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「……はじめちょろちょろ、中ぱっぱ。じゅうじゅう吹いたら火をひいて、赤子泣くとも蓋取るな」
としあきは師匠の家で飯を炊いている。
そもそもそんなことになった発端は実にたわいもない師匠の一言だった。
としあきが女界転性を果たした直後に師匠の平七郎は云った
「としあき、お前も女子に転性したのだから、おなごとしての修行をせねばならん」
「なに言ってるのさ。
俺は別式で仕官するためにこんな風になっただけであって、べつに女子として生きようなどとは思ってないけど?」
「……仮にも師匠である私に向かってその蓮っ葉な物言いはどうかと思うのだが」
「……ごめん。女になってからなんでだかわからないけどこういう物の言い方になっちまうんだ」
「あー、そうか。たぶん女界転性したからなのだろうな。
で、話を戻すとだな。
別式が勤めるのは仕官先の奥向で客先には当然のことながら女子しかおらん。
……ここまではわかるな」
としあきは理解したことを仕種で伝える。
「女子の世界にいて、お前が話相手を務めるのは奥向の女中やお方様である。
となれば、世間一般で女子がしていることや知っていることはお前もしてちなければならん。
そうでないと『下々の女子はどのように暮らしておる』などと戯れに聞かれても答えようがなかろう」
師匠はそこで一つ息をついで言った。
「だからお前は女子としての修行をせねばならん」
「……わかった」
正直なところ、面倒くさいとは思いはしたが師匠の言う通りなのでとりあえず従うことにする。
話し合ったところ、明日の朝から早速にでもということで話は決まった。
としあきが翌日の朝早くに剣道場へ来てみると、同じ敷地内にある師匠宅の方が騒がしいことに気づいた。
師匠は独り身のはずなのに、師匠宅の方からは複数人の人の声が聞こえてくる。
結婚しているなどという話は聞いたこともないが……?
としあきはいぶかりながら道場脇に建つ小さな一戸建ての師匠宅へと向かった。
師匠宅に近付くにつれ、人の声話し声は若い女のそれであることがはっきりとわかるようになる。
としあきが玄関の引き戸をそっと開けると、中に居た若い娘の一人が振り向いたのとちょうど目が合う。
ピンクブロンドの若い娘はとしあきを見てにっこりと笑って云った。
「としあきって貴女のことよね? 師匠から話は聞いてるわ」
そう云いながら娘はとしあきの手を取って家の中へ引っ張り込むと野良着のようなものを手渡してくる。
としあきはそれを受け取ると上着を脱いで着替えた。
「貴女、包丁握ったことはあるの?」
「いいや、全然」
「それもそうよね」
娘の問いかけにとしあきが答えると、「それはそうだ」という表情で娘は同意する。
「じゃあ、ご飯炊くのを手伝って」
云いながら娘はとしあきを竈へと案内し、竈の中の火口に魔法で火をつけた。
燃え出した種火に注意深く木屑や乾いた草を被せていく。
火が安定したところで薪を入れだした。
「貴女はこのままここで火の番をしてて。
今、竈の中に入ってる分量になるように気をつけながら薪を足してって。
わたしはちょっと他にやることがあるから少し離れるけどお願いね」
そう言うと娘はとしあきの肩を軽く叩いて去っていった。
娘の後姿をちょっとの間眺めたあとでとしあきは竈に向き直り、火の世話をしていく。
最初のうちは真面目に火の面倒を見ていたが、しばらく経つと段々と飽きてくる。
「はじめちょろちょろ、中ぱっぱ。じゅうじゅう吹いたら火をひいて、赤子泣くとも蓋取るな……」
としあきは歌うように唱えながら竈を見ている。
竈炊きは温度と時間の調整がすべて手作業で難しい。だから自分の赤子が「お腹が空いた」と泣いても蒸らしの間は蓋を取るな――
そういう意味なのだろうかととしあきは思った。
温かいご飯を家族に食べさせるためには早起きする必要がある。
「これが平成だったら炊飯器が勝手にやってくれるものを」
と思っても、無いものは無いんだから仕方がない。
水を吸った米粒の熱伝導率が高くないからちょろちょろと弱火で全体に軽く熱が通ってから、強火の対流で米と水を一気に加熱しろという意味のことわざなんだろうととしあきは思った。
「あとは蒸らしだけだから、お師匠様を起こしてきてよ」
先ほどのピンクブロンドの娘が竈のところへ戻ってきてとしあきに云った。
としあきは師匠である平七郎が寝ている部屋へ向かう。
「先生、朝餉の用意ができました」
としあきが障子越しに正座して師匠に呼びかけると平七郎からの返事があった。
「……としあきか。ご苦労」
そう云って平七郎が起き上がり、伸びをするのが障子越しに見えた。