいますか?」
障子越しに娘が問いかける。
「うむ。入ってきなさい」
「失礼致します」
としあきはピンクブロンドの娘の後について仏間に入る。
仏間では師匠の平七郎が仏壇の扉を開いているところだった。
平七郎は人差し指の先から火を出して蝋燭と線香に火をつけていた。
仏壇には既に新しく汲んできた水が供えられている。
「ご飯をお持ちいたしました」
「ありがとう」
娘が頭を下げて差し出すお盆を受け取った平七郎は仏壇にご飯を供えた。
平七郎はお盆をピンクブロンドの娘に返すと仏壇に向き直り、鐘を鳴らして先祖代々の位牌に手を合わせる。
隣ではピンクブロンドの娘も手を合わせていたのでとしあきも慌てて手を合わせた。
「ご先祖の皆々様、お早うございます。今日も一日宜しくお願いいたします……」
平七郎は暫くの間、仏壇に向かって手を合わせていたが、それが終わるとこちらを振り返って云った。
「では朝餉に参ろうか。としあきもついて来るがよい」
三人で食事場所の部屋へと向かう。
仏間を退出する際に師匠の平七郎が仏壇に向かって一礼しているのがとしあきの目に入った。
平七郎はそっと障子を閉める。
居間には娘たちが勢ぞろいしていた。
向かい合わせに並べられたお膳の上では汁椀から味噌汁の湯気が上がっている。
平七郎はお膳に伏せて置かれてあった飯椀を手に取り、飯盛り係りの娘に手渡した。
「ほら、私たちも」
ピンクブロンドの娘に促されてとしあきも席に着いた。
隣ではピンクブロンドの娘が自分の茶碗を飯係りの娘に渡している。
としあきも茶碗を差し出してご飯を装ってもらった。
「全員揃ったな」
平七郎から声がかかった。
よく見ると飯盛り係りの娘も自分の分を装って席についている。
娘たちは全員背筋を伸ばして師匠の平七郎に視線を向けていた。
「毎日、ありがとう」
そう云って平七郎が膳に手を付けるのを確認して、娘たちも膳に手を伸ばす。
手を合わせて「いただきます」などとは誰も言わない。
何故ならそれは庶民の風習であって、武家や公家の作法ではない。
武家の作法である小笠原流の礼法にもそんな所作はない。
武門の者はただ、黙って黙して食べる。
武家などでは食事時に食べながら話すのは無作法とされていたくらいだ。
だから平七郎は黙々と食べる。
としあきも黙々とひたすらに飯を喰う。
徳川時代の江戸の米消費量は一人当たり一日五合(乾燥重量で750グラム)。
これをひたすら食べる。
江戸時代の日本人は必要タンパク質を外部からの摂取ではなく、体内ででんぷん質から合成していたのではないかというほどに食べていた。
実際、幕末から明治初年の頃に、飛脚に獣肉でタンパク質を摂らせる実験を西洋人の医師が施したところ、飛脚の脚が駄目になるという実験結果が出ているとか。
それに何より、飯炊きは一日一回なので温かい飯は朝しか食べられない。
電気炊飯器がないのだから当たり前の話ではあるが。
全員が食べ終わるとお櫃の中に腐敗防止の意味で梅干が次々と投げ込まれた。
梅干を入れておかない場合、夏場が近いと昼前にはご飯が腐りはじめる。
真夏でもない限りはこれで夕方まで腐らずに保つのだから大したものだととしあきはあらためて思った。